谷 好通コラム

2024年03月04日(月曜日)

03.04.日本国中の白ボケ郵便車が、フレッシュキーパーで赤く蘇る。

はっきり報告をもらった訳ではないので、確かではないが、

LABO大府店で近所の郵便局の郵便配達車を、

フレッシュキーパーで真っ赤に戻して差し上げたら、郵便局の方がびっくりし、

それが話題になって、日本郵政が動き、

日本国中の白くボケて褪色している郵便配車に、

全国のKeePer施工店でフレッシュキーパーを掛ける事になった。

1月初めの頃の事です。施工期間は3月末日までに(決算までに)。

 

最初は、私達、スケベ根性を出して

KeePer LABOだけで出来るだけ多くの郵便車にフレッシュキーパーを、

と企んだのですが、

この会社に、こんな楽しい企画を秘密でいられる訳が無く、

あっという間に、KeePer PRO SHOPの皆さんに拡がって、

全国に18,000台もあるという郵便配達車が、真っ赤に戻ってきています。

郵便配達車は、地元のガソリンスタンドでガソリンを必ず入れているので、

郵便車がいつもガソリンを入れているガソリンスタンドに

「KeePer」の看板が有ったら、その店へ「フレッシュキーパーを・・」と、

郵便局の方が自らお話をされたようなのです。

 

このニュースを察知した大手の石油販売会社で、

多くのKeePer PRO SHOPを持っているので、全国に一斉に号令をかけて、

何千台ものフレッシュキーパーを短期間に施工された会社もありました。

 

それに比べたら、みんなおっとりしているKeePer LABOの連中は、

それでも2,000台ぐらいは施工できそうですが、全然負けています。

でも、全国の白ボケてしまっていた郵便車が、

フレッシュキーパーで素晴らしくキレイに、真っ赤に戻ったのは最高です。

(赤いバンパー部分は樹脂パーツなので、褪色せず白ボケしていない。)

 

フレッシュキーパー ⇩

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2024年03月03日(日曜日)

03.03 33話.海外は仕事が一番面白い? でも結局、遊びだったのか?

洗車屋快洗隊からKeePer LABOに変わる前後、全国でKeePerPRO SHOPが爆発的に増えている頃、私は海外出張をいっぱいやった。中国には70回以上行って、アメリカにも20~30回、ドイツにも20~30回。パスポートの有効期限内に入出国スタンプを押すページが足りなくなり期限の途中でページを貼りたして追加したぐらいです。その他にも、オランダ、スウェーデン、フィンランド、シンガポール等々、渡航の為の飛行機代など出張費用は何千万円にもなったはずです。しかしその結果、KeePerとして造られたビジネスは残念ながらゼロに近く、私が自ら嬉々としてやった海外進出の結果は失敗でした。失敗の原因は、その行動の目的を海外へのKeePerケミカルの販路拡大そのもの(つまり、売り込み)で、その結果が失敗でした。

それに対して、国内のKeePerの活動の目的は、KeePerを使うコーティングビジネスの提案であり、KeePerを使う人たちの成功を提供してきたからビジネスが拡大しました。その結果、KeePer PRO SHOPなど施工店さんにKeePerケミカルの供給が拡大され、KeePer技研㈱のビジネスとして成功したのです。つまり、国内での活動と海外での活動では「目的と結果」が逆だつたので国内では成功し、海外では失敗したという逆の結果になったようです。

これを教訓として、新型コロナ禍後の今の海外進出の活動は、まず、海外でKeePerの海外法人直営のKeePer LABOを成功させた上で、そのビジネスモデルを基礎として、海外でのKeePer 事業の成功を進めています。ただしそれは、私はもう体力が無いので、若い新しい社長が中心になっての事です。

 

では、十数年前の約十年間の私の海外活動の失敗を後悔しているかというとそうでもありません。まぁ、莫大な費用と時間を費やしてしまったとしても、掛け買のない教訓を得た訳だし、あれがあったからこその成功がこれから造られるかもしれないので、失敗は失敗としての意味はありでした。十分に。

 

それに、あの頃の海外出張は、毎回どこへ行っても最高にエキサイティングで、とにかく面白かったのです。海外の国には仕事で行った方が生のその国を知り、何よりも、生の生活・仕事を体験し、真剣に人と接し、つまり、その国の人間と同列でそのものの生活の中に体験する訳なので、観光とは別次元の体験をして来れるのです。だから、毎回どこの国へ行っても最高にエキサイティングで、とにかく面白かったのです。あれは結果として失敗でしたが私の人生にとってはかけがいのない経験であり、結局、私にとって最高に贅沢な遊びだったのかもしれません。

 

仕事の合間に、サンフランシスコから車で4時間の

国立ヨセミテ公園に行ったことがあります。

まるで別の宇宙のに来たかのような空間で、感動的だったのだが、

 

その中の巨大なセコイヤ杉の森からの花粉が、

まるで黄色い雪のようで悪魔の粉ように見えました。

日本もいよいよ花粉のシーズンが始まりましたが、

こんなのを見ると、日本の花粉はチョロイものです。

 

 

 

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2024年03月02日(土曜日)

03.02.春・ドライブショップ一体型LABO谷和原インター店キックオフ

まだ寒さは残るが、

三月になって、皆、完全に「もうすぐ春」モードになっています。

KeePer LABOも、まるで冬眠モードから醒めたように元気です。

毎度の1月2月の閑散期が終わって、

ここから、いつものKeePer LABOの毎日が始まります。

そんな今日、

土曜日にもかかわらず関東のLABOから6名のメンバーが集まって来ました。

 

この三月は3軒の新しいKeePer LABOがオープンします。

・KeePer LABO谷和原インター店 (茨城県)、直営

・KeePer LABO長峰店 (熊本県)、アイビー石油㈱運営のFC店

・KeePer LABO宇都宮店 (栃木県)、直営、宇都宮トレセンを併設

 

今日はその中の一番手

「KeePer LABO谷和原インター店」のキックオフミーティングです。

 

この店は、ドライブショップ(ジェームズ)と一体型で造られた初の店舗です。

「ジェームス谷和原インター店」の建物に、

食い込んだ形で「KeePer LABO 谷和原インター店」が造られています。

新しい協業の試みです。

レジ・清算はドライブショップ側で行い、

レジカウンターにもLABOのパンフレットなどの販促品を置きますが、

あくまでもKeePer LABOでの施工運営は、LABOのスタッフが行います。

更に、

LABOに注文をいただいたお客様が、

ブースの作業を見ながら待てるLABO内の”待ちペース”もあるが、

ドライブショップの中のゆったりとした待ちスペースも自然に使えて、

フリードリンクもお客様が自由に使えます。

 

今後、早々に増えてくるカーディーラー内のLABO。

ガソリンスタンドを縮小しながら協業していく形のLABOなど、

これからの協業スタイルKeePer LABOの在り方の、

実践的かつ重要なケーススタディとなって行くはずです。

 

店長は、LABO運営手腕と接客に定評のある熊谷さん。

2年目になったばかりのすずき君。

そめや君。

どいチーフ。

 

東日本 安藤副部長。

統括 野崎部長

担当の小川マモージャー。

12月のピークを乗り越えて、長い閑散期を終え、

しかしその間に、残らずのスタッフが楽しみだった1週間休みを取り、

いよいよ本番が始まります。

気温はまだ低くても、

全国124店のLABOから、もう本番が始まった素晴らしい実績報告が来始めました。

 

KeePer LABO谷和原インター店、3月22日オープンです。

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2024年03月01日(金曜日)

03.01. あくまでも主観的なKeePer LABOの2月実績報告。

この報告は、あくまでも谷 好通個人の主観的な報告であって、

先に開示された月次報告を修正するものではなく、

乖離があれば、それはこの報告の誤りであり、

開示された月次報告の数字および内容がすべて正しいものです。

 

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今年の2月が前年の2月を割ってしまったのは、

一言で言えば、昨年の2月の事情があまりにも特別で、

その事情が無い今年の2月が、

昨年の2月を越すのは、当初から至難の業でした。

 

一昨年の後半は、新型コロナ禍も三年目になっていて半導体が不足し

自動車の生産に滞りが出て、車を注文しても納車までに半年以上もかかり

人々の中に不満が鬱積していました。

それ以上に深刻だったのがカーディーラーで、

自動車を販売し納車できなければ、入金も無い訳で死活問題です。

そんな事情と要求が自動車メーカーを突き動かして、

年末にかけて大増産された自動車が大量に全国のカーディーラーに届き、

年明け、色々な準備もあって1月後半ぐらいから例年を大幅に上回る車が、

いっぺんに納車される事態があったのです。

それで、KeePer LABOにも

2月は新車がものすごくたくさん来てコーティングして行かれたのです。

特に、新車用としていたEXKeePerがたくさん施工されました。

そんな事情があって、昨年の2月は記録的な前年比増の月となったのです。

前年2月売り上げはそのまた前年比で全店で135.7%、既存店のみで127.1%。

更に、新車用のEXキーパーが、

全店で155%、既存店のみでも143%です。

このほとんど二年分のアップが、昨年の2月には一辺に来てしまったのです。

この実績を基準にして、今年、前年を越すのは本当に大変な事です。

しかし、今年はうるう年なので昨年より1日多い。

お客間の積み上げも進んでいるはず、

ひょっとして本当に越していけるかもしれないと、

果敢に、前年比10%増で目標を定めたのです。

 

しかし残念ながら、日本各地で昨年の約2倍の雨が降り、日照時間も少なく、

関東では雪が積もり1日交通マヒになるような悪天候で(関東は1日休業した)

 

この悪天候で雨に弱い洗車のご来店台数が前年比69%と極端に減りました。

しかし、昨年の9月に洗車は値上げをしていたので。

洗車の平均単価は前年比143%で、

洗車売り上げは前年比99%でほとんど減っていません。(値上げ効果)

その割にはKeePerコーティングの施工台数は

前年比101%でまったく減っていないのです。

しかし、リピートで施工されることが多い類のKeePerは増加していても

新車での施工が昨年に比べて少なく

新車ヘリ施工が多いEXキーパーが前年比79%とガクンと減り、

その影響で、コーティングの平均単価は96%に落ちています。

だから、売上金額は101%✖96%≒97%となり、

洗車の99%と相まって

KeePer LABO全体の売り上げが、前年比98.2%になっているのです。

しかし、

既存店だけだとEXキーパーは前年比69%にまで落ちて、

既存店売上では、前年比88.1%にまで落ちてしまいます。

 

洗車でのご来店数は、全体の約70%前後なので、

コーティング施工総数は落ちなくても、

全体の来店台数は75.9%にまで落ちて、

更に、

EXが減ったことでコーティング全体の平均単価が下がっていても、

コーティングに比べて一桁も単価が安い洗車が大幅に減っているので、

全体としての平均単価は逆に116.1%と上がっています。

 

 

今年の2月が特に不振という訳ではなく、

昨年の2月が特別に多かったのだという一つの目安に

2月の2か月前、

つまり前年の12月り売り上げに対して2か月後の2月の売り上げの比率を現した表があります。

東日本

中日本

西日本

 

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2024年02月29日(木曜日)

02.29. 32話. 2000年以降、中国には70回以上通い、その上でやめた。

前話までで快洗隊からKeePer LABOの時代まで行っていしまいましたが、日本でのそんな歴史と同時にこの時代は海外にも活発に出かけました。

海外での活動はまず中国です。事の発端は、日本に留学していたある台湾人が、日本のガソリンスタンド(KeePer PRO SHOP )て働いていて、KeePerと出会い、その彼が上海から来ていた女性と結婚するにあたってKeePerを中国に持って行きたいという話があったのです。それと同時に私は、洗車用に特別に吸水力の強いタオルを安く造りたいと計画していたので、2つの話を同時に進める為に上海に通うようになりました。上海では私と同じ歳に独立して上海郊外に工場を持った若き経営者と知り合い。何度も上海に通って苦労して洗車専用タオル「快洗Taoる」を作り上げました。その製品は何年か後には、年に数百万枚もの出荷数のヒット商品に育っています。

洗車専用タオルの開発と同時に、KeePer製品の普及にも努力して、上海に行く度に日本でやっていたようなKeePer技術研修スクールのような研修活動=販売活動を繰り返し、上海、蘇州、杭州、西安、北京、大連、広州、南昌、・・名前も憶えていないような街までいっぱいの何十という都市を飛行機や車・バスで巡り活動しましたがいくら技術研修しても、KeePerが根付くことはありませんでした。

 

研修しても、研修生はその技術を使ってKeePerを施工することは無かったのです。ただ、技術を習った=技術を取った=盗ったみたいに、研修生が「自分は日本の技術を学んだ人間だ。」と、自分を違う会社に売り込んでしまうので、二回目に同じ所に研修に行っても一回目にいた人はほとんどいず、KeePerを使うまでに技術が進歩しなかったのです。

それで結局、上海に戻って、上海に腰を据えて活動することにし、地元の有力者という人と上海の「快洗隊」を開店するまでになったのです。

その上海の快洗隊も、その有力者が失脚して1年も経たずに閉店してしまいました。

一時はアイ・タック技研の事務所を上海のマンションの中に設けて日本からの社員も在籍したのですが、結局、何も実質的に進捗せず、ある日、上海への出張中ホテルで「もうやめよう」と、ふと、強く思って、もう中国には行かないことを決意したのです。あれ以来、順次、中国製の製品を輸入することも減らしてきて、今は、中国に輸出する事も無く、中国から輸入することも無くなっています。

70回以上も行って、上海と中国各地で見の思い出は山ほどありますが、写真を見て思い出すだけで、明確に憶えていることは、

上海蟹の名所である「陽澄湖」(上海から約1時間半、北西の方向にある小さな湖だ)で食べた脳天に突き上がるような上海蟹のミソの強烈な美味さだ。

雷魚の煮込みも、みんなは食べられないと言ったが、私は美味かった。

発酵した豆腐を揚げた「臭豆腐」は、みんなは臭くてとても食べられないというが、私は大好きだった。私の味覚は中国でおかしくなってしまったのかもしれない。

 

上海 !

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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