谷 好通コラム

2025年01月05日(日曜日)

01.05. 2025年8月16日「KeePer技研㈱ 創業40周年記念の〇〇会」

今年8月16日にKeePer技研株式会社は総業40周年になります。
しかし、
創業時、私は32歳であり、
今年3月18日には73歳になるので、
8月16日がKeePer技研㈱の40周年とは
どうも計算が合わないのですが、
記録を見るとやっぱり今年が創業40周年だというので、
私としては「まっ、いいか」です。

 

そういえば、
10周年の時、お祝いで刈谷駅前の季節料理屋「勉作」で宴会をしたのですが、
宴会の途中で会社の幹部の誰かが
「ちょっと計算してみたら、今日はまだ9周年ですね。」と、こそっと言った。
そう言われてみれば確かにそうなのだが、、
皆、酒を飲んで、騒いでいる途中だったので、
「まっ、いいか」で、
そのまま飲み続け、10周年を通してしまいました。
しかし、あの頃はまだ社員が20人ほどしかいなかったので
「まっ、いいか」で済ませられたのですが、
今度の40周年ではそうも行きません。
社員が一千人以上いて、その家族も自由に来ていただく予定で、
さらにKeePer PRO SHOPの皆さんも自由に来ていただく予定とか、
昔の仲間たちとか、ご招待客も入れれば2,000人~3,000人。
40周年の会の最中に「実は、今日は41年目でした。」と、私が言ったら
皆さんが一斉に「まっ、いいか」とは絶対に言わない。

 

私が生まれたのが1952年3月18日、
KeePer技研株式会社の前身である
創業時の「株式会社タニ」の法人登記が1985年8月16日。
だから、2025年8月16日が創業40周年であることは間違いなく、
私が33歳の時でした。
つまり、私が起業した年齢を32歳と記憶していたのは、
自分の会社を興そうとして
勤めていた会社を正式に辞めた時の年齢でた時だったようです。
それが1985年の1月か2月で、
たぶん賞与をもらってから辞めたのではないでしょうか。
だから、私自身として雇われの身を辞したのが32歳。
私自身にとっての起業だったので、起業は32歳と思い込んでいたのでしょう。

 

だから、今年8月16日の総業40周年は正解であって、
私の起業が32歳も、あながち間違ってはないので、
皆さんからの「まっ、いいか」をいただく必要は無しでした。

 

2025年8月16日、中部国際空港の駐車場奥の「セントレアホール??」
音楽のライブなどが時折開かれる広いホールです。
広大な駐車場があるので自動車でも来れるし(只、酒が飲めなくなりますが。)
鉄道でも来れるし、もちろん飛行機でも来れる便利なホールです。

KeePer技研㈱の40周年を祝う会なのか何なのかよく分かりませんが、
KeePerに直接的、間接的に関わってきたたくさんの人が、
同窓会みたいであり、新たなつながりを持つ会であったりして
いっぱいのビデオや写真を映して、CMだけでも5.6本あります。


いろんな人が喋って、いろんなことをやって、
でも、とりあえず、いっぱい酒を飲んで(自動車を運転しない人)、
ドンチャン(フルバンドを呼ぶ)と、大騒ぎをする会でいいかなと思っています。

 

しかし、こんな会なので、
皆でガヤガヤと話し合って、皆でやる事を決めようとしていましたが、
ガヤガヤだけでは何も決まらず、ちっとも進まないので、
そろそろ、まとめ役とか進行役で、プロに絡んでもらおうかとも思っています。

 

なんにしても、8月16日、セントレア空港の大ホールです。
皆さん、飲みに来て下さいね。

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2025年01月04日(土曜日)

01.04. 仕事が始まりました。LABO大垣店とLABO江南店。

朝、ゆっくり起きて会社に出て行ったら、
自動扉が開くので、3階に上って行ったら、
小会議室で三浦部長が、ゴソゴソ、山になった紙束を相手に何かやっていました。

KeePer PRO SHOP(KeePer LABOも)が参加の「KeePer選手権」の
“最終集計表”が、何千枚とFAXされてくるのに、
事務所のFAX用紙が切れて、
ファクシミリにデータが詰まっているに違いないと、気になって、
見に来たのだそうです。
案の定、
紙切れで止まっていたFAX機に紙を補充し、
文字通り”山ほどの”FAXを排出し、
間違いなく何千もの“最終集計表”を、受け取ってしていました。
分かったような能書きよりも、
偉そうな振る舞いよりも、
実際には何が大切なのかをよく知っている行動です。

 

 

今回の年末、愛知北部、岐阜南部の店舗でスタッフが足りず、
みんなが苦労していました。
27日以降の応援スタッフが店舗に散った日以降も、
なかなか応援が来なかったのですが、巡回してきた社長の鶴の一声で
海外事業の矢島部長が張り付いてくれて助かったと

嬉しそうに話す杉山店長。(左側のスタッフは名前を聞くのを忘れました。)

KeePer LABO大垣店にて

 

応援は他部署の人たちの助け合いの心で出来上がっていたと思いましたが、
鶴の一声での応援は、言ってみれば命令なので、
応援のみんなの自宅から遠い愛知北部、岐阜南部の店舗は応援が来づらく、
今年の年末は、年末が始まる前から、
それなりの体制を組まなくては、年末が成り立たないことを覚悟しました。

 

みやと君。

こじま君

KeePer LABO大垣店は、
12月31日終業を迎えた時点でやっと+5万円ほどupの
でも1,000万円越えの予算達成で、大変みんなが苦労したものでした。
会社としてやるべきことが多そうです。

 

 

次に行ったKeePer LABO江南店は、
大垣店の杉山店長の本当の”弟”杉山君が店長を務める店舗で、
バリバリのライバルです。

2024年12月のLABO江南店は1,200万越えで、LABO江南店の勝ちです。

今年はLABO江南店をもっともっとスタッフ増強して、
もっとポテンシャルを上げなくてはと思わされたのでした。

夕方になると、今日から営業が始まったKeePer LABOから、
続々と日時報告のメールが入ってきます。
12月がみんな凄かった分、
三日間の謹慎が明けたかのように
1月のスタートも同じくらいの凄さがあります。LABOは本当に凄いです。

 

杉山店長

いぐち君、あかほり君。

ふくだ君。

さかぐちチーフ

 

 

LABO大須店に新しい看板が付いたとメールで報告がありました。

 

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2025年01月03日(金曜日)

01.03. お正月三日目に感じた我が懲役三日間。

今日は名古屋駅近くのデパートに行ってみました。
何か目的があった訳ではないが、とりあえず、やることがなかったから。

元々、いわゆる”休み”が苦手な私には、
ただ単なる流れるだけの空白の時間が続くのは、ほぼ懲役に近い。
そういう意味では、私が何か悪いことをやって”懲役刑“になったら、
普通の人の三倍くらいの罰を谷は受けていると思っていただいてイイ。
・・どうでもイイことですが。

 

駅近くのデパートは、
ものすごく混んでいて、
駐車場に車を止めるだけでも、大変な苦労で、
その時点ですでに後悔が始まる。
三軒目のデパートでやっと車を止められた。
そのデパートは割と人気のないデパートだったので人は多くはなかったが、
別に欲しいものがあった訳でもないので、
催事場でやっていた絵画展を見た。

 

たくさんのバラバラの絵画を見て廻るのは楽しかった。
その値札は何十万円というのが普通で、
それぞれについている値札はすごく高いが、それにプラスして
「3点まとめて買えば2点分の価格に値引き」
とか、
別添の説明書きが着いている。

 

1点1点の絵に付いている値札がとても正統とは思えず、
まったく買う気にならない。
それに、ちょっと気に入った絵をじっと見ていると、
係の人が寄って来て
「この絵は○○が○○歳の時に描いた絵で、
本人も、とっても気に入っている絵です。
この値札の値段は今だけで、絶対お買い得ですよ。」と話しかけてくる。
いわゆる見え透いた売り込みに来て、
私達のKeePerなら、絶対にやってはいけない下手な売り込みである。
それでも1時間くらい堪能するまで見せてもらって、
昼ご飯を食べに、レストラン街に行く。

 

しかし、どのレストランにも空き待ちの長い行列が出来ていて、
一番列が短い行列に並んでみる。
すると、その行列が目の前に見える席に座って食べていた人が、
食べ終わってから、やおらスマホを触りだして、ちっとも席を立とうとしない、
その無神経な様子がイラついたので、
列に並ぶのをやめて、結局そのデパートでは何も買わず、食べず、
外に出て、
CoCo一番屋でカレーを食べた。
そのCoCo一番屋でも、
とうとう注文が「タッチパネル」になっていて、
今年こそは、
何とかタッチパネルに挑戦してみようと頑張って操作したが、
注文をし終わってちょっとしたら、
店のスタッフがやって来て
「カレーが3つもオーダーされてますが、間違いですよね。
よろしければ、どれが消しましょうか」
と、言ってきた。
どうも操作を失敗したらしい。
しかし、その言い方が適度に優しく良かった。
それでも、から揚げトッピングの1辛ポークカレーを食べ、美味しかった。

 

それでお腹もいっぱいになったので、
今度はどこへ行こうかと考えたが、
結局、よく分からず、
ビールを飲み始めて、これを書き始めた。
たぶん、せっかくの一月三日だが、
このままビールを飲んで酔っ払ってしまうのでしょう。

勿体ない三が日の最終日でした。

 

明日からは、KeePer LABOも営業開始。
全国のKeePer PRO SHOPは給油という社会インフラを担っているので、
元旦から営業している所も多いと聞きます。

 

私も、明日からは仕事モード全開にさせてもらいます。
実際の事務所は1月6日が仕事始めですが、
私にはその準備をするという大手を振ってやれる理由があります。

 

だから、今日は、このままビールを飲んで酔っ払いましょう。
谷 好通の懲役三日間の終わりです。

 

元旦には福王山神社に代理初詣に行きましたが

昨日2日は、全部車イスで行ける「愛知県護国神社」に行ってきました。

 

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2025年01月02日(木曜日)

01.02. 7年行かなかった副王山神社での初詣・代理初詣

KeePer技研㈱が東証マザーズに上場してからもうすぐ10年になります。
それから三年後に私が体を壊して、あまり移動が出来なくなった頃に
長く続いていた三重県の副王山神社への初詣が途絶えました。

 

それまでのたぶん50年ぐらい、
親父たちが生きていた頃は三代のみんなで、
亡くなってからも自分の家族だけで必ず登り続けてのですが、
体の具合で、それも途絶えていたのです。
でも、長男が代わりに一人で登って、代表して初詣をしていてくれました。
今年も、東京から長男が出て来て代表初詣をしてくれに帰って来たのですが、
ふと、私も車で行ける所まで行って、
半端ではありますが、初詣らしいことをしたくなって、昨日行って来たのです。

 

副王山神社は、
私の亡父の実家がある三重県菰野町の近くにあります。
昔はお正月の二日に菰野町にある本家に親戚中の人が集まって
大勢で酒を飲み、すき焼きを食べる新年会を開きました。
そこで、散々酔っぱらってしまった後、
家族で初詣として副王山神社に上ったのです。
副王山神社は毘沙門天が祀られた、いわゆる天狗の神社です、
副王山そのものは標高598mあって、
神社はその中腹にあります。
相当の高さまで自動車で登っていくのですが、
最後は角度20度位の上坂を約300m、石段を298段、足で登ったのです。
私は登るのがものすごく苦手で神社にたどり着くのが精一杯でしたが
最後の階段を登って社殿に参拝する時は、
「今年も副王神社に来れた。」としみじみと自分の健康を喜びました。

 

しかしそれが出来なくなって、息子が代わりに繋いでいてくれたのですが、
今度は私がそれに途中までくっついていくという
今回は新しい段階になったような気がします。

 

一番最初は若かった父と母が二人で

1やがて父母と私と弟の四人で行き、
2.それに私の連れ合いと子供たち三人が加わり、弟の家族三人も加わって、
3.最大十人が連なって副王山に上りましたが、
3.やがて父が逝き、弟達が行かなくなって
5.でも、娘の家族と孫が加わった。
6.しかし母が逝き、途中で一回だけ加わったが
私達も登れなくなって、みんな登らなくなってしまったが、
その間も、私の息子だけが登り続けてくれていた。
7.そして今年、その息子に、途中まででも私達がくっついていくようになった。

 

副王山への初詣を思い返すと、私の一生を振り返るようです。
神社ではいつも買ったオミクジが、多く「吉」であったことが不思議でした。
他に行った者が引いたオミクジは、
「大吉」「中吉」・・と何でもあり「凶」まであったのですが、
私はその多くが単に「吉」であり、私はそれをもっとも良しとして来ました。
KeePerのビジネスも大ヒット商品や、大ラッキーはありませんでしたが、
人との出会いに恵まれたり、
一つの地味な施策が、他の施策と相乗効果を出したり、
よくある地味な幸運が積もり積もってここまで来たような気がします。

 

何よりも、「続ける」ことを大切にしてきました。
人のつながりを大切にし、
たとえば、多くのKeePerプロショップさん、KeePer施工店さん
たとえば銀行さんとか、たくさんの仕入れ先さんとか、建築業者さんとか、
お付き合いさせていただく業者さん関係も、基本的にずっと変えずに来ました。

 

しかし、変えなくてはいけない時もあります。
自分自身が変わって(例えば体調が)、今まで出来た事が出来なくなった時、
私は副王神社に行って登る事も、出来なくなったので、やめました。
と同時に、
動き回る活動的な社長を退き、
会長(チェアマン)兼CEO(経営最高責任者)になり、
動き回らずとどまって経営活動をやるようになって、
結果として、
SNSの積極活用や、新型コロナとか他のラッキーも重なったこともあって、
成長スピードがそれまでになくハイスピードになりました。

しかし、そのハイスピード成長の結果、
会社の規模が何倍にもなって、
未来に、今と別次元の価値と、社会的意味を持てる可能性が明確になってきて、
と同時に、
たぶん従業員が1,000人を超した頃から、
これまでのKeePerの価値観だけでは、
上手くまとまらなくなる可能性も見えて来て、
我々自身も、今までの概念から大きく進化する必要性を確信しつつある。

 

今まで異質と思ってきた者に、
途中までとはいえ、副王神社に連れて行ってもらうようになったように。

 

私が撮ったのは、この一枚だけです。

私はこの約300mも続く20°位?の坂道の下でおでんを食って待っていました。

ここから息子が撮った写真。ここから298段の階段が始まります。

大きな木の中を不規則な階段が続きます。

神社の社殿が見えてきました。

下の様子からは想像できない賑わいぶりですね。

参拝するのに、列が出来ていたそうです。

オミクジやお札を買います。

焚火は小さくなっていました。

 

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2025年01月01日(水曜日)

01.01. みんなが気軽に応援したくなるような職場であり続けたい。

大晦日、四日市市と鈴鹿市のKeePer LABO4店舗に行ったら、
色んな《応援》の人がいました。
LABO四日市店では、
女性スタッフのお友達が「タオル当番」で短期間の応援に来てくれていました。
今年で三年目だそうです。
LABO四日市南店では、ほそい店長の奥さんが手伝いに来てくれていました。
(昔、自分の旦那さんを連れてきた女性スタッフがいた。)
会社からは製品開発の田野君が来てくれていました。

LABO鈴鹿玉垣店には、スタッフの弟さんか友達か分かりませんが
すごく感じのいい子が手伝ってくれていました。
LABO鈴鹿店では、事情があって退社していた子が、
現役バリバリの技術のままで手伝ってくれていました。
マーケティング部の西村デザイナー(一級取得)も、手伝っていました。

 

この会社の従業員は
KeePer LABOの直営店128店舗に務めている人が大半で約1,000名。
1店舗あたりに6~11名
1月~11月の平常月は生産性7,000円/人時前後で働いている。
しかし、お正月前の12月だけは平常月の約160%の来店客があるので、
当然スタッフの残業数も増えるが、それだけでは
時間当たりの生産性は9,000円/人時近くに跳ね上がってしまう。
そこまで上がってしまうと、働く者にとって仕事が過酷になって
本人がツラいだけでなく、
いい仕事だって出来づらくなる。
だから、仕事の量と人員数のマネージメントは
担当をする役職の者にとって、
多くの仕事の中でももっとも大切な仕事とも言え
いつも神経を張り詰めなくてはならない。
しかし、
この12月だけは日常に例外的な応援が必要になるので、
12月はPRO SHOPの全店チェックで忙しい営業のメンバーに、
頼んで助けてもらう事になる。
あるいは、まとめて入った大きな仕事を分担してもらうこともある。
しかし、
営業部の営業兼インストラクターで約100名前後。
LABO1店舗当たりに1人分もいないので、苦しい所です。

 

12月もいよいよピーク本番とも言える27日以降からは、
いよいよ全員出動態勢になります。

 

出荷倉庫に社員が10名前後と、パートさんが40名ほど
(パートさんには「103万円の壁」があるので店舗応援を頼めない)。
製品(技術)開発5名と、車以外への販売部に3名。
あとは経理、総務、電算、プロショップ事務局に20名ほど。
マーケティング部にはデザイナーが11名とビデオ・広報・IT部門などに5名」
この人たちは、大半がLABO出身者なので、
KeePer一級技術資格を持っていて、27日以降はLABOに張り付く。
27日以降の、年で一番忙しいピークには欠かせない貴重な戦力だ。
取締り役の連中だって、役に立てる人には役に立ってもらう。
(私は何年か前から「役に立たない」として、
どこのLABOからも応援要請のオファーがかからない。)

 

それにしても人数的には大きな戦力にならないので、
加えて、
スタッフが自分の友達とか、家族とかを「タオル係」の応援に連れてくる。
最近は少なくなったが、社員のお父さんとかお母さんもよくいた。
けっこう多いのが、KeePerの元社員。
当然、技術を持っている訳なので、
昔の同僚から頼まれて助っ人で来ている。
今回も何人かいた。
店を廻るとそんな人がよくいるので、私としてはUターンを勧めるチャンスだ。
そんな人の中には自分の子ども(助っ人として)を一緒に連れてくる人もいた。

 

私は思うのですが、
社員の家族とか、友達とかを
平気で、助っ人として連れて来れる”社員と会社の近さ”が大好きです。
それをゴチャゴチャ言わずに喜んで受入れてしまうKeePerの連中も大好きです。

 

12月はいつも、そんな様子を見ていて、
私はこの会社をやってきて本当に良かったと思うのです。

今年も、みんなが気軽に応援したくなるような職場であり続けたいと思います。

 

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