2020年07月19日(日曜日)
#37 KeePer TOM’S スープラがポールポジション!
#37 KeePer TOM’S スープラがポールポジション!
また、平川亮得意のデビューウィン、
3回目のデビューウィンになるかもしれません。
とりあえず。
Posted パーマリンク
2020年07月15日(水曜日)
7.15.新店候補から市原店、ちば古市場店、新店候補から葛飾店
昨日は午前中に名古屋で新店についての話し合いをしてから、
東京駅に行き、更に群馬に走って新店候補地を見て、
夜、埼玉・三郷にある東京営業所で、TOM’Sの舘会長たちとお会いした。
異例な無観客レースで開幕するスーパーGTの今年について、
何らかの対応をお願いしようと思ったからだ。
しかし、お会いしてすぐ、
「コロナの抗体検査して上げるよ。」から始まって、
なんだかんだで「今年も頑張るので、結果を見てよ。」で終わった。
彼はもう引退していてスターでも何でもないが、
あのうやむやとした、でもあの強烈な説得力は、健在であった。
ちなみに私の抗体検査は、くっきり「感染歴無し」であった。
その夜、営業所に残っていた子たちと晩御飯を食べに出る。
全員自動車での通勤なので、誰もお酒は飲まず、
近くのとんかつ屋に行った。
若い彼らを見て、話をすると、みんな意外としっかりしていて
もっと会社を成長させても大丈夫だと思った。
翌朝、ちょっと早めに駅前のいつもの東横ホテルを出た。
出張を控えていた時期が長かったので、
定宿の東横ホテルは久しぶりだったが、
東横ホテルのベッドの硬さが体に定着しているのか、いやに快適であった。
まず、東進してLABO市原店に行く。
この店には新しい試作機が着くかどうかを見るのが主目的であったが、
結構強く雨が降っている中、店では、三台の車が洗車をしていたのには驚いた。
千葉県8店舗を担当している萩原マネージャーが、
いつもの太目で、中々フットワーク良く動いていた。
萩野マネージャー、金井店長、花の新人伊藤スタッフ、泉水チーフ。
ここに着ける予定だが‥、
次に行ったのはLABOちば古市場店。
この店には、新しく2台分のKeePerブースが追加で設置された。
実績が上がってきて、キャパシティが足りなくなってきたので、
嬉しい建て増しだ。
これをどういう色に塗って看板を付けるか、店舗部と検討する。
栗田店長と一級技術資格高橋シニアスタッフ。
榎本チーフと大型新人小磯スタッフ。
次に千葉県に9軒目の新店候補地を見に行く。
是非に欲しい物件であったのですでに出店申し込みはしてあるが、
新店は、必ず、事前に、自分自身の目で確かめることにしているので、
見に来たものです。もちろん◎。
すでにある店舗を見て、
若い子たちと会って、話をして、
新店の候補を見ていると、不思議と、もっともっと新店を造りたくなってくる。
力が湧いてきて、まだ出来ると強く思うになる。
名古屋には遅くとも午後5時には帰らなくてならなかったが、
千葉からの帰り道でもあるので、
素晴らしい実績を上げているLABO葛飾店に寄る。
羽山店長はとっても小さな体で、素晴らしくリーダーシップもあって、
お客様からの支持もあるのだろう目を見張るような実績を上げつつあるのです。
長谷川マネージャーと羽山店長。
羽山店長、一級技術資格馬飼野スタッフ、若狭チーフ。
Posted パーマリンク
2020年07月15日(水曜日)
7.15.北海道の札幌店と手稲店
一昨日行った北海道。
実は、KeePerが実現するキレイさに対するニーズは
北海道が一番大きいのかもしれない。
厳しい冬が終わって雪が融けて、それが乾く頃、
四月に入ってから、北海道のキーパーラボ店には猛烈な忙しさがやってきます。
先輩店のLABO札幌店は、その4月から5月、6月、7月と
4か月連続して売り上げ1,000万円を越します。
そして、日本一に輝くこともあります。
後輩店のLABO手稲店は、まだその半分くらいですが、
それでも全LABO店平均の月500万円は越してきます。
KeePerは、北海道と相性がいいのでしょうか。
今現在の2店のLABO店は、
両方とも札幌市の北西方面に位置するので、
札幌市の中央部と東部、南部に、あと4店舗はぜひ欲しいところです。
それどころか、気持ち的には最終的に
札幌に6軒、函館に1軒、旭川に1軒、釧路に1軒、帯広に1軒、
などと北海道に10軒も出来ればいいなと欲張って夢を見てしまいます。
北海道にはお客様のニーズがそれほどにまで多くあることと、
今の北海道のスタッフの面々を見ていると、
それが決して不可能なことではなく、実現可能な夢であることを思います。
まず手稲店の
千葉圭店長とその相棒尾崎チーフは来月結婚するそうです。
(奥さんの写真を見せてもらいましたが、むちゃキレイ人でした。)
一級技術資格佐竹スタッフ、一級技術資格鈴木シニアスタッフ。
「札幌店」は、最近、王者の風格が出てきた。今月もトップを走っている。
一級技術資格菅野スタッフ、一級技術資格田島スタッフ、一級技術資格佐川スタッフ。
一級技術資格多田シニアスタッフ。
東京から大好きな北海道に帰ってきた土屋チーフ。
谷公洋店長
多田シニアスタッフとみんなから大切にされている一級技術資格前田スタッフ。
店は素晴らしくキレイになっていたが、
机の上が片付いていないのは、忙しい証拠です。
貼るべきものはキチンと貼ってあります。
仕事が終わってからの札幌店の「Eチェック」は実に念入りです。いいですね。
KeePer LABOナンバー1のメンバーです。
Posted パーマリンク
2020年07月13日(月曜日)
7.13.子供が小さい時は、常に親が正しい存在であったが
子供がまだ小学校に行っている頃、
子供にとって親は絶対的な存在であり、
少なくとも親は子供にとって、いつも正しい存在であって、
親が言うことはいつも正しく、親が言うことには従うことが当然であり、
子供は親の叱責に懲りて、学習した。
子供にとって親は正しいから親の言うことによって学習する。
しかし、子供が成長するにしたがって、
子供は親以外からも学習して、例えば自分で”本”を読んで学習して、
親が必ずしもすべてが正しくないこともあることを知ると、
親からの言葉を無条件で受け入れることをやめて、
親が言うことを受け入れなくなるだけでなく、むしろ、反発するようになる。
いわゆる、反抗期だ。
反抗期とは、子供が自分の方が正しいこともあることに気が付いて、
親から無条件に学ぶことをやめて、自己主張し始め、
“目覚めて”、
成長する事とも言える。
これは、親に対する子供のことだけでなく、
先輩に対する後輩であったり、
先生に対する生徒であったり、
上司に対する部下であったり、
その存在が絶対的であればあるほど、
あるいは、その関係が従属的であればあっただけ、
その反抗は強く、
反抗する者は、その関係の中から学ぶことをピタッと辞める。
それが親子の関係の場合は、それを親が子の成長の結果として受け入れるが、
規律が絶対的に必要で、
常に絶対的な従属を求められる軍隊においては、
従属をやめて、
”目覚めて”命令に逆らい違反した者は、
一方的かつ無条件に罰せられる。時には最も重大な犯罪として銃殺される。
そうしないと、その部隊全体が乱れて、
そこを敵に付け込まれたら、部隊が全滅する恐れがあるからだ。
それがもっと平和的なスポーツの中のことだとしても、
チーム全体を指揮する監督やリーダーの指示に従わずに、
チームワークを無視して、
“目覚めて”自分が良いと思ったことを勝手にやる者がいたとしたら、
その者がよほど個人技の優れているスーパースターであったとしても、
チームプレーを無視して個人技に走る者を許していては、
チーム全体がチームとしての力を発揮することが出来ずに、負けるので、
その者を排除することになる。
これは意外にも、会社という組織の中でもある事で、
同じように、排除するしか方法がない場合もある。
惜しいが、そうするしかない場合もある。
その場合の特徴は、
その目覚めた者の部下もプチ目覚めていて、
その者に従属することなく離れて行くことのようだ。
Posted パーマリンク
2020年07月12日(日曜日)
7.12.飛行機に思う。
私は飛行機が好きでした。
だからという訳ではないが、飛行機にはたくさん乗りました。
多分、数百回以上は乗ったと思います。
オーバーに聞こえるかもしれませんが、本当です。
キーパーが日本国中に広がりつつあった頃、
連日、飛行機に乗って飛び回ったこともありましたし、
国内線は数限りなく乗っています。
さらに世界にも広げようと中国へは70回、
アメリカにも10回以上行って、
商品開発の為にヨーロッパにドイツを中心に何度も行きました。
その度に飛行機には最低往復2回、多い時には4回、5回と乗ったので、
本当に数百回、
ひょっとしたら国内線もいれて千回以上乗ったかもしれません。
一番最初に乗った飛行機は、名古屋空港から鹿児島空港。
本当は太平洋フェリーで行くつもりだったのが、
ちょうど台風が来ていてフェリーが欠航になってしまったので、
仕方なく飛行機で行くしかなく乗ったものでした。
だから、当然、空も大荒れで、初めて乗った飛行機はドタンバタンと揺れて、
死ぬほど怖かったことを憶えています。
それからしばらくは飛行機が大の苦手で、
仕方なく飛行機に乗る時には、飛ぶ前からきついアルコールを飲んで、
飛び上がる時にはベロンベロン状態になって、怖さを紛らわしていました。
自分が空を飛ぶこと自体、受け入れがたいことだったのです。
それが何度か乗っているうちに、
今度は、飛行機そのものが好きになり出して、
飛行機の本をいっぱい読んで、その構造とか、飛行機の種類などを憶えると、
飛行機で飛ぶことも怖くなくなり、
むしろ、飛行機に乗りたがるようになったのです。
一時は、飛行機は尾翼を見ただけで機種が分かるようになり、
無駄なことまでよく知っている飛行機オタクのようになりました。
そうなったら飛行機に乗って日本国中、世界中を飛び回ることが好きなのか、
飛行機に乗ること自体が好きなのか、
本人も分からないくらい乗りました。
足がダメになってきて、
人に世話を掛けなければ乗れなくなったこともあり、
また、社長を引いてからはそれほど出張もなくなり、
今年は7月になって初めて飛行機に乗りました。
久しぶりの飛行機は、
あいかわらず、
外の景色、真っ白な雲と、宇宙に繋がる濃い碧空を眺めています。
Posted パーマリンク

























