谷 好通コラム

2022年07月14日(木曜日)

07.14.ニコンが一眼レフカメラの開発を停止するそうだ

Yahoo!ニュースに「ニコンが一眼レフカメラの開発を停止」と出でいた。

 

私は学生の頃に「写真部」であったことがあり、カメラは好きだった。

あの頃、フィルムは銀塩であり

カメラの最高峰と言えばペンタブリズムを使った一眼レフで、

メーカーはダントツで「NIKON」。

世界中のプロ報道カメラマンが、

当然のように一眼レフの上級機である「NIKON F」を使っていた。

ドイツにはLEICAという名器もあったが、

繊細なLEICAに比べて「NIKON F」の方が圧倒的にタフで

使いやすく付属機器や交換レンズ類が充実していた「NIKON F」が勝っていた。

私も社会人になって何回か目の賞与を貰った時、

ワクワクしながらNIKONの一眼レフの廉価版のカメラを買った。

交換レンズも一番お得そうな「100mm~300mm」を次の賞与で買った。

(今でも存在している。)

 

その頃のCANNONの一眼レフカメラは女性向けに力を入れていた

だから、プロのNIKONに対して

CANNONは初心者向けのような印象があったのです。

 

私が社会人になって、

その後、起業して仕事に夢中になっている間に、

世の中が色んな面で進化し、変化して、

自分が時代遅れになっている面が多々出ている事に気が付いていた。

 

その内の一つが一眼レフの世界で、

フィルムがなくなってデジタルになったこともあったのだろうか。

プロのカメラマンから、アマチュアのカメラマンまで、

当たり前のようにCANNONのEOSを使っている。

それに気が付いたのは10年ぐらい前だが

あのNIKONの一眼レフはどうしてしまったのだろう、

と思っていたところ

先の「ニコンが一眼レフカメラの開発を停止」のニュースを見て驚いたのです。

NIKON(日本光学)自体は巨大な立派な会社なので、

事業自体に何の揺らぎも無いのですが

一つの時代が終わったのですね。

 

圧倒的であったものが、時代の変化の中で主役を追われ

主役が変わって行く。

 

人は時間を経るごとに確実に老い、全盛期を越すと急激にその影を薄くする。

NIKONのこのNEWSに我が身を写すのは、まだ早い。・・と、思うが。

名機 NIKON F

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2022年07月11日(月曜日)

07.11.私が励みにしてきた人が、苗字が変わってTIMESに出ていた。

何年か前(多分4年前)のKeePer技術コンテストに出て、

県チャンピオンになり全国大会に出ていた人で、

何かの原稿としてその手記を送ってくれた女性がいた。

その手記の内容がとても素敵で、

ワードで書かれたファイルを自分のPCのディスクトップに貼って、

しばらくの間、自分の仕事の励みにしてきた。

 

今では、ディスクトップも賑やかになり過ぎで来たので、

マイドキュメントにファイルを移動していたのですが、

不意に、

KeePer TIMESの7月号の最終校を見ていて、

その人の顔写真が載っているのを見つけて驚いたのですが、

なんと、その人の「苗字」が変わっていたので、ご結婚された事を知りました。

嬉しくて、マイドキュメントにしまっていたあのファイルを出してきて、

久し振りにまた読み、、

KeePerの原点、私自身の仕事の原点を思い出して、

泣けてきてしまいました。

 

今日のコラムでちょうど6400話です。

私も70才を越して、また、自分の原点に戻れたような気がします。

 

なるべく人物を特定されないように一部を変更して、

あえて、載せたいと思います。

KeePerと私の原点です。

 

——————————————————————————-

4年前に書いていただいた文章の転記

 

今までは、○○県内の自分のそばにいた人たちの施工を見て、アドバイスをもらって、自分で練習して100%と思っていた。はじめて自分と比べ物にならないくらいのスピードと丁寧さを見せつけられた。ずっと「上手いは、早い」の意味が分かっていなかったが、決勝戦を見たときに「ああこういうことなんだ」と分かった。いい経験になった。

 

去年はSサイズのアクア。今回はMサイズのプリウスになっているのにもかかわらず、施工時間が早くなっている。予選会の時点で、半分施工で20分切ってる人たちがいっぱいいた。これまで早い人は、雑にやっているというイメージがあった。でも急いでいるようでも、慌てているようでもなく、時間を見たら早く終わっている。「上手いは、早い」ってこういうことなんだと思った。得たものは大きかった。

 

はじめて悔しいという思いをした。今○○歳。緊張した。「場の雰囲気に飲まれず、県チャンピオン戦の時のように流れるように施工すればいいんだよ」と進藤さんが言ってくれていた。爆ツヤはじまってそこまで緊張してなかった。でもダイヤを塗りはじめ、塗り終わったら、エアガンの工程がある。自分がマックスのスピードでダイヤを塗っていたのに、周りからエアの音が聞こえた。まだ私は2パネル残ってるのに、もう私以外の人が全員早くエアガンをやっている。そして拭き残しもない、完璧な施工を準決勝の時点で皆んながしていた。さらにスピードも早ければ品質もよい。○○県内でしか見ていなかったが、全国となると全然レベルが違うんだなと実感した。

 

普段の施工に対する意識が変わった。今までは夕方5時までに預かりますといって、余裕があれば時間をかけてやっていた。時間をかければ品質も比例すると思っていた。そうではない。スピードかつ品質も追求した施工をしながら、台数をこなしていかないといけない。来年のコンテストは、絶対決勝に行きたいから。安藤さんもコンテストに出はじめるようになってから、うまくなりたいと思って頑張った。15分タイムトライアルでダイヤを塗る練習を何回何回もお客様の車でしていた。時間を意識して、品質を求める練習をしたからあれだけうまくなって、170点なんだろうと思う。コンテストが終わった次の日から意識が全然変わった。

 

SSのスタッフに協力してもらい、自分の施工をカメラでワンパネルごとに撮ってもらい、確認して、次のパネルで修正してという練習をした。だから自分の施工の姿は見たことがある。でも自分よりもはるかに上の人の施工を見るのは安藤さん以外なかった。決勝戦に出ていた11人はみんな早い。びびる。プリウスでなくても、どんな車でもあのスピードでできるんだろうなと分かった。身体が自然に動いていて、塗った時と同じ順番で拭いていたり。とまどいはなくて、頭で考えてなくても身体が動いている感じ。次元が違うと思い知らされた。

 

私は、チャンピオンの施工はあまり見ず、2位だった山本さん、4位の岡崎さん、5位の中嶋さん女性3人の施工を見ていた。女性は、脚立を使わないといけないのにスピードはある。どういう施工をしているのか見ていた。時間短縮のためにやっていることが3人とも違う。スポンジが倍くらい早く動いている。ボディに触れていない時間が3人ともすごく短い。いつの間にかクロスを持っている。2位だった山本さんは、こだわりがある。拭き上げのときは、脚立の一番上までのぼる。そしてレジンなどのケミカルを台まで取りに行かずポッケに入れる。山本さんは、スピードも早いし、スポンジの動かし方も早い。どうすれば時間短縮できるんだろう、どれが自分に合っているんだろうと考えながら見ていた。今日もクリスタルの施工があったのでいろいろ試していた。私の場合、まだ時間短縮すると品質が落ちてしまう。これから試行錯誤。

 

全国大会に出て、県別チャンピオンでもすごいことなのに落ち込んでいる。まだ横断幕が来てないから実感がわいていないんだと思う。県別2、3位だったのが、私がもともといた店舗で、私にコーティングを教えてくれたスタッフ。その大先輩で施工歴も長い2人。実際私は半分施工の順番が分からなくて、県チャンピオン戦のとき、施工よりも順番どうだったっけ、エンジン消すタイミングどこだっけと聞いているレベルだった。県別チャンピオン決まったとき、「本当に私でいいんですか?」というレベル。来年は誰が勝ってもおかしくない。来年のことを今から考えている。

入社して3年。お客様の車を1人でコーティングできるようになったのは今年に入ってから。それまでは2級を持ってなかったのでできなかった。1級施工者さんと一緒に半分ずつやって、見直ししてもらっていた。もうそろそろ2級欲しいなと思っていた時、会社的にキーパーを押しているので、全員が資格取ることになった。2級のための練習をはじめたとき、コンテストに出たいといった。でも資格持ってないと予選会に参加できなかったので来年と思っていたら、進藤さんが、検定のときの私の施工を見て、「県別チャンピオン戦に招待するので出てもらえないか」と会社の上司にかけあってくれた。それを聞いた時、うれしくて泣いた。コンテストに出れるんだって。別に優勝を狙っていたわけでなく、いろんな会社のうまい選抜選手の施工をみたいというのがあった。優勝するとは自分でびっくり。結果発表のときはボロ泣きした。

 

キーパーが大好き。コーティングも好きだが、ロゴも好き。自腹でキーパートムスのHPからTシャツを買っている。2018年バージョンが出たので、私と母で買った。それを制服としてきていいよという許可が出ているので、1級つなぎを着るまではそれを着ている。県チャンピオン戦もキーパーTシャツで出た。全国大会はダメで、1人だけ1級つなぎじゃなかった(笑)。

 

3/19に2級を取って、4/4に県チャンピオン戦だった。2月から休みが全部2級検定に向けての練習、3/19まで続いた。それが終わったら県チャンピオン戦に向けて、半分施工の練習が始まってやっと明日、何にもない休み。小学校1年生の子どもがいるが、2月の休みは潰れていた。しかし、母や祖母が「施工の練習するんだったら休みやけどいってきな」と言ってくれ、練習ができた。家族や今のSSのスタッフ、もともといた店の県2、3位のいるスタッフ。その人たちがいなければ県チャンピオンは取れていない。感謝している。

シンデレラストーリーだと思う。ポリッシャーも稟議がおりた!これまで手でやっていたが、手でやるのも限度がある。全国に出たことで、1級の資格も取りに行ける、ポリッシャーも買ってもらえる。最高ですよ、はっはっはっは!県別チャンピオンになった!全国大会に行く!とお客様には言っていた。

 

キーパーの商品のファン。商品のレベルが上がっている。半年後に谷社長が何か新商品が出るとおっしゃっていたけど楽しみ。どんどんいいものがでてきて、どんどん車がキレイになるのがいい。施工後の手入れのしやすさなどもお客間に聞く。「汚れがすぐ落ちるよ」「汚れにくくなったよ」と言ってくれる。施工直後のお客様の顔を見るのも好きだが、それ以降、次回施工までのお客様の反応も毎回聞けるのが嬉しい。

 

スタンドで働き始めたきっかけは、母が働いていたスタンドで、人が足らなくて12月の1ヶ月間だけバイトで入ってくれと言われた。母と同じ店舗にいて、移動にお互いになった。社員になって3ヶ月。以前はお弁当屋さん。毎朝起きて仕事行くのが嫌だった。スタンドで働きはじめて、お客様と楽しい会話をして笑って、しゃべるの好きなので、こんなにしゃべってお給料もらって、オイル交換とかの作業も好きなので、こんなにも向いている仕事はない。きっかけがなかったら、今も弁当屋さんにいたかもしれない。本当に感謝。天職としかいいようがない。朝出勤時間より早く行って、無駄に会社にいる。朝起きて仕事がめんどくさいと思ったことは一度もない。

 

バイト時代、社内のフィールドサービスコンテスト(接客コンテスト)やオイルなどの商材別コンテストに出てみないかと言われ、2回優勝して全国に行っている。でもコーティングの施工には自信がなく、私の母と県チャンピオン2位になったスタッフの施工を2年間ずっと真横で見ていた。1級つなぎを着ている2人を見て「私もいつかつなぎを着て、後輩やバイトの子にかっこいいなと思われたい」とうまくなろうって思ったのがきっかけ。楽しくてしょうがない。

・・・・

 

今後の目標は、全国制覇。でもそれがゴールでなく、以前のチャンピオン、水谷さんが鹿児島県で、4/4の鹿児島の県チャンピオン戦に来ていた。自分の会社のSSのスタッフたちを育て、何人も予選を通過していた。自分が施工を教えたスタッフが、県チャンピオンになってまた全国へ出場するというのも夢。自分が教える側になりたい。自分だけ自己満でうまくなっても仕方ない。私がいなくなったら、プロショップでなくなるかもしれない。品質が落ちてしまったら意味がないから。

 

 

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2022年07月10日(日曜日)

07.10.やれると思ったら、やりたくなる。その繰り返しだが・・

“昨年”の7月上旬はまだ、梅雨が明けていず

前年7月の前半は、若干、低迷気味だったせいもあって、

今年の7月の途中経過が前年に対してすごい事になっている。

ただでさえ酷な猛暑の中で、店舗のみんなの健康が本当に心配です。

 

しかし今年の人員数は、昨年の人員から170名の純増なので、

忙しさのバロメーターでもある人時生産性は、

そこまでは上がっていません。

しかし、一番実績の上がっている関東地域では、

すでに危険領域の8,000円/人時~10,000円/人時を越している店舗まである。

「忙しすぎる警報」「大至急人員の補充を」のサイレンが、

すでに鳴り響いている事態だと言えます。

ただ、今年はEXキーパーが大きく伸びていたり、

作業性の高いクリスタルキーパーが「カンブリア宮殿」から劇的に増えて、

その両方の効果で平均単価もかなり上がっており、

作業効率も相当上がっているので、

人時生産性の伸びが、

そのまま”忙しすぎる指数”のアップ度に直結している訳ではありません。

だから、危機的状況という所の事態にまではなっていないのが実情のようです。

 

しかし、こんなハイペースがこれからもずっと続いたら、

何話か前のコラムで書いたように、

今年の12月に15憶円なんて冗談のような実績も生まれかねません。

しかし、今のままでそんな事態になったら、

お客様からの需要をお受けしきれないという形で、とても実現しないでしょう。

年末名物の当社内外からの大応援団があったとしてもとても無理です。

当然です。

 

しかし、肝心な需要の方にそれだけのポテンシャルがあるとしたら、

問題はこちら側がどうすればそれに応えられるかという事なので、

こちら側がこれに応えられるような態勢を、どう造って行くのか。

短期間にどのような手が打てるのか。

何をすべきか。

みんなで考えて、意見をぶつけ合いながら策を造り上げて行けば、

いつものことだが、

だんだん出来そうな気になってきて

その内、やれると思ったら、

みんな一人一人が「やりたくなってきて」、

やりたいと思って、やって行くと、いつの間にか実現してしまって、

それぞれの店舗、部署の「達成会」で大騒ぎして、飲んで、

考えてみると、

こんなことの繰り返しでここまで来た。

 

やれると思ったら、やりたくなる。その繰り返しだが・・

その繰り返しだが・・今回も、また、やるのだろうか。

 

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2022年07月09日(土曜日)

07.09.人には「やらせる側」と「やらせられる側」の二種類があるのか

起業した人が、汗水たらして頑張って会社が成長してきたら、

「部下を信頼して任せているから」と、

もう自分は現場に入らず、キレイな格好して、

「つきあい」とか「接待」とか言って、

客先とか友人と飲み食いに歩き、昼間っからゴルフ三昧で

現場での実作業をやらなくなってしまう人が多い。

その奥さんも、起業の時は夫と共に働いていても

人が増えてくると金勘定と銀行通いだけが仕事になってしまったり、

自宅から出なくなって、

習い事とかお友達とのお付き合いだけの優雅な奥様になる方がいる。

 

私はゴルフはやったことがないので分からないが、

一緒にプレーする相手が仕事に関係する人であっても、

ゴルフが仕事になることはあり得ないと思う。あくまでも遊びは遊び。

夜の会食でも同じで、やはり遊びは遊びであって、仕事の延長ではない。

少なくとも、

起業して発展途上の会社で、社長が現場を離れて、

仕事にかこつけて、

自分が遊んでいることを正当化している人に成功している人は一人もいない。

少なくとも、私は一人も知らない。

 

起業家は元々、どこかの会社に属したサラリーマンであった場合が多いが、

その場合、自分が「使われる側」「仕事をやらされる側」なので、

その会社のオーナーであったり社長である「やらせる(使う)側」の人に、

やる仕事を制限されて、面白くないこともあり不満を持つこともあるだろうし、

その仕事から得られる利益を、使う側に搾取されて、

自分は損をしていると不平を感じて、「使う側になろう。」と思い起業する人や、

得をする側になろうと思って起業を決意する人も多い。

あるいは、そのこと自体を理不尽と感じて独立する人もいる。

 

自分の今いる立場が「使われる側・やらされる側」なので、

それで不自由であり、

それで金が儲からないのだから、

自分は反対に「使う側・やられる側」になろうと思って起業する人は、

起業したその会社がうまく行って、社員も増え、

お金に不自由しなくなると、

「部下を信頼して任せているから」と、

もう自分は現場に入らず、キレイな格好して、

「つきあい」とか「接待」とか言って、

客先とか友人と飲み食いに歩き、昼間っからゴルフ三昧で

現場での実作業をやらなくなってしまう人が多い。(最初の文章のコピー?)

 

しかし、そうなると、自分が「使う側」になったのだから、

会社の他の人、社員はすべて「使われる側」「やらされる側」になってしまい、

会社、とりわけ「使う側」に、不平不満を感じるのが当たり前になってしまう。

「使う側」と「使われる側」の利益と目的が相反する事になってしまう。

当然、お客様との利益とも反するような経営をすることになって、

そんな会社が伸びる訳がない。

早々に潰れて無くなってしまう場合がほとんどだ。

起業して何年か後、急に羽振りが良くなる人の会社は、ほとんど続かない。

社長が現場から離れて仕事をしなくなったらいずれ100%潰れる。

 

「使われる側」が嫌で、

「使う側」になろう。と考え、起業した人は、

必ず行き詰る。私もそうだった。

 

私の場合は、起業のきっかけがあったのは40年以上も昔のことだ。

当時、自分が「使われる側」にいるという意識はまるでなく、

仕事が面白くて、大好きで、成績も良く、満たされた毎日だった。

いずれは管理職になって現場を外れ、

痛い左足にはそろそろ負担になってきた現場から解放されたいと思っていた。

 

そんなころのある年末、

私がいた店舗(ガソリンスタンド)では、

年末恒例の「洗車」の列が出来ていた。

当時はまだセルフのドライブスルーは無かったので、

洗車のお客様たちは、私達スタッフに車を預けて、

私達が洗車機を使って順番に洗車をするのを待っていた。

年末その数10~20人もいて、洗う方も大変だが、待つ方も大変だった。

そんな大忙しの中、

会社の経営者の息子(社員になっていた)が車に乗って来た。

私はそれを忙しい最中に対する慰労の意味の訪問だと思ったのだが、

彼が来るなり言ったことは

「僕の車の洗車、こそっと先にやってよ。」だった。

この忙しい時に、

たくさんのお客様を待たせて一生懸命、

みんなクタクタになって働いている時に、

「僕の車の洗車、こそっと先にやってよ。」には、頭に血がのぼって、

何を言ったか覚えていないが、強い言葉で怒鳴って、追い返した。

 

その事自体は、息子も「まずい」と思ったのか、全く問題にならなかったが、

私は、彼がはっきりと「使う側」にいて、

私は「使われる側」で、

いずれは「使う側」にいる彼が会社の経営を継いで、

私は、使う側である彼の為に働くことになることが思い浮かばれて、

それは絶対に出来ない、嫌だと思って、年が明けて直に辞表を出した。

 

そのあと、二社に入社して働いたが、

どの会社にも不動の「使う側」がいて、

「使われる側」の私は、

今の社長だけでなく次の社長(子息)にも、

「使われる側」として、「使う側」のその人の価値観で、

自分の価値観を押し殺して、或いは「使う側に」従属して働き続けるのか。

それは出来ないなと思って、起業する方向に力を傾けた。

 

だから私は自分が「使われる側」から「使う側」になろうと思った訳ではなく、

「使われる側」であり続けることを止めただけだった。

 

しかし、実際にガソリンスタンド経営者として起業して、

私の店には私と連れ合いと、

もう一人か二人、誰かがいたが、

その誰かは、いつも落ち着くことなくすぐ辞めて、次を入れてもまだ辞めて、

その店舗には、二年間ぐらいはずっと3人~4人のままだった。

その頃の私は完全に「使う側」になっていて、

よく怒鳴っていたし、いつも高圧的だった、

特に私の連れ合いには、

家族だからと言って甘くしたのでは他の者に示しが着かないと、

特に厳しくしていたような気がする。

 

そんなある日、連れ合いが「おなかがすごく痛い。」というので、

病院に行かせたのだが、病院から帰ってきて

先生に「すぐに入院しなさい。なるべく早く手術をします。」

と言われたと、私に告げた。

そのまま彼女は入院した。

それを聞いた時、私は心底から後悔して、店の真ん中に立ち尽くして泣いた。

 

あれほど嫌った「使う側」に、

起業したら自分がなっていて、

「使われる側」に連れ合いを置いて、

気遣いなく、容赦なく使ったのだった。

それで、大切な家族をすぐに入院させなければならない程傷つけてしまった。

 

私は「使う側」として、

主人が使用人を使う事が当然のように、無慈悲に、共感も持たずに使った。

それは私が起業する時に最も嫌ったことだったはずなのに、

起業して自分が社長になったとたんに「使う側」なってしまい、

自分以外を「使われる側」に置いてしまった。

しかし、家族が、自らが傷つくことによって、

私に大きな後悔を持って、その愚かさを教えてくれた。

 

この事があってから、多分、私の中の何かが大きく変わったのだろう。

みんなに対しての態度も言葉も根本的に変わったのではないだろうか、

あれ以来、社員が辞めなくなって、

みるみる社員が増え、

次の店舗を立ち上げていくうちに、コーティングに出会って今に至っている。

 

起業してからしばらく、私は「使う側」になってしまい行き詰っていたが、

使われる側になった連れ合いが自ら傷ついて、私にその愚かさを教えてくれた。

 

今は、従業員が800名ぐらいになったが、

遥か昔、夫婦二人から社員が中々増えず、

家内営業から会社に変われなかった頃の、会社の育ち始めの頃のことです。

 

 

人には、もともと「使う側」と「使われる側」の区別があるのか。

そんなものがある訳がない。考えるまでもない。

生まれつきの「使う側」の人間、「使われる側」の人間なんてある訳がない。

男女平等と全く一緒だ。

余りにも単純で、話にならない。

学歴だってそうだ、高学歴が「使う側」で、

低学歴の者が「使われる側」なんて、まったくもって嘘っぱちだ。

 

あるとしたら、

社長とか、部長とか、課長とか、店長たちの役職者は、

それぞれの段階にあって、

仕事の結果が優秀であったか、人望があるので昇進し、

その職域においての「リーダー」として、

所属の仲間を引っ張って行く役目と、

職域(例えば店舗)をよりよく改善して、進化、成長させていく事。

そのことによって会社全体(みんなが)が成長し、発展していくのだろう。

 

決して、その職域(例えば店舗)において、

「使う側」になった訳ではない。それを勘違いすると

賀来社長が彼のブログの中で言っていた愚かな「バックヤード店長」となる。

“長”を貰ったとたんに、

自分は働かなくなって、自分は楽をして、

他の者達に働かせることが、自分の仕事だと勘違いする者がいる。

店長になったとたん、

「使う側」、「やらせる側」になったと勘違いする者は、

立場を下げるしか、その勘違いを修正する方法がない。

 

 

「蚊」ではありません。

「青トンボ(郡上の人曰く)」だそうです。

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2022年07月08日(金曜日)

07.08.見知らぬ者の自己満足の為の殺人で、死ぬとしたら

今日の安陪元首相暗殺の事件は、

この41歳の犯人は思想的あるいは宗教的、政治的な背景があって、

それを元に、安倍元首相を「敵」として暗殺したのではなく、

つまり何らかの大義名分のある目的があった訳ではなく

あの犯人の、自己満足の為、自己顕示欲の為だけに犯行に及んだのではないのだろうか。

そんなような気がしてならない。

だとしたら、亡くなった安倍元総理がそれを知ったら、

どんなにか悔しいだろうか、想像に難くない。

 

政治は戦いであり、

たとえば政敵の凶弾に殺されたのならば、

それは戦いの中での討ち死にであり、

良い悪いは別にして「負け」という一つの意味を持つ。

相手がどんなに卑劣な手段を取ったにしろ

「戦いに負けた」という意味にはなる。

しかし、

政治信条などに関係なく、

動機がただ単に「大きい事をやりたかった。」とか、

「世間から注目されたかった。」だけだったりしたら、

自分の死に、「負け」という意味すら持てなくなってしまい、

本当に死んでも死に切れないだろう。

私だって、そんな死に方だけはしたくない。

 

自己満足の為だけに人を傷つけるような卑劣な行為は、

日頃の生活の中にもゴロゴロしている。

学校の中での陰惨な「いじめ」であり、

自分勝手な動機で子供を放置して死なせてしまう鬼のような親であり、

自己満足の為に何万人もの人を殺しても平然としているプーチンのようだ。

奴は自己満足の為だけで

無数の人を殺すことになる核爆発でさえ、躊躇しないのだろう。

 

そんなことで人類が全滅するのだとしたら、

誰でも死んでも死にきれないだろう。

 

 

今はただ、凶弾に倒れた安倍元総理のご冥福を祈るばかりです。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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