2021年07月03日(土曜日)
7.03.土曜日の富山日帰り往復
私の娘は富山に嫁いでいてご亭主と二人の孫と共に幸せに住んでいます。
その富山も、昔は北陸自動車道で約350kmを走りましたが、
今は日本列島を真っ二つに横断する山岳道路・東海北陸道が出来て、
片道約260kmで行けるようになり、
ほぼ富士スピードウェーに行くのと同じ距離に縮まって、
日帰りで往復するのが普通になってしまいました。
昔は、富山に行くなら必ず泊まって、
夜は富山のホタルイカとか寒ブリをつまみながら酒を飲むのが定番で、
富山行きは美味しく楽しい出張でした。
ところが、ある時点から富山行きは日帰りが当然になったのは、
東海北陸道のせいだけでなく,
東京からの出張も北陸新幹線が出来て日帰りになりました。
こういうのを”便利になった”というのでしょうか。
そうなのでしょう。当然そうなのでしょう。
しかし、私の昔の定宿には全く泊まらなくなって
私の昔の行きつけの飲み屋さんにも、もう何年も行かず、
その店が今でもあるのかどうかも分かりません。
今は特にコロナ禍なのでそうですが、
それにしても、つまらない。と思っているのは私だけでしょうか。
遠さ、遅さは、不便の代名詞かもしれませんが、
遠さ、遅さ、不便さは、仕事の楽しみを作り出していた潤いだったのかもしれません。。
そんなことを思いながら、今回も富山の日帰りです。
新店計画の為とともに、土曜日でもあったので、
娘を呼び出して目的地の近くの喫茶店でお昼ご飯を一緒に食べました。
ほんの一時間足らずの潤いでしたが、十分に楽しい時間でした。
朝、会社に集まって出発です。
駐車場の植え込みにソテツの花が咲いていました。
こんな大きな花が一晩のうちに咲いてしまうのは本当に不思議です。
帰りにほんの一瞬ですが、娘の家に寄りました。
家には洋猫のキキがいます。
私は日本猫が好きですが、洋猫も可愛いものですね。
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2021年07月02日(金曜日)
7.02.主観的・2021年6月のKeePer LABO直営実績。正念場の6月。
【前書き】
この解説は、先の「開示」が客観的であるのに対して
これはあくまでも私の主観的な見方を主とした解説であり、
先に開示されたものに対するものではありません。
例えば数値的に差異があれば、それは先に開示された情報が正しいものです。
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この6月は、ある意味、正念場のような月であった。
昨年から始まった新型コロナ禍のせいでKeePerが伸びたとの話があった。
いわゆるKeePerの新型コロナ特需説だ。
その伸びが昨年の6月から始まっていて、
その伸びが毎月130%~150%で続いていたが、
一周廻った今年の6月はもう伸びが無くなるのではないかと
懸念が一部で囁かれていた。
私たちとしては、それ以前に宣伝広告をマス媒体からSNSに変えていて、
この効果がダイレクトに感じられていた時期であるし、
新しく始めたデジタル100%のWeb予約の新システムが
著しい効果を上げていたし、
新型コロナとは別に関係ないのに、と思っていたので、
むしろ、この今年の6月が、それまでと同様の伸びを示して、
これが新型コロナ特需なんかではないことを証明できる月と期待していたのです。
その結果が、全店の前年同月比140.5%で、既存店でも135.2%でした。
それまでのアップ率と何ら引けを取らない伸びで、
この伸びの要素も、来店客数が122.9%で、平均単価が110.0%と、
前月までの傾向と全く変わらない。
さらに特筆すべきは、今年の四月に70人の新卒新入性を迎え、
この6月からは、その全員がとりあかず戦力になっているものとして、
すべて人時生産性の算出に組み入れたので、
急激に人数が増えで、分母が大きくなっているので、
人時生産性が急激に下がっても不思議ではないのに、
全店の人時生産性が、
6,448円/人時で前年比98%であったことは、
店舗としての販売力の底力が確実に上がっている証として注目したい。
また、最後の一日まで、トップを競り合った
「足立店」と「世田谷店」の1千3百万円台での天上での争いは、
久し振りに手に汗を握るデッドヒートであり、興奮させてくれた。
さらに、東日本の店舗の平均売り上げが1店舗当たり6,685,675円であり、
西日本の1店舗当たりの平均が4,450,631円で、大きな差が付いた。
これは、ここしばらくの全店大きな伸びが、
SNSでの広告と新Web予約に寄るものであることが、
インターネットに対する反応が、
中部と関東で大きな差があることに見事に符合している。
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2021年06月30日(水曜日)
6.30.KeePer TIMES 220号と唐突な夕焼け
昨日、KeePer TIMES 7月号の第一校の検討会議でした。
KeePer TIMESもこの号で220号となりました。
月1回発行が続いたとして
220/12で18年と3か月続いていることになりますが、
最初の頃は抜けている月もいくらかはあるので、
実質20年近く前から続いているものです。
そう考えると、私のこのブログも21年前から書き始めたのと同時期で、
あの頃は、毎日このブログを書きながら、
KeePer TIMESも全部自分で書かないと気が済まず、
隅から隅まで、一つの記事残らず自分が書いた記憶があります。
あの頃は、全国を駆け回り
全県を制覇し、百回以上も外国にも行き、
五日間の仕事での世界一周もしました。
そんな激しい移動の飛行機の中、列車の中でずっと書き続け、
あらゆる提案書、手紙、アピール文、広告に関わる文章も山ほど書いて
あの頃の私は鬼のように仕事をしました。
しかし、これは自慢話としてではなく反省として思い出すのです。
20年前、KeePerブランドを立ち上げ、ガソリンスタンドもやめて、
本気になって洗車とコーティングの事業を拡大しようとしていた頃で、
会社としての売上もやっと年商10億に届きそうだったくらいの時代です。
社員も20人ぐらいだったでしょうか。
何から何まで自分でやらないと気が済まず、一人何役もやりました。
自分が決してスーパーマンで万能だった訳ではなく、
人が描いたものが気に入らず、自分でやった方がマシであり早いと思えて、
溢れるパワーと若さに任せて、
ゴリゴリとやりまくったに過ぎません。
たまたまの機会に昔に書いたものを読み返すと、
内容的には気魄に溢れていて、自分の若さが懐かしくはありますが、
その表現は武骨で、ストレート過ぎて、今ではとても使えないものです。
よく、こんな”こん棒”のようなツールで、
たくさんの人を説得して来たものだと感心するほどです。
毎月、毎月、
営業社員、店舗社員を叱咤激励して
前年同月比売り上げ(総利益)120%必達を掲げて、一生懸命達成し
達成会で、みんなで飲んで騒いでいました。
よく怒りもし、怒鳴って社員を失い、落胆をまたエネルギーに変えたりして、
こんな、ひと月ひと月を、文字通り一生懸命頑張っていましたが、
120%をクリアするのが精いっぱいだったことを思い出します。
しかし今、
このKeePer TIMES 220号を目の前にして、
ふと、思うのは、
この号には私の文は一つも載っていないことです。
私はこの号に対して一つも記事を書いていません。
最近でも、たいてい一つの記事ぐらいは書くのですが、
この号に関しては、たまたま一つの文章も書いていません。
その必要を思わなかったし、会社の幹部達が書いた文と取材記事で十分であり、
これを読んだみなさんにも喜んでいただけると思います。
20年前の全部自分で記事を書いていた頃とは隔世の感があります。
会社には今、約700人の社員がいて、
みんながそれぞれの役割を果たして、大昔とは大違いの会社になっています。
何が変わったのでしょうか。
少なくとも今は、
あの頃のように何でも自分でやらないと気が済まなくはありません。
とても自分で何でもやることは出来ないし、
特に会長に退いてからは
「めんどくさい。」という言葉をよく使うようになりました。
別に本当に嫌がって言うのではなく、
今でもクタクタになるほどの仕事をしますが、
私が適当にめんどうくさがっていると、
みんながよく笑うし、楽しいし、色々なことを相談されても嬉しいし、
みんなの良い報・連・相と、
私の面倒くさがりが、
なんかうまく噛み合っていて、会社全体がかえってうまく回っていて、
かえって、思い通りに進んでいるようなのです。
何でこんなにうまく物事が回っていて、
会社が良い方向に進んでいるのかは、
新社長と新専務の献身的に働きと功績であることは勿論なのですが、
活動的ではなくなった私が、仕事を結構面倒くさがっているスタンスが、
微妙にうまく噛み合っていて、
こんなことも調子いい要因のような気がします。
誠に自分勝手で都合のいい面倒くさがりの言い訳でした。
自分の記事が一つも載っていないKeePer TIMES 220号の第一校。
ふと気が付くと、窓の外に赤い夕陽が差していて、
思わずカーテン引いてもらって写真を撮りました。
その夕陽も、本体が地平線上にまだ出ている日が差している時よりも、
沈んだ瞬間、空をもっと赤く染めて美しくなりました。似ているのかもしれません。
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2021年06月29日(火曜日)
6.29.高槻店がオープンして、またLABOは97店舗になりました。
先週の土曜日に大阪府の高槻市にLABO高槻店がオープンしました。
高槻市には、昔、何度も行って仕事をしました。
高槻には「おっちゃん」という居酒屋というか料理屋さんがあって、
そこで生まれて初めて「鱧(はも)」の湯引きを食べて、
その新鮮な食感と美味しさに驚いたことを憶えています。
その高槻にLABOの新店が出来て直営店が86店舗になりました。
本当はこれ以前に直営86店になっていたのですが、
6月14日でLABO相模原店を閉めて相模原淵野辺店に統合したので、
ほんの2週間の間ですが直営85店舗の期間があって、
今回改めて高槻店オープンでまた86店舗になったのです。ややこしいですね。
加えて、フランチャイズ店が11店舗あるのでLABOとして現在97店舗。
もうすぐ、記念すべき100店舗目が開きますが、
多分、群馬県初めての新店LABO前橋店のオープンが、
100店舗目になる巡り合わせになるはずです。
100店舗目記念に何かやるか。
考えますが、多分やらないだろうと思います。
100店舗目がオープンしても、その月中にもう2軒オープンする予定なので、
ゆっくり祝っている間は無いのが現実で、
途中経過として記録されるにとどまるのでしょう。
しかし、これはまだ嵐の前の静けさで、
本物の忙しさ、真剣勝負はここから先にある。
その覚悟がみんなに本当にあるのか、
まだピンと来ていないような気がしてハラハラする。
ホームページ用に中島デザイナーがオープンした高槻店の写真を送ってきた。
この店は、きっと、ものすごくいい店になります。
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2021年06月28日(月曜日)
6.28.時間は絶対に止まってくれない。
猫のチーちゃんは17歳になりました。
猫としてはものすごく長寿で、その姿はまったく年よりくささを感じさせず、
いつまで経っても本当に美人で、素晴らしい猫です。
チーちゃんとの縁があったのは、
今の大府のKeePer技研の倉庫が、まだ刈谷市にあった頃に、
生まれて間もない子猫で
ノミだらけのくしゃくしゃで倉庫の前をウロウロしていたところを
心優しいおばさんに拾われて、
ミルクをもらい、キレイにしてもらって、
ちょっと間、倉庫にいましたが、
何かのきっかけで我が家に引っ越して住み着いたものです。
あれから17年経ったのです。
17年の時間の長さを、チーちゃんを見ているとしみじみ長いと感じます。
長いと同時に、もう二度と帰ってこない時間であることも思い知ります。
運命として得た時間の長さは十分で、
十分に長い時間ですが、なぜここまで来れたのか不思議でなりません。
生まれて69年と何か月か、
なぜこんなに長い時間を必要としたのか、それも不思議でなりません。
あと何年、あと十何年か、少なくとも何十年かではないと思うが、
いずれは必ず、必ず、自分が存在しなくなるのは確かで、
それまでの時間が、今までの時間の何分の一でしかないことも確かです。
その時間も絶対に止まってくれることはありません。
その不思議を悲しいとは思いません。
ただ、チーちゃんがそんなに長い時間を経ずにいなくなることを思うと、
悲しく思い、なおさら愛しく感じます。
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