2022年03月21日(月曜日)
03.21.LABO東郷店、知立店、刈谷店、東海店、
次に行ったのはLABO東郷店。
この店は、LABOで最初にドライブスルー洗車機を入れた店で、
そのドライブスルーが人気で、いつも列をなして並びます。
しかし、その列が長く並び過ぎて、
本来のKeePer LABOの方に入りづらくなってしまっていて、
それをどうしたらいいのか、考えあぐねてしまっているところです。
しかし、
「LABO東海店」を西日本トップの店に育て上げたスーパー北村が、
東郷店に常駐して、素晴らしい実績を上げながら店長を育てています。
その大改善ぶりを見ると、
たまにしか行くことがない私には、
東郷店の問題点としてドライブスルーにばかり目が行ってしまうのですが、
普段の運営活動の改善や、品質の改善でここまで改善できるとは、
東郷店のポテンシャルと
北村君の力量が確実に上がって来ている事を実感します。
この日約50万円の売上と、月計前年比215%の実績で、
すでに!前年同月計を越してしまっているほどの凄まじい快進撃ぶりです。
ホアン君と、山田君、大成長中の友田店長と、スーパー北村課長。
もう一人、うっかり川下君の写真を撮り忘れました。失礼しました。
次の「LABO知立店」は、KeePer LABOがまだ「洗車屋快洗隊」だった頃、
約20年前、刈谷店の次に開店した2号店です。
大きなショッピングモールのはしりだった「アピタ」が目の前にあって、
この地域一番の集客力のある場所でしたが、
知立店に車を預けて行くには都合が良かったのですが
たった120坪の店で、歴代の店長たちが運営に苦労していた記憶があります。
それが昨年、たまたま隣地の庭園展示場が廃業されると聞いて、
鈴置専務が話をつけ、隣地も一緒に借りることに成功し、
面積を一挙に倍増し、アピタからも良く目立つ店舗に生まれ変わったのです。
しかしこの場所は、たくさんの集客はありますが、
一定の人たちに限られており、LABO店舗のキャパシティが倍増したと言って、
来店客がすぐに倍増する訳ではなく、
若い店長たちが苦労していましたが、名古屋営業所の責任者であった酒井君が、
今一度、店長経験と店舗成長体験を積みたいと名乗りを上げてくれ、
その知立店を、目立って盛り上げてくれています。
只今、前年比150%以上の実績を着実に上げつつあります。
元祖とも言うべき大友さん、二度の大病から立ち直って筋肉質でお元気でした。
知立店の新しい星のごとく酒井店長。
高森君
市野君
百合草君
もう建ってから35年は経っている「アピタ」、そのデザインはいまだにモダンだ。
知立店から車で20分。
1985年起業の地、KeePer発祥の店、KeePer LABO第1号店の「刈谷店」。
何回かのお色直しと、二回の建て直しを経て、
最新設備のKeePer LABOとして運営中の刈谷店は、
最新かつ大規模な新店がどんどん立っていく中、
いまだに平均的かつ十分な実績を維持しています。これは大変なことです。
下地君、中根君、木村君、
富上君、近藤君、大阪から吉識店長。
この日最後の「KeePer LABO東海店」
数年前、スーパー店長北村君が、
普通の実績でしかなかった東海店を西日本ナンバー1の店に育てました。
昨年の部分改装で、三連KeePerブースを新設して、
コーティング施工能力が飛躍的に上がり、
実績も上がりつつあるが
他LABO店の成長が早くて、トップ集団の一店舗の中に埋もれつつある。
ここからまた、どう飛躍するのか。
左は西日本LABO運営部長の野崎君。この日は彼のLABO巡回に便乗しました。
青森の弘前からLABO運営研修中の丹藤さん。大変熱心な方です。
熱血の桑鶴店長。
情熱の杉山さん。
玉村君と大島君。
竹沢さん、重松君、近藤君。
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2022年03月20日(日曜日)
3.20.まずLABO長久手店、高針店、COCO一番店、鳴海店、
今日は、昨日からの予定通り野崎君の車に乗せてもらって、
LABO巡回に便乗させてもらいました。
久し振りなので、結構、浮き浮き気分です。
野崎君は気を利かして、バカでっかいお茶のペットボトルを
2本も買ってくれていて、まるで遠足のようです。
最初に行ったのはLABO長久手店。
立地のマーケット的には申し分ないのですが、
視認性に問題があって、立ち上がりは中々難しかったが、
三年目に至り、店長をはじめスタッフたちの努力もあって、
好立地の店舗らしい実績を上げられるようになってきた。
今日も約45万円の好実績を送って来ていた。
前年比もいつも、かなりハイペースで目立つ存在であり、
今月も130%オーバーなのだが、
今月に限って言えば、他がすご過ぎて、店長のどや顔もいまいちであった。
左から、小楠君、青山君、横山店長、
副店長の田中君が裏の喫煙スペースで9番中(休憩中)
もう一人の田中君は接客中で、話が弾んでいるようだったので、遠目でパチリ。
次に行ったのが「LABO高針店」。
この店舗はトヨタ自動車の販売店に隣接していて、
大きな店舗ではないが販売店との協力関係が良好で、
また好立地も手伝って、高い実績を上げていたが、
やり手の店長が昇進して出て行った後、前副店長が店長に上がって
そこからの伸びに苦しんでいた所に、
LABOの申し子のような岡野課長がつきっきりで、やるべき運営を直接見せ、
本日も100万円弱の強烈な実績で前年比233%の奇跡を進行中。
とんでもない事になりつつあります。
左から前村君、久米君、市野君、波間君、大成長中の鷲見店長、スーパー岡野
名古屋市名東区のLABO高針店から郊外の東郷町のLABO鳴海店に行く途中、
日本一(世界一?)のカレーチェーンCOCO壱番屋の店に入りました。
入り口に「カレーラーメン」と書いてありました。
カレーうどんは大好きですが、カレーラーメンは食べたことがありません。
食べてみて、美味しくはありましたが、ただそれだけです。
※食べかけの写真ですみません。
ここで、考えました。
これからやるべきことが見えたような気がしたのです。
しかし、いっぱい書くことがありますので、
この事については、今度また書くことにします。
午後一番に行ったのは「KeePer LABO鳴海店」
鳴海店は二年ほど前に広い土地に新しい土地を借り
大きな店舗を新設した店で、住宅地の真ん中にあって、期待が大きかった。
しかし、移設前の狭い店舗から驚異的な伸びを見せることなく、
いまいち伸び悩んでいたところに、
営業部の地域責任者の安藤マネージャーが、
「営業職になって、LABOの時のように体を動すことがなくなったら、
足に血栓が出来る病気になってしまったので、健康の為にLABOに戻った」
ので、安藤マネージャーとして、
鳴海店の大飛躍を彼に託して常駐してもらった。
そうしたら、この場合も
鳴海の実績をみるみる上げてくれただけでなく、
LABOでの体の動かし方と運動量が彼の病気にピッタリ合ったのか、
「ものすごく調子が良くなって、すごく元気です。」だそうだ。
ちなみに、
今日は、約60万円で、前年比が今のところ191%だそうです。
彼も、LABOの何たるかを知っていて
びっくりするような実績を出し、店長を造り出すスーパー安藤だったのです。
左から、高橋君、東君、
左から、そのスーパー安藤マネージャーと、伊藤君
そして川上君。
とりあえず今日は7店舗行った内の3店舗分を書いてアップします。
明日はLABO東郷店と、知立店から刈谷店、東海店の4店舗を書きます。
また高針のCOCO壱番屋で思いついた事についてはまた今度書きます。
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2022年03月19日(土曜日)
03.19.何もしない日は、やっぱり無理かもしれない。
体調がすっかり良くなると、
それが精神的にも大きく影響してくるようなのです。
何と表現したらいいのかよく分からないが、
入院中であったり、どこかが痛かったり、手術の日を控えている時は、
心のどこかが平らではないのが自分でも分かっていて、
心のどこかで何かを耐えているのです。
それが、もうどこも痛くなくて、
次の入院の予定もなく、もちろん手術の予定もない、
いわゆる何もない状態になって、
心が解放されていて、平らな状態になると、
何かをやっていないと、ものすごく勿体ない気持ちになるのです。
先週も一週間、隙間がほとんどなく予定が入っていて、
それも時間の密度が極端に高くなるような
機関投資家の方が相手のIRインタビューが続いたり、
大切な来客をお迎えしたりして
精神的な疲れと、ストレスが高まる時間が続くと、
日曜日の休みが楽しみに感じたり、
週半ばの水曜日をちょっとだけ早く帰る日に決めたりもするのです。
しかし今日は、土曜日なのに珍しく何も予定が入らなかったので、
一日何もしない日にしたのですが、
何もしないと、時間の流れがものすごく早く感じたり、
逆にちっとも時間が経たなかったりして、
いずれにしても、
大切な残り少ない命の時間を無駄にしてしまったような気がして、
無性に勿体ないのです。
だから、
体調を崩してからもう何年もやらなくなっていたLABOの店舗回りを、
KeePer LABO運営部長の野崎君が日曜日に巡回をすると予定にあったので、
それに便乗してしまおうと決めたのです。
店舗に着くたびに降りて歩くことになるので、
足が体力的に持つかどうかが気になりますが、
やれるだけ車イス無しで回って見ようと思っています。
これまでも単発的なLABO店舗訪問は少しはありましたが、
本格的な巡回のような訪問は何年かぶりです。
KeePer LABOの前身である「洗車屋・快洗隊」の
1号店の「刈谷店」を造ったのが2001年。このブログ始まった年と同じです。
2号店の「知立店」を造ったのはその翌年だったでしょうか。
あの頃からいつも必ずどこかの店舗を廻って
17年くらいは、必ず毎週土日のいずれかは、どこかの店舗に行っていました。
今日、その知立店の前にある「アピタ」に買い物に行きました。
今日は休みと決めていたのでLABO知立店に寄る事もしなかったのですが、
新しく酒井君が責任者になって、
急激に実績が上がりつつある知立店は、
少し見ただけですが、ものすごく活気があって生まれ変わったようでした。
こういう姿をチラッとでも見てしまうと、
もうダメです。
野崎君に電話をして明日の便乗を頼んでしまいました。
たぶん、これは体調が本当に元に戻ったという証拠なのだと思います。
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2022年03月19日(土曜日)
03.19.空から最高の誕生プレゼント「雨」、やっと車がキレイになった。
私の70歳の誕生日は午後から雨が降りました。
黄砂だらけで汚れていた我がVOLVOは、この雨に曝してキレイになろうと、
ちゃんと屋外の駐車場に出してあります。
これは空からの最高の誕生日プレゼントです。
3月18日の0時43分には、
ドイツのドクターピッチからハッピーバースデーのメールが届いていて、
彼の家族の写真が添付されていました。
彼はたしか60歳近いと思いましたが、
このとっても若くて可愛い子供たちと明るい奥様クラウディアの存在が、
彼がちっとも老けないエネルギーの素になっているのでしょうか。
素敵なファミリーです。
ドイツ・ノイブルグのSONAX本社
たまたまではありますが、
台湾の周さんが2年ぶりに訪ねてくれました。
一日中、ご来客とIRインタビューをこなして
夜は仲間たちと家族でドイツ料理屋に食事に行きました。
退院から2週間経っているので飲酒解禁です。
だからドイツのバイツェンピールを2杯飲んで、
ワインをグラス2杯飲んだら、
もうすっかり酔っぱらい、
たまたま貸し切り状態になっていたレストランだったので、
みんな、ものすごく話し、笑って、とても楽しい時間でした。
入院していた頃を思い出すと、
完全に健康を取り戻したことによる代え難い幸せと、
仕事が思いっきり出来るようになって、
身いっぱいの生き甲斐を取り戻し、
充実感を取り戻せた事の幸せを
みんなの笑い声の中にいっぱい感じたとても幸せな時間でした。
でも、すっかり酔っぱらったので、せっかくの誕生日に
ほぼ毎日のこのブログを書こうとする前に、布団の上で寝てしまいました。
きれいなミモザの花の写真が送られてきています。
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2022年03月17日(木曜日)
03.17.辛夷(こぶし)の花は3月18日前後に咲くのだそうです、
「辛夷」を「こぶし」と読むなんて知りませんでした。
その辛夷が3月18日前後に咲くなんて事も知りませんでした。
私は、明日の3月18日が誕生日で、これでちょうど70歳になります。
そして、70歳は「古希」というめでたい歳であることも、
今日、誰かに言われて知りました。
「古希」をネットで調べてみると、
中国の詩人・杜甫の詩
「人生七十古来稀也(70歳まで生きる人は古来よりまれだった)」に、由来する。
本来は「古稀」という字でしたが、
今日では長生きしてほしいという希望の気持ちも込めて
「古希」という字を用いるようになりました。
と、ありました。
昔は、医学が発達していなかったので70歳でも長寿と言われたのでしょう。
私だって、100年も昔だったらとっくに死んでいただろう病気に、
これまでに何回かはかかっているはずだ。
だいいち私は4歳の時に「急性灰白髄炎 (ポリオ)」にかかっているので、
その時に死に至らなかったとしても、
もっと大昔だったら、まったく歩けなかったかもしれない。
そんな事は数えたらきりがないほどあっただろうし、
今月の1日に退院したこと自体、昔だったら無理だったのだろう。
だから昔なら、70歳は本当に「古来稀に見る長寿」だったのだろう。
しかし、今は大多数の人が70歳を越して、
平均でも男性が81.64歳で、
女性に至っては87.74歳まで生きるのだそうだ。
たから、私も平均でもあと11.64年生きることになるが、
老いさらばえて生きているだけの状態になってまで生きるのはともかくとして
目いっぱい元気に仕事をして、
活き活きと生きられるのはあと5年くらいだろうか。
ちなみに私の父も75歳まで生きて、最後まで元気だった。
三月1日に退院以降、毎日、
何件もの機関投資家の方からのIRをお受けしているが、
入院中、病院であまりにも暇だったので、このブログに入院中の事を書き過ぎ、
皆さんがそのことをご存じで、
「谷さん、お体は大丈夫ですか?」と、聞かれ、
かえってご心配をおかけしてしまったと反省すると同時に、
退院してくると、自分が歳を取っているので、
体(生命)のご心配をおかけしてしまうほどの年寄りになったと実感して、
「私もいい加減に、自分がジジイになったことを自覚しなきゃイカンなぁ」と、
重ねて、反省をしたのでした。
私の誕生日の前後に「辛夷(こぶし)の花」が咲くそうで、
「辛夷」の漢字を教えてくれた人は、
辛夷の花を見ると私のことを思い出すのだそうだ。
私はいつも「握りこぶし」みたいに力を入れていて生きているみたいだ。
とも、言っていました。
そんなことはないんだけどなぁ~と、自分では思うのですが。
「辛夷の花」
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