2021年08月19日(木曜日)
8.19.だからこそ今を大事に生きたいとも思うのです。
久し振りに朝9時から夕7時過ぎまでのフルタイム、
今日は、びっしりの予定をこなしました。
決算発表後のIR(機関投資家からの取材)が今年は非常に多いのです。
IRは1件当たり1時間と決まっていますが、
先方は数字のプロなので、次から次へと数字を伴った質問が来るので、
頭の集中がすぐにピークに達し、
1時間がものすごく長く感じる1時間なのです。
今日のように4件(4時間)ものIRと数件の来訪が、
隙間なくスケジュールに組み込まれると、終わるころには心底クタクタです。
それでも、
そんな長い1日がツラいのかと言えば、
ツラいなどとはまったく思えず、
充実感と物事が解決していく満足感で
家に帰る車の中で「今日はいい一日だった」としみじみと思うのです。
69歳にもなってから、そんな気持ちになれることに
本当に良かったと思うし、出来ればあと5年はこれを忘れたくないと思う。
企業が成長し続けられたから、こんな気持ちになれるのだったら、
色んな意味で今が一番充実して仕事が出来るので、
あと5年あったら、どこまで成長し、
会社とその仕事をどこまで意味のある存在に出来るかと思うと、楽しくて、
本当にあと5年は精一杯働きたいと思います。
だからこそ今を大事に生きたいとも思うのです。
8月中旬になってから秋雨前線が日本列島上に頑固に居座り、
新型コロナウィルスデルタ株が爆発的に感染拡大している世界で
新車の生産も半減する異常事態の中で、
こんな充実感を伴って仕事が出来ている幸せをしみじみ感じます。
昨日、小ミミがつかの間の晴れに庭に降りた小鳥に夢中でした。
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2021年08月17日(火曜日)
8.17.久しぶりの東京駅は不気味に静かだった
今、東京から帰る新幹線に乗ってます。
新幹線に乗るのはこの4月に入社式を分散して行った時に福岡に行った時以来です。
めっきり私も新幹線にも乗らなくなりました。
新型コロナ禍がこんなに長く続くと誰が思っていたでしょうか。
ワクチンを二度打って一か月以上経つので、
普通の生活に戻れるかと思っていたのですが、
確率的はうんと低くなってはいても
新形コロナに感染しないという訳ではないとのことで、相変わらずマスク姿です。
一緒に乗っている者がみんなワクチンを打った人ばかりの車の中では
マスクを外すこともありますが、
今みたいに新幹線の中で知らない人といる時は、片時もマスクは外せません。
特に怖いと思っていたダルタ株よりも、より重症化率が高く、
ワクチンの効きが悪いラムダ株という変異ウィルスが
一部の外国で広まっているそうで、
この新形コロナ禍は、
世界中でワクチン接種が進んで、
集団免疫が出来た所で終わりとは行かないようです。
人類滅亡のシナリオは、
破滅的な原爆の打ち合いで瞬間的に地峡上の生き物もろとも滅亡するか、
地球温暖化で、人口集中の都会でも最高温度60℃を越すような灼熱の中で滅ぶか。
しかし可能性が一番高いのは、
ワクチンが効かない最強の感染力を持ったウィルスの蔓延による滅亡と、
何かの本に書いてありました。
そんな恐ろしい事が、何か現実味が出てきていて不気味です。
新規感染者数の最高記録を連日更新しつつある東京は、
乗客が目に見えて減り、嘘のように静かになっていました。
突破口はどこにあるのか、
風邪のウィルスなんかに負けてたまるかと強く思うのでした。
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2021年08月16日(月曜日)
8.16.させられていれば、車はキレイにはならないのは、当然だろう
先の話で、有名なパン屋チェーン店の発祥の店が、
のれん分けなのか、どうか解らないが、店の名前が変わってから
同じような店舗で、同じ接客で、同じような形で、同じような味なのに
パンが魅力的でなくなって、なぜか美味しくなったのは
パンに”魂”を感じなくなったからと書いた。
しかし、魂とはいかにも抽象的で、いい加減な言い方なので、
もうちょっとよく考えてみた。
昔の大繁盛していた頃のあのパン屋は、
厨房でパンを造っていた若者が、
多分、オーナーからこんなことを言われていたのではないだろうか。
「どんなパンを造ってもいい、俺を納得させたら、店に出してやる。」とか、
逆に、オーナーが創作パンの天才で、
創るパンをお客様がすごく喜ぶので、若者たちはそれが嬉しくて、
美味しいパンを造りたい思って造っていた。
それがものすごく楽しくかった。
とか、そんなことを想像するのだが、
その店がチェーン店になって、たくさんの店の内の一つになって、
発祥のその店も誰かに売られて、別のオーナーが付き、
その会社が若者を雇って、使用人として使い、
それまでにヒットしたパンを、そのままのレシピで、そのまま造るように命じ、
使用人は、言われるがままにそのまま造らされていた。
その違いが、なぜ、同じような形で、同じような造り方をしているのに、
なぜ、美味しいと感じられないパンになってしまっていたのか。
同じようなことを洗車とコーティングに思うのです。
洗車とコーティングは、
例えば洗車でも、
同じ道具を使って、同じケミカルを使って、同じ技術を使って洗っても、
その車のお客様に喜んでもらうことを楽しみにして洗うのと、
一つの作業として洗わされるのとでは、ぜんぜん仕上がりが違うものです。
同じ道具を使って、同じケミカルを使って、
同じ技術を使って決まったように洗っても、
自分の意志で「キレイにしたい」と思って洗うのと、
単に給料の為だけに洗わされるのでは、キレイさが全く違う。
決まったように洗っていて洗い残しが見えても、
キレイにしたいと思って洗っていれば、自然にその洗い残しを取る。
そんなことは当たり前だろう。
しかし、
その人が洗わされているだけなら、
それが見えても、
「俺は言われたようにきちんと洗っているのだから、
洗い残しが出たのは、俺のせいじゃないので、ほっておく。」などと、
そのままにして気にしない。
あるいは極端な話、それが洗車機ならば、
洗車機は洗い残しが出ても気が付きもせず、決まった動作が終わればそこまで。
洗車機には魂が無いのだから、当然だ。
これがもっと難しいコーティングになると、
その差は歴然となるはずだ。
洗っただけのキレイさとは別次元のキレイさを作りだすのが、
コーティングなのだから、
本当にその車を”キレイにしたい”、と思わなくては、
別次元のキレイさなんて作りだせる訳がない。
決まった道具で、決まったケミカルを使って、決まったように作業しても、
本気でキレイにしたいと思わなくては、
車は本当にはキレイにはならないのは、当然だろう。
そんなことを、日曜日にもかかわらず、
ガランとしている昔大繁盛のパン屋を見て思ったのです。
おまけです。これを書いている傍らで寝るチーちゃん。
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2021年08月15日(日曜日)
8.15.同じ店舗で同じ接客で、同じような形で、同じような味なのに
私たちの会社の近くに
ある有名なパン専門店チェーン(60店?) の発祥の1号店があって、
その店は、今45歳の私の娘が高校生の頃開店したはずなので、
30年くらい前に起業したのだと思う。
て私が起業したのが37年前だから、
私がガソリンスタンドの運営を諦めて、
店舗を洗車とコーティングに転換した頃と同じころです。
そのパン屋はすごく大きな建物のパン屋で、
独創的な創作パンをその店舗の中で造っており、その様子が店内から見える。
並べられているパンの一つ一つに創作意欲が溢れていて、
眺めているだけでもワクワクして、
つい、たくさん買い過ぎてしまうような魅力的なパンでした。
買ってきたパンを、家で食べると、
どのパンも買った時のワクワク感のそのまま美味しくて、
私も、娘も何度も何度もそのパン屋に行って、
その度に抱える程いっぱいのパンを買いました。
だから、店はいつも半端なく混んでいて、
駐車場に入るのにも苦労するほどでした。
あのパン屋が、いつのまにか全国に店を出して、銀座にまで店を出して、
有名になっていたとは、かなり後まで知りませんでしたが、
あのパンなら、そんなものすごい発展に合点がいきます。
ところがその発祥の地の店舗が、
最近のある日、直営店ではなくなって、
誰かに”のれん分け”されたようで、店の名前が変わっていたのです。
しかし店舗全体のデザインも店の様子も同じだったので
いつものように行ったのですが、
何に入って、陳列されているパンを見ていて不思議にワクワクしないのです。
前と同じようなパンが、
同じように並んでいるのですが、
なぜか、その一つ一つがこちらの気持ちをそそらないのです。
何がどうしてなのか分からないのですが、なぜかおいしそうではないのです。
それでも、一応前からの定番の名物パンを買ってきて、
家で食べたのですが、やっぱりピンと来ないのです。
不満を感じるような変化ではないのですが、
何かが変わっていて以前のように、美味しい~っとは思わないのです。
そんなことがあってから、その店には行かなくなっていたのですが、
ふと、今日その店の前を通りかかったら、
日曜日というのに、ガラガラだったその店を見て、
ぞっと恐ろしくなりました。
何がダメになって、
そんな風にガラガラの店になったのか、
同じような店が同じような雰囲気で、
店員さんの接客も前と同じでした。
それで同じようなパンが、同じように並べられて、同じ値段で売られていて、
同じように買いに来たお客様が、なぜかもう繰り返し来なくなって、
いつの間にか、店がガラガラになった。
何が変わったのでしょうか。
自分の店がこんな風になったらと思うと、
ぞっとするような恐怖を感じたのです。
何故か?
抽象的な言い方ですが、
”パンに魂が入ってなかった”からだと思いました。
パンが
同じ形で、同じような味がしても、そこに魂を感じなかったのです。
何と表現したらいいのか分かりませんが、
自分の店にも同じようなことが言えるとしたら、
どこをどう手を打ったらいいのか、よく分かりません。
魂が入っているかどうかって
何でそんなことを私は思ったのでしょうか。不思議です。
私の会社の発祥の刈谷店に行ってみました。魂はあるか。
最初は「共同石油 高津波給油所」
次に、目の前に出来た敵に対抗して「リンクスステーション」全面改装
闘いに勝って、
でも、ガソリンスタンドをやめて1年休業、
次に小改造して「快洗隊 刈谷店」→「KeePer LABO 刈谷店」
二回目の全面改装して、今の「KeePer LABO刈谷店」
ただいま、刈谷店は、
強力な助っ人を得たこともあって、前年比200%を実行中で絶好調。
まず、夏のシーズンのLABO訪問はお約束の”アイス”いっぱい。
と、思って言ったら、フィールドに一台もお客様の車がいずビックリ
でも、コーティングブースの中にはちゃんといっぱい車がいました。
2021新卒入社組のナンバー1、一級技術資格中尾スタッフ
岡野課長兼店長、富上副店長、一級技術資格下地スタッフ。
魂はしっかりあるようです。
次に、発祥に近いぐらい古いKeePer LABO東海店に行きました。
ほとんど一番若い店長桑鶴店長と、ほとんど発祥に近い横山課長。
一級技術資格玉村スタッフ。
この広大なテントはなぜできたのか、決着をつけなくてはならない。
一級技術資格近藤スタッフ、大島チーフ。
猛暑が無いのはいいが、多すぎる雨はさすがにボディーブローで応えてきた。
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2021年08月14日(土曜日)
8.14.「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に活かせ。」とは思わない。
「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に活かせ。」とは、
パラリンピックのテレビコマーシャルの中で言っていた有名な言葉らしい。
言葉としては普通にいい言葉だが、
これは健常者から障害者を見た言葉で、
障害者が自分の持っている障害に負けずに活躍する所を見た言葉です。
実は、障害者自身ははそんな風にはまったく思っていないのです。
何故かというと、
私も自分が4才でポリオを罹患してその時から障害を持っていますが、
「自分にこの障害が無かったら、どんなに良かっただろう。」
とは、思ったこともなく
「この障害が無かったら、こんな苦労はしなかったのに。」
とも、まったく思いません。
だから、
人生のほとんど最初から障害を持っていると、
その障害を持っている自分が自分であって、
自分にとってはそれが普通だから、
「この障害が無かったら…・」とは全く考えたことが無いのです。
だから、
最初の言葉「失ったものを数えるな。・・」は、
そんなものは数えたことが無いので、
かえってよく解らない言葉で、
本人にとっては「失ったもの」という概念すらないのです。
だから
「残された機能を最大限に活かす」とも思っていません。
普通にただ頑張っているだけです。
障害があったとしても、無かったとしても同じです。
しかし、子供の時はずっと健常者で、
人生の途中から新たな障害を背負った人には、
この言葉が当てはまるのかもしれません。
そういう人は、その障害を解決できる可能性があるのなら、
その努力を必死でするでしょう。
元に戻れるものなら、絶対に元に戻りたいと最大限の努力をするでしょう
かえって逆に
「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に活かせ。」とは思いません。
私も最初から持っていた障害に加えて
歳をとってからもう一つ障害を背負ったので、
絶対に元に戻って見せると、強く思っています。
とすると、
「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に活かせ」とは、
人生の途中で障害を持った人で、
元に戻る可能性がない人に限るということになります。
しかし、こう書いてきて、
せっかくのパラリンピックの標語のような言葉に
ただ単にケチをつけているだけみたいで、
後ろめたくなって来たので、もうやめます。
可愛い小ミミの写真はサービス(笑)。
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