2020年01月16日(木曜日)
1.16.とりあえず92kg→89kgにはなったが
12月20日に一大決心をして、体重を76kgまで落とすことにしました。
少なくともあと10年キチンと生きていくために、
とりあえず、とりあえずですが、体重を落とすことにしたのです。
しかし効率よく、かつ健康の為には、
ちゃんとお金を払って、誰かプロの指導を受けなくてはと思いつつ、
どこの誰に頼めば良いのか分からないまま、ここまで来てしまいました。
それでも、朝食はヨーグルト。昼は普通に少なめにして、
夕食はまず温野菜をいっぱい食べてから、パンとおかずを少なめに食べて、
間食はなし。運動は自転車を少しだけ漕いで、
これで、とりあえず三週間で92kgが89kgになりました。
しかしこれ位は、
トイレに行った後と前の違いとか、便秘中と下痢した後の違いとか、
いわゆる生活の中の誤差程度のことでしょうから、
ガタガタ騒ぐようなことではないですが、
メーターの数字が実際に変わると嬉しいものです。
ここからあと13kg、手を抜かずに落としていこうと思います。
そういえば、昨日、定期的に通っている病院での血液検査で、
ヘモクロビンA1Cが健康の値になっていて、
中性脂肪も大幅に改善されていたのには驚きました。
やっぱり太っている体形を維持させるような食事自体が多過ぎで、
体重が正常に落ちていくような食事がちょうどいいのかもしれません。
妙に納得した昨日でした。
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2020年01月15日(水曜日)
1.15.あれからの小ミミたちはどうなったのか
足が悪いくせに荷物の高い所に登って、落ちて、
腰の骨を骨折して大手術をしたのをきっかけに、
みんながかわいがってくれた会社の倉庫から、
我が家に引っ越してきたチビのサバ虎猫の小ミミは、
めでたく回復して、傷口を舐めないようにつけられたエリザベスも取れて、
あれからどうなったでしょう。
同居のプードル犬リンダと16才になったキジ猫のチーちゃんとは、
小ミミはうまくやっているのでしょうか。
小ミミは約1か月ケージの中で過ごしたのですが、
傷が全快してから家の中に放されて、最初にチーちゃんと会った時、
小ミミはチーちゃん図々しくも、くっついて行ったのですが、
チーちゃんはそれに怒って牙をむき出し
「ファー(シャー?)」と怒りの声を上げたので、
ひと噛みで殺されるかと思ったら、
小ミミはコテンとチーちゃんの足元にひっくり返って、
「はい、降~参」とばかりにお腹を丸出しにしたのです。
そうしたら、チーちゃんは
「じゃあ、いいわ」と、小ミミを許したのです。
それを何回か繰り返して、
それで終わりです。
チーちゃんは小ミミの事が積極的には好きではないようですが、
いる事に怒るようなことは無くなって、平和になりました。
小ミミはチーちゃんが大好きでチーちゃんの後を着いて回りますが、
チーちゃんはうるさそうにするだけで、
怒ったりもしなくなり
チーちゃんのお気に入りの場所に小ミミがいても、べつに怒りません。
ちょっと離れて、のんびり寝ていたりします。
チーちゃんは小ミミとの同居を、少しだけ距離を置いて受け入れています。
では、プードル犬のリンダとはどうでしょうか。
小ミミはリンダを最初に見た瞬間から兄弟のようにくっついて行きます。
いえ、両方とも女の子なので「姉妹」ですね。
リンダの方は最初の時期だけちょっと戸惑いがありましたが、
翌日からもう大丈夫で、
小ミミはリンダにふざけてかかって行き、
すぐに追っかけっこになります。
小ミミはリンダのおもちゃが全部好きで、
すぐにお姉ちゃんのおもちゃに手を出しますが、
心の狭いリンダは、すぐに取り返そうとして、また追っかけっこです。
食いしんぼのリンダは、小ミミのキャットフードをすぐに食べてしまいます。
小ミミもリンダのドックフードを食べますが、
ちょっとお腹に合わないようで、下痢になったので、
今は、お互いの餌を食べないようにしています。
小ミミは、下痢になっても、トイレのマナーがすごく良く、
必ずトイレにします。本当にえらいものです。
だから、小ミミとリンダとチーちゃんの生活は、
種を超越して、すごくうまく行っていて、
本当にこんなにうまく行くとは思いもよらなかったので、
見ているだけで幸せです。
小ミミは、最初はあまり可愛げのない猫かなと思っていましたが、
とんでもない。
ものすごくかわいい、抱きしめたくなるようないい猫です。
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2020年01月13日(月曜日)
1.13.叱るよりホメよ? 冗談じゃない。
子供を育てるのは大変で、つい、叱ってばかりになることをたしなめて
「叱るよりホメて育てよ。」と言われるが、
小さな子供についてはそうかもしれないが、
会社において社員を育てていくには、そうはいかない。
少なくとも、急成長を果たしつつある発展途上の会社においては
絶対にそんな訳にはいかない。
発展途上で、ぐんぐん大きくなりつつある会社では、
組織が大きく成長する過程で、
係長とか課長とか部長などの役職者を、
短期間でたくさん造って行かなくてはならない。
たとえば、誰かを所長にする時、
その人が所長としての能力と人格を身に付けてから所長にするのではなく、
所長として成長する可能性があると判断したら、
その人が所長としての能力や人格を備える”前に”
とりあえず所長にして、
所長としての仕事をする過程で、
所長としての能力と人格を育てようとする。
だから、
彼は所長という役職になっても、
まだ、所長としての能力と人格を持っていないので、
所長としての仕事は間違いだらけで出来ない。
失敗して行く過程の中で、懲りて、学んでいくことになる。
もちろん、その過程で部下や会社、世間に対して迷惑をかけることになるが、
彼が所属する組織が急成長しているので、ある程度仕方がない。
彼はまだ所長としての能力も人格も身に着いていない
言って見れば、
まだ「ナンチャッテ所長」なのだから、
その所長の上司が気を張って、
皆さんにご迷惑をかけないように気を配るしかない。
だから、叱る。
何かがあって、成長途中のナンチャッテ所長が間違う度に、
「それは違う、君は間違っている。」と、厳しく叱責して、
短期間に学習して、成長するように、しょっちゅう叱ることになる。
ホメられるような事が出来るまで待っていたりしていたら、
そのナンチャッテ所長は、
世間や部下に対して間違った行動や言動で、
迷惑を振り撒き回ることになる。
会社が急成長する中で、そんなナンチャッテ所長がたくさんいて、
世間に迷惑を振り撒き回っているのに、
成長のためにホメることが出来るまで叱ることを控えたりしていたら、
そんな無責任な会社はひとたまりもない。
ナンチャッテ所長が、何かしでかす先に回って、
ご迷惑をかける前に「叱ってたしなめる。」
そのたびに、ナンチャッテ所長は懲りて、学習して、成長する。
そして、短期間に成長して、所長としての能力と人格を身に付ける。
ホメている余裕などないのだ。
しかし、多くの場合、そうはいかない。
辞令が出て所長になった人は、
所長になったとたん、所長としての能力と人格を備えたつもりになって、
自分が、まず、ナンチャッテ所長として、
いっぱい失敗して、叱られて学習せねばならない立場である事を忘れ、
「所長”らしく”」ふるまい、
「所長”らしく”」扱われることを求め
ひどい場合は、所長の役職に就いたとたんに威張り始めて、
かえって謙虚さを失って、
横暴に振る舞い、
叱られることを嫌がり、
叱られるとかえって反抗するようになると、
その人は、所長としての能力や人格を身に着けることは出来なくなって、
ナンチャッテ所長のままで学習も成長もせずに、
単に空威張りするだけの馬鹿者になり下がって、
去っていくか、うまく行っても格下げされることになる。
上に上って行く者は、
上に上げられた途端に今まで以上に叱られ始めることを知っていて、
上に上げられた途端に、
今の自分ではだめだと強く思うようになって、
より謙虚になって
叱られるたびに学習して、
その上の役職にふさわしい能力と人格を備えようとする。
上に上がれない者は、
上の役職にした途端に、威張って仕事をせずに楽をするようになって、
叱られるたびに反発して学習が全く出来ない傲慢な者で、
早く下げないと取り返しがつかない。
信賞必罰というが、
信賞は簡単だし、誰からも喜ばれ称賛され、
ホメた本人も気分が良いが、
必罰が的確にタイムリーに出来る人は少ない。
人は叱るよりホメて育てよ。とは、冗談じゃない。
そんな悠長なことをしていたら、会社はあっという間につぶれる。簡単だ。
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2020年01月13日(月曜日)
1.13.大あさり焼きがうまそうに思えた自分
年初の初めの頃は、
先の事が明るく照らされるように見えて
10年後は4倍増間違いなしと本気で思えたりするのですが、
お正月も半ばになって、普段の仕事が普通に動き始めたりすると、
細かい事でネガティブな要素が見えてきたり、
当たり前のことがいまだに出来ていないことに気が付いたりして、
ふと、仕事にいけない姿勢でのめり込んでいる自分に気が付いて、
12日の日曜日、
気晴らしに
家族が新聞で見つけた「菜の花祭り」に行ってきました。
場所は愛知県なのですが、
知多半島に相対してある「渥美半島」の先っぽの「伊良湖岬」。
伊良湖岬は、
私がまだ新婚の、22才の頃、だから45年前、
鳥羽から伊良湖岬行きの伊勢湾フェリーに乗って、
それが比較的小さなフェリーだったので、湾から出たとたんに大きく揺れて、
連れ合いがひどい船酔いになって苦しかった思い出しかなかったが、
久しぶりに行った伊良湖岬は、
ビニールハウスがぎっしり建っていて、
花やフルーツの大生産地として、驚くほど豊かな町であった。
なぜ、岬の先っぽの立地がハウス栽培に適しているのか、
「日当たりが良い?」「暖かい?」
岬の先っぽだからといって日照時間が長くなる理由が分からないし、
暖かい理由も思いつかない。
しかし、
不思議なほど近く所(車で1時間半)に、
別世界のような、南国と海と砂浜の観光地があったのです。
菜の花畑自体は、そんなに驚くようなスケールでもないし、
菜の花祭りの二日目だったからなのか、
それほど華やかには花が咲いていず、
少しがっかりしたのですが、
伊良湖岬の南国の観光地然とした意外さに、
ほんの気晴らし程度のつもりで行ったのに、
けっこう、昔に戻ってちゃんと観光をした気分になったのでした。
で、どうだったのか。
私は昔から遊びがものすごく苦手で、
行楽や観光に行っても、それに付き合っているだけで
自分はそれを楽しむような気には中々ならなかったのですが、
今回は、伊良湖岬に行って、
丘のてっぺんのホテルに泊まってみたいなと思ったり、
海岸に沿って売店が並んでいて、
そこに「大あさり焼き」なんて書いてあると、
思わず口の中に唾が出て来たりして食べたいと思ったのは、
私は歳をとって、
行楽とか観光とかが出来るようになっているのかもしれない。
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2020年01月10日(金曜日)
1.10.支払いは請求書を元にしてはいけない。
今朝の「めざましテレビ」の中のニュースで、
私の家に近い大会社で6億円の使い込みがあり、
60才の女性が逮捕されたと言っていた。
その女性は、馬術競技の馬を六頭も買っており、
その馬との2ショットをSNSに上げており、
その幸せそうな表情の写真と、
逮捕された時の惨めにやつれた表情の写真との差は、いかにも哀れであった。
そのニュースによると、
その女性は、その大会社の組合の「年金」の事務を一人でやっていて、
年金として蓄積されていたお金を自分の口座に勝手に送金して、
派手に豪遊し、セレブのように「馬」を飼って愛した。
哀れなバカな人間の単純な犯罪だが、
6億円もの大金の使い込みが長期間ばれなかったのには驚くが、
しかし不思議とは思えない。
その大会社は、会社としての経理の仕組みは
きっと正しく牽制と内部統制が効いていて、
そんな馬鹿みたいに単純な使い込み出来る訳がなく、
やられたとしてもすぐにバレタはずだし、
内部監査に引っかかるか、決算のたびの監査法人による監査に必ず引っかかる。
しかし、組合の年金の金は、会社の金ではないので、
いずれの仕組みにも監査にも関係ないので、
どの仕組みにも引っかからなかったのだろう。
組合は会社の統治の外の組織なので、会社としても治外法権で干渉できない。
とは言っても、その会社の大切な社員の老後の生活を支える大事なお金なので、
ちょっと帳簿残高と預金残高が合っているかぐらい確かめれば良かったのに、
また組合も、自分達の組合員の大切なお金である意識があったなら、
こんな単純な使いをされても長期間気が付かないような、
無責任な無関心は無かったはずだ。
しかし、組合の年金に関わる事務員が、
「一人」であったところにすべての落とし穴がある。
一人だけであっては、
その金が正しく管理されるにはその人の良心だけが頼りであって、
その人の良心が、使い込みをしない分の量だけあるかどうかを、
誰が責任を持って計るのか。また、計ることが出来るのか。
万一、その一人に使い込みをされたら、それが解る方法があるのか。
無いのだから、一人で管理すること自体が「悪い」のだ。
お金の出し入れを含む管理は、
一人であることが「悪」であって、万が一犯罪が起きたら、
その人が悪いのではなく、その人が「一人」であることが「悪い」のだ。
お金の出し入れを含む管理に関わる人は
必ず二人以上である事が必要で、
その二人は必ず違う立場の人であって、「牽制」の関係になければならない。
二人と言っても、
同じ立場の上下の二人では意味が無い。
上の人間が下の人間を「信じる」と言う盲目的な行為で一人と同じことになる。
お金の出し入れを伴う管理は、
違う立場にあって、牽制の関係にある二人以上でなければならない。
これは絶対に譲れない組織の基本である。
違う立場の、牽制の関係にある二人とは
たとえば、商品を注文する人と、
その代金の支払いを指示する人が別の人でなければならないという意味。
この例えでいえば、
支払いの指示は、入荷を確認した人であり、
入荷を確認する人は、その商品を注文する人とは別の人でなければならない。
ましてや、その商品を送った人と、
支払いを指示する人とは別の人である事は当然であって、
だから、支払いは、その商品を送った人が発行した「請求書」を元にはせず、
商品を受け取った人によって打ち込まれた「仕入データの集計」を元にして、
そのデータが正しいと承認した人が指示する。
こんなことは経理の初歩中の初歩だが、
一番犯されがちな初歩的な間違いです。
もっと単純に言うと、
経費あるいは費用を使った人と、
その支払いをする人は別でなければならず、
だから、その支払いを指示する人、つまり承認する人は、
その費用を使った人とは別の立場の人でなければならない。
しかし、
組合の年金の金は、会社の金ではないので
こんな単純な大原則が守られなかったのだろう。
ある意味、吐き気を催すような下らない事件だ。
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