2019年10月12日(土曜日)
10.12.「これ以上入れるなよ。回らないだろうが」
私の大好きな料理の一つ「かつ丼」
「かつ丼」は昼ごはんの王者ではないだろうか。
カツ丼をメインにして大成功しているファストフードチェーンもあるほどだ。
あのカツ丼も決して嫌いではなく、食べることもあるが、
私は、実は最高においしてカツ丼を知っている。
たまに、みんなを誘って食べに行くのだが、
とても小さな店で、調理場にいるのはほとんど店主だけで、
料理を出したり引いたりしているのは、
とても美しい奥さんと、アルバイトの女の子もいる。
とても美しい奥さんはスタイルも良く、
どちらかというと西洋風の顔立ちで美人だ、
でも、ちょっととっつきにくい雰囲気で口調も少しトゲを感じる。
と言っても、あくまでも丁寧な言葉で、
失礼なことは決して言わないが、その美貌が、言葉をきつく感じさせるのか。
しかし、もうこの店には来ないでおこうと思わせるほどでもない。
店の中には、
有名人がこの店のトンカツを食べに来て、
亭主と一緒に写っている写真がいっぱい貼ってある。
地元テレビの取材も入っているようだ。
いわゆる『名店』というのだろうか。
この店は「トンカツ屋」なのだ。
そのトンカツはミルフィーユ状態になっていたり、
何種類もの手の込んだトンカツがメニューに並ぶ
また十種類以上のオリジナルソースが用意され、さながらトンカツのデパート。
カツ丼は、ランチサービスメニューとしてある。
どうやらカツ丼はこの店の推奨メニューではなさそうだ。
でも、
私はカツ丼が好きなので、カツ丼を注文して食べる。
専務の鈴置君はひたすら「味噌カツランチ」を食べるので、
私も時々味噌カツを食べたり、
他のトンカツを食べたりもするが、
そんな時にも「やっぱりカツ丼にしときゃ良かった」と思う。
それ程、私はここのカツ丼が好きなのだが、
午後1時を過ぎると、
「ランチタイムは終わりました」と言われてカツ丼は食べられない。
そんな時はカツ丼に似ている「カツ鍋膳」を食べるのだが、
カツ丼とカツ鍋膳は、
カツの卵とじがご飯の上に乗っているか、別なだけの違いなのだが、
私はやっぱりカツ丼の方が好きだ。
ここのカツは、肉が厚く、よく叩いてあって柔らかい。
衣がサクッとしていて、しかし柔らかすぎず、ちょうどよく美味しい。
お客さんも良く入っていて、
いす席に座ろうと思ったら、
待たなくてはいけない時もある。
しかし、待っている間に1時を過ぎてしまうと
ランチサービスメニューのカツ丼が食べられない。ジレンマだ。
店が混んでくると、
厨房の奥から亭主が大声で叫んでいる。
「おい、これ以上入れるなよ。中が回らんだろうが。」
入れるなとは、
客をもう店の中に入れるなと奥さんに言っているのだ。
自分一人で回している厨房が、手一杯で回らなくなってきたので、
「もう入れるな」と叫んでいる。
初めて聞いた人は、びっくりするが、何度も聞いていると、
何とも思わなくなった。
奥さんもそう言われても、平気で次の客を店に入れる。
それ程しょっちゅうは行かないが、時間がある時にはたまに行く。
カツ丼あるいはトンカツはそうしょっちゅう食べるものでもない。
しかし、先日、店内にビラが貼ってあって、
「一身上の都合により、10月15日からしばらくの間、店を閉めます。」
と、書いてあった。
何があったのだろうか・・・
ここからは私の勝手な空想です。
腕のいいトンカツ職人の亭主は、
ある意味、天性の職人で、
自分以外の者とは一緒に働くことが出来ない。
みんなが美味いと絶賛するトンカツは、亭主にとっては当たり前のもので、
それが出来ない方がおかしいのだ。
だから、それが出来ない普通の人とは一緒に働くことが出来ないのだ。
しかし、美味いトンカツを造るのは、肉体的に大変なのだ。
分厚い肉を切り出すのは大した力がいるし、
その肉を肉叩きでドカンドカンと叩くのは、大した力がいる。
その肉に衣を着けて、熱い油で揚げる。
店が混んでくると、
一人で回す厨房で、亭主は心底クタクタになって
「おい、これ以上入れるなよ。中が回らんだろうが。」
と、どなる。
値段も十分だ。安売りなんかしない。
だけどカツ丼は安い食べ物の印象で、カツ鍋と材料費は変わらないのに
高い値段をつける気にならない。
だから、カツ丼はランチサービスメニューなのだ。
小さな店で、奥さんとアルバイトの女の子だけで、
毎日クタクタになるほどトンカツを造っていれば、お金も貯まる。
一身上の都合とは、
美人の奥さんと当てもなく外国旅行に行きたくなってしまったのではないか。
そうであって欲しい私の勝手な空想。
しかし、思うに、
私としてはトンカツ料理類としては、カツ丼がチャンピオンだと思うので、
カツ丼も、他のトンカツ料理と同じ値段にして、
ランチタイムが過ぎても食べられるようにしてほしかったのです。
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2019年10月11日(金曜日)
10.11.うっかり上からものを見ると
つい先日、名古屋市の近郊の町の道路を走っている時、
以前行ったことがある小さな小料理店が閉まっているのを見た。
その店は、カウンターも入れて十数席しかない小さな店だけど、
その若い大将が、きっとどこかの一流の料理屋さんで
板前をしていたかと思えるような
気の利いた料理が品書きに並び、その動きもテキパキしていて気持ちが良い。
もちろん美味しい。
たまたま目についてその小さな店に寄り、すっかり気にいって通った。
ある時、奥さんであろう女性が赤ん坊をおんぶ紐で背負ったまま、
忙しそうに店で働いている姿を見て、
家族が力を合わせて働いている光景にちょっと感動したことがある。
常連であろう若い客も、
お母さんの背中でぐずる赤ん坊を預かったりして、
和気あいあいとした雰囲気が良かった。
しかし、何度か通ううちにちょっと気になることがあった。
何と言っても安すぎる。
会社のスタッフと行った時、
かなりいいものを食べたつもりでも一人がたった千五百円ぐらいで、
「もっともらわなきゃいけないよ。」と大将に声をかけたぐらいだ。
と大将は
「若い人にも皆さんに来ていただきたいので・・」と、はにかんだ。
彼の言っている若い人たちとは、
常連になっているあの学生のような若い子達のことを言っているのだろう。
私は想像した。
※ここからは私の勝手な空想である
あの小さな料理店の亭主は、どこかの一流料亭の板前をしていて、
料亭のお客様は大企業の幹部や上級役人の人達で、
うさん臭い話をしょっちゅうしている。
しかし若い板前は
仕事は仕事なので真面目に務め、腕を上げて行った。
板前が一人前になって、板場を仕切るようになった頃、
若い女性をみそめて、一緒になった。
しかし
その女性とは、その料亭の娘さんであったのだ。
二人が結婚したいと申し出た時
料亭のご主人でもある娘さんのお父さんは、烈火のごとく怒り、
「板前の分際で、娘に手を出すとは何事だ!」と、二人を許さなかった。
許してもらえかった二人は、
思い余って、駆け落ちするしかなかった。
二人で生きて行く決心をしたが、行く先の見通しもない。
しかし、腕のいい板前を応援してくれる贔屓がいて、
長屋のような貸し店舗で小さな料理屋をやる費用を出してくれたのだ。
腕のいい板前は、
小さな店でも、
惚れた人とのつつましやかな生活は、夢のようだった。
やがて授かった赤ん坊は、元気だった。
若い亭主と、若いお母さんと、玉のような男の子。
小さな店には彼らを支持する若者たちが毎日集って飲んで食った。
亭主は張り切って、腕を振るうが、
自分達をしたって集まってくれる若い子達から高いお金は取れない。
お金が少ないからイイ材料は仕入れられない。
それでも、亭主は腕を振るって美味しい料理をふるまってくれた。
とはいっても、日本料理は素材がものを言う料理だ。
フランス料理やイタリアンのように
コテコテのソースで食べさせる料理ではない。
私も、何度か通ううちに、
あまり美味しいと思わなくなった。
美味しいと思わなくなったら、店に行く動機が薄れて足が遠のいた。
何か月かした時に店の前を通ったら、店が閉まっていたので、
定休日かな?と思ったが、
あれから何年かした先日、同じように店の前を通ったら、
店は閉まっていて、看板も降されていた。
ざんねんながら、
あの店は閉じてしまったようだった。
若い亭主と恋女房と赤子の小さな料理店で、
亭主は、彼ら家族を支持する若くて貧しい若者たちがかわいくて、
安すぎる値段で料理を提供している内に、
いいネタを仕入れられなくなって、
料理の味を落としてしまった。
そうしたら、本来の美味さを目当てに来ていた上客は離れてしまい、
気持ちで来ていた常連の若者たち相手だけの商売では成り立つはずがなく、
いつか、彼らも足が遠くなって、
店をしまうことになったのだろうか。
彼ら親子は、大きくなった孫のかわいさに彼らを許した嫁の親父の家、
つまり、女房の実家である一流料亭に戻って、
若い亭主は昔のように超一流のネタに腕を振るっている。
奥さんは料亭の娘に戻って、
幸せに暮らしていた。
そんな幸せなストーリーか、
あるいは、
亭主は、女房に愛想を尽かされ、子供ともども逃げられて、
何処かの街角でくさっているか。
・・・・・・
空想は果てしなく広がっていくが、
真実はどうなのか、私が知る由もない。
腕のいい板前が仕切るこの小さな料理屋がつぶれたのには、
一つのポイントがある。
何と言っても、あの安過ぎる値段だ。
あの板前の腕をもってしても、美味い料理を造れなかったのは、
まともな材料も仕入れることが出来なかったあの安過ぎる値段だ。
「若い人にも皆さんに来ていただきたいので・・」と、
若い人は貧乏と決めつけてしまったあの偏見なのだろうと思う。
若い子が安いファストフードを食べているのは、
嗜好がファストフードに合っているのであって、決して貧乏だからでない。
しかし以前勤めていた一流料亭に来ていた金持ちな権力者達を憎む気持ちが、
反対に好きな若者たちを貧乏だと決めつけてしまう誤解があった。
若者たちを貧乏と決めつけて、
安い材料ばかりを仕入れて、自分の料理をぶち壊してしまったのは、
若い子たちに対して、知らぬうちに、
上からの視線を亭主が持ってしまっていて、
若い子たちを貧乏であると誤解したことに尽きるのではないか。
私の何の根拠もない空想話だが、
私達も商品の値段を下げたくなる時、
意外と陥りやすい誤解の構造なのではないだろうか。
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2019年10月10日(木曜日)
10.10.台風19号の心配と、不謹慎ながら楽しみ
サボると言いながら、30分ほど暇な時間が出来て、
ふと、話を思いついたので、
つい、書いてしまった・・・
中心気圧915㍱という強烈な台風が、
いまだ暖かい海水によって勢力が衰えずに北上し、
週末から三連休にかけて日本列島を直撃するようです。
台風の怖さは、私が小学校二年生の時の伊勢湾台風で、
強烈な恐怖を伴った記憶として残っており、
また、先の台風15号で被災した千葉の多くの方々のご心労を思うと
決して不謹慎なことを言っていけないのだが、
今朝、ふと、台風19号が来ることを楽しみだと思ってしまった。
なぜかと言うと、
私が乗っている社用車ボルボは、
Wダイヤモンドキーパーが掛けてあるので、
買ってから2年経つが、まだ一度か二度しか洗ったことがないのです。
(1年点検の時にディーラーさんが洗ってくれたのとドライブスルーに一度?)
それでも、
雨が降ると、
埃が雨と一緒にはじかれて、
ちゃんと降った雨ならば、
降ったあと、洗車をしたようにきれいになっているので、
洗車の必要性を全く感じないのです。
しかし、雨が降らずにずっと晴れていると
埃がうっすらと貯まってきて
その上に、シトシトっとほんの少しだけ雨が降ると、
埃が雨を吸っただけの状態で、雨と一緒にはじかれず、
輪状の模様になって汚れるのです。
いわゆる汚れた状態になるので、
どっかのドライブスルーで洗おうかなと思っていたところに、
台風19号のニュースがテレビで言うようになったので、
「おっこれで、洗車に行かなくても、ボルボがキレイになるな」と、
まったく不謹慎ながら、思ってしまったのです。
大雨が強風と共に降るとなれば、
ボルボのボディに乗っているホコリはすべて雨と共に弾かれ、
スパーときれいなボディになって、ピカピカに戻るのです。
何度も体験しています。
ふと思ったのですが、
いっそのこと「KeePer」を、
「洗車いらずのコーティング」と言ってしまおうか。
ちょっと無理かな?
なんてことも思ったのでした。
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2019年10月10日(木曜日)
10.10.ちょっとしたスランプ?
最近、ふと、毎日のコラムが書けなくなる日があります。
何を書くかのテーマが思い浮かばないのですが、
それでも、いつも、何か文字を書き始めれば自然にテーマも出てくるのですが、
出ないときには出ないもので、
無理して書いてもわざとらしいので、
すんなりと休むことにしたら、それが時々あるようになってしまい、
休むと言うより、サボるという感じです。
昨日と一昨日サボって、
今日は夜飲む約束があるので、またサボるでしょうし、
やっぱりちょっとしたスランプなのかもしれません。
ということで、
今日は早々にサボル宣言をしたので、
思いっきり飲めます。
のむぞー
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2019年10月07日(月曜日)
10.07.売るべきは「付加価値の高さ」であり「安さ」ではない。
昨日の「キッチンなかむら」のハンバーグの話。
どのメニューも当店の看板でもある美味しいハンバーグとの組み合わせで、
1,200円~1,500円。
ガストなどのファミレスやトンカツ屋と比べたらちょっと高い。
牛丼の吉野家、すき屋、松屋などと比べると2倍か。
しかし、コメダでサンドなどとコーヒーを頼むと必ず1,000円は越す。
カレーのCoCo壱番屋で、
2種類もトッピングを選んでつけたりすれば1,000円は越す。
毎日でも食いたい美味いハンバーグと何かの組み合わせのランチは、
この1,200円~1,500円くらいがぴったりだ。
食事ならば”味”が絶対的な付加価値だ。
昔のような栄養価の価値は相対的に下がって、むしろ低いことが求められる。
絶対的な付加価値の”味”が、圧倒的ならば、
高目の値段設定がちょうどいい。
これが、
お小遣いの少なくて牛丼くらいしか食べられない貧しい人にも、
ぜひこのハンバーグの味を楽しんでもらいたい。などと気負って、
牛どん並みの値段をつけると、
納得のいく材料を仕入れたりすることが出来なくなって、
味を落としたりして元も子もなくなったり、
あるいは、大変忙しい思いをする労苦に報いられるような報酬を得られず、
途中で嫌になってしまったりして
いずれにしても、美味しいハンバーグを喜んでもらいながら、
働く自分も報いられて”続く”。ということが出来なくなる。
高い付加価値を提供できるのならば、
単価はきちんと維持しないと、
何もかもが台無しになる。
単価をキチンと維持と言っても、ランチで1,200円~1,500円程度、
採算が十分に取れるレベルであって、
暴利をむさぼるというレベルでは決してない。
自分で付加価値を生み出すものは、
「安さ」で売っていけない。
「付加価値の高さ」で売るべき。
例えば食べ物ならば、売りはまず「味」であるべきであって、「安さ」でない。
そんなことを考えさせられた美味しいハンバーグであった。
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