2017年03月12日(日曜日)
3.12.店長の転進・昇進と新店長の大垣店、一宮店、東海店、
KeePer LABOでは今、毎月、複数の新店長が生まれています。
新しい店舗が次々とオープンしているので当然ですが、
新店に新店長が就く訳ではなく、
新店には熟練の店長が就き、
その熟練店長が抜けた店舗の店長の席に、新店長が就きます。
新店長には多くの場合、その店舗のチーフが上がります。
(店長が課長に昇進する場合も同じです。)
これまでに何度か新店舗に新店長を就けて、
ストックビジネス独特の暇なスタートを無用に味あわせてしまい、
新店長に要らぬ苦労を掛けた経験から学習して、
新店舗の店長には経験がある熟練の店長を充てることにしています。
だから言い方を変えると、
新店舗の店長になるためには、
(あるいは課長に昇進するためには)
自分自身に年単位で店長の経験があり、
自店のチーフが新店長として成長していることが必要なわけです。
最近の例では、LABO鳴海店の竹内(智)店長が、
その力量と経験を買われて新店舗のLABO福井大和田店の店長に就任し、
それまでLABO鳴海店のチーフであった白石チーフが、
店長としての力と責任感を持つ者としてLABO鳴海店の店長に就任しました。
また、LABO大垣店の小杉店長が、
LABO大垣店の二年目ジャンプの実現を認められて、
新店舗のLABO師勝店に就任すると同時に、
LABO大垣店の福本チーフが、
店長としての資質とやる気を認められて大垣店福本店長として就任しました。
小杉店長の残した財産としての実績と、
福本店長の緊張感を持った店長ぶりで、
月半ばLABO大垣店は、二年目ジャンプに相応しい大幅増で進んでいます。
LABO大垣店は、
日本海側から太平洋側に抜ける雪雲の道の
真中にある「伊吹山」の麓にあって、太平洋側の平地なのに雪がよく降ります。
LABO大垣店の福本新店長は、
「店長になってから緊張のしっぱなしです」と言っていました。
でもカメラを向け続けると、やっぱり笑顔を見せてくれました。
新しくチーフになった杉山チーフ。ひょうひょうとしています
新しく赴任してきたもうすぐ丸一年の一級技術資格高木スタッフ
二年目の春を迎えた大垣店は、一年前が嘘のようにお客様が絶えません。
コーティングブースにもコーティング施工の車がいっぱいです。
その中に、一宮店の元店長で、新たに「課長」となった藤村課長がいました。
藤村新課長は一宮店と同時に大垣店も担当することになっています。
LABO一宮店の店長が課長に昇進したので、
スーパーアルバイトチーフだった多賀君が正社員になって、
新たに一宮店の店長になりました。
多賀新店長は「店長になると仕事がまるで変わりますね。」と嬉しそうでした。
平日は名古屋営業所のインストラクターを務め、
土日をLABO一宮店の副店長となるマルチスタッフの塩崎副店長(主任)
岩波チーフは自信に溢れて存在感が一層増しました。
一級技術資格中尾スタッフもより大きくなって(太って)存在感が増しています。
カレーが大好きで隣のCoCo壱番屋のカレーを700Gのごはんで食べると言っていました。まるで小杉です。
LABO東海店の安部店長は、
3月末オープンの新大型店「LABO長久手店」の店長に抜擢されました。
何度もLABO新記録を樹立した安部店長の手腕に期待です。
左側に立つのがもうすぐ丸1年の一級技術資格屋下田スタッフと、
真ん中が、今度チーフから店長に昇格する北村新店長。アルバイトから入社した8年目のベテランです。
大須店から応援に来ていた一級技術資格梶田スタッフ。
スーパーアルバイト一級技術資格砂山ボクサーが、ひげもじゃになっていました。
ボクサーは何をしてもかっこいいですね。
車庫改造のブースが活躍していました。
伊吹山の美しい白さが印象的な日でした。
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2017年03月11日(土曜日)
3.11.お金も単なる数字になると意味が無くなる。
昔々、”お給料”はみんな「現金」で渡されていました。
毎月、会社から受け取った現金の入った給料袋を、
子供と一緒に並んで座る奥さんに亭主が手渡すのが、
ちょっとした儀式で、
その日だけは、晩ごはんのオカズが亭主だけ一品多かったり、
お酒が一本余分についたりして、
給料日は亭主の一日天下でした。
亭主によっては、給料袋をそのままは渡さず、
決まった金額を抜いて取って生活費として奥さんに渡し、
残りの分は全部、自分の自由にするという豪傑もいた。
それが府中の「三億円強奪事件」からだっただろうか、
あれは確か東芝の従業員に支給される給料の現金が強奪された事件だった。
あれが一つのきっかけになって
給料日に多量の現金が運ばれることが危険の元でありって
これを全部、銀行振り込みにすれば現金輸送が不要になって安全であり、
従業員さんも会社から家庭に現金を運ぶ危険が無くなる。
それに経理担当部署の大幅に手間が減って、
つまり楽になるので人件費の削減=合理化にもなるということで
長く現金支給が当たり前だった給料も、
「銀行振り込み」に変わっていった。
給料はいったん口座に全額入金され、
それを”奥さんが引き出す”というスタイルが当たり前になった。
亭主の働いている時間にしか銀行は開いていなかったので仕方なかった。
あれから、
亭主が奥さんに現金の入った給料袋をに渡すプチ儀式は無くなった。
だから、当然、亭主だけオカズが一品多くて、
お酒が1本余分出る特典もなくなった。亭主の一日天下は消滅したのだ。
それよりも、いったん銀行の預金口座入ってしまった給料は、
銀行が開いている時間に銀行に行ける奥さんが銀行印やカードを持ち、
結果的に奥さんが自由にお金を出し入れできることになって、
奥さんがその家庭のお金についての”イニシアティブ”を完全に取り,
亭主が働いて稼いだお金はすべて奥さんの手に握られたのだ。
そして、なんと!
亭主は奥さんからお小遣いを支給されるようになったのだ。
古い私には信じられないのだが、多くの亭主がそのようだ。
何が変わったのか。
昔に比べて、女性の社会的な地位が上がり、
あらゆることについて男女平等が根付いたということなのかもしれません。
しかし、表現ははなはだ不適切であり、
まれなケースではありますが
奥さんに働かされ、餌を与えられ、飼われているように見える亭主もいます。
私の偏見かもしれませんが、
そういう亭主は、あまり出世しないような印象があります。
それはともかくとして、
現金が入った給料袋には何かしらの威厳があったような気がします。
お金が銀行口座に入ってしまうと、
ともすると現金が、ただの数字になってしまう変な錯覚の現象があります。
たとえば、①10000000円と、②100000000円では、
どちらがどれだけ多いか判りますか?
パッと見ただけでは判りにくいですね。
では、桁区切り点(,)をつけて見ましょう。
① 10,000,000円と、②100,000,000円
大きな金額を見慣れている仕事をしている人はすぐに判りますが、
普段こういう数字を見ていない人は、パッとは判りません。
一、十、百、千、万、十万、百万、千万、億、と、
桁を一つ一つ数えて初めてわかるでしょう
漢字で書けば、
① 一千万円と、②一億円です。
なんと②は十倍もあったわけですね。
一千万円と一億円は大違いです。
一千万円も大金ですが、ちょっとした高級車が買えますが、それまで。
しかし
一億円あれば、立派な家が買えるどころか、
普通のサラリーマンの生涯年収に匹敵して、
普通に暮らせば、一生遊んで生活できます。
そんな遊んで暮らす一生なんて、誰からも必要とされない寂しい一生ですが。
一万円の札束にするともっと判ります。
一千万円は高さ10cmの札束一個ですが、
一億円はそれが10個なので、積み重ねると高さ1メートルの札束になります。
パッと見て、一目でどちらがどれくらい多いのか判ります。
しかし
① 10000000円と②100000000円とは大違いです。
まったく実感として判りません。
例えば、
経営の月次結果を見る時など、
売上5,000,000と数字だけ見れば、
前月比○○%とか、
予算比○○%で達成したのかどうかぐらいにしか、見えませんが、
その売り上げは、
誰が、どんなお客様と、どんなふうに話して
誰が、どんな車を、どんな思いで、どんなふう洗って、
或いはコーティングして、どんな仕上がりになって、
お客様がどんなふうに喜んでくれたのか、あるいは驚いたか、
それを見たスタッフがどんなに嬉しかったか、
5,000,000円の金額を作り上げた背景には、
こんなドラマが何百回、何百台分も重なって作り上げられた金額です。
それを感じかどうかは、
数字を見ているだけでは、絶対に判りません。
現場に行って、
車を見、従業員を見て、話して、お客様とその車を見て、
素晴らしくきれいに仕上がった車を見て感動し、
お客様が喜び、驚く姿を見て、
それにスタッフがどれくらい嬉しいのか、それを見て、感じて、
それが何百台も重なってできたことを感じて、
初めて
その5,000,000円の意味が解るものです。
5,000,000円の数字だけを見ても。ただ五百万円であることが判るだけです。
そこが事業のポイントだと思います。
経営者は、”数字”に対してクールになって、
客観的に見て的確に把握し、
慎重かつ大胆に判断し、素早く行動する必要もありますが、
その数字がどういう意味を持っているのかを忘れると、
事業がただの金儲けになって、
たいていの場合、失敗します。
そんなのをいっぱい見てきました。
自省しなければなりません。
暖かくなって、近くの梅畑の花が一斉に咲いています。
固定資産税対策の梅畑の割にはよく手入れがされていて立派です。
これは何の花でしょうか。
高くのSSのセルフ連続洗車機に洗車待ちの列ができていました。いよいよ春と本番です。
LABO大府店には十台くらいのお車が入っていました。すごいことになりそうです。
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2017年03月09日(木曜日)
3.09.今日は新しい販促ツールカタログ制作会議
今日は午後4時から、
デザイナーたち全員と参考の数人が本社に集まって、
看板のデザインとか、ポスター、チラシなど
販売促進ツールの新しいカタログを作るための、
キックオフにあたる会議をやりました。
感心したのは、
東京営業所にデスクを持つ立花デザイナーが、
この会議に前もって、
KeePer PRO SHOPなどKeePerの施工店さんと接している営業スタッフに、
施工店さんのKeePer販促ツールに対する希望を聞いてきてくれていて、
建設的な意見を会議でいっぱい出していたことです。
会議にはただ単に出席するだけが参加することだと思っているのか、
会議の席に座っているだけで、何も発言しない人が多くいますが、
前もって準備していて積極的に参画してくる人と比べて
断然、差が付きます。
会議で座っているだけの人は、参加しているとは言わないでしょう。
もちろん、今日の会議ではみんな積極的に発言があって、
活発な会議になりました。
これはとてもいい販売促進ツールと、そのカタログが出来そうです。
これを造る主役のデザイナーたちは、
決してやるだけの「こなし仕事」をするものではなく、
きちんと意味のあるいい仕事をしてくれる人たちです。
楽しみです。
とは言っても、私のように、
すぐに演説っぽく喋ってしまう人間がいつまでもいると
かえって会議は成立しないので、
大筋の議論の方向が見えて、
いいアイデアがたくさん出てきたとところで、
先に退席させてもらいました。
だから、今日は午後6時退出の定時勤務です。
明日10日は、「取締役+執行役員」の
株主総会に次ぐ議決機関である「役員会」の日です。
それぞれ会社の重要な責任を持っている人たちばかりです。
ただ出席するだけが参加することだと思っている人なんていません。
それぞれが資料をメールで送って来ています。
私も、しっかりと準備をして、考えを持って参画します。
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2017年03月08日(水曜日)
3.08.夜11時東京到着、翌朝8時からのほぼ連続6本のIR
昨日夕の「ものつくり講座」が終わり
待ってもらっていた車で、そのまま名古屋駅に直行し、
21時過ぎの東京行きの「のぞみ」に乗って、
唯一、売店に残っていた幕の内弁当を食べながら東京駅に着いて、
駅構内のコンビニで朝ごはんになるサンドイッチを買ってから
近くのホテルの部屋に入ったのは23時半過ぎでした。
今朝は朝6場に起きて、昨晩買ったサイドイッチを食べて、
ホテルロビーに7時に常務と集合。
今日の仕事先に向かう。
そして打ち合わせ後、朝8時から、
約50分間のIR(事業説明)と10分の休憩を単位として、
昼食を挟みましたが
ほぼ連続6本のIRをやりました。
けっこう激しいスケジュールです。
昨日に引き続いて、しかし、それほど疲れを感じることもなく
自分に確実にまた昔の元気が戻ってきていることを感じます。
20年くらい前、
私が先頭になって、日本全国を走り回っていました。
日本国中の全県に行ったことがあります。
日本のみならず、中国や、アメリカ、ドイツを飛び回って、
海外への出張も100回を超えて、
それでもとりわけ日本国中を、
体力と気力の続く限り動き回っていた頃、
昨日から今日にかけてのように、
夜、出張先で仕事が終わったら、その地で食事をせず
すぐ移動し、電車の中で駅弁を食べ、
翌日の仕事先の地まで行って、ホテルでバタンキュウと寝る。
翌朝早く起きて、仕事を始める。
そんな効率的というか無茶なスケジュールを、
M的なる快感すら持って強行していました。(私はMではありません)
あの頃を思い出します。
あの頃は疲れましたが、まったくツラクはありませんでした。
毎日が変化に富んで、
ぎっしり詰まったスケジュールを、快感をもって激しくこなしていました。
今、思い出すと懐かしくて、胸がせつなくなります。
あの頃には戻れませんが、昨日から今日にかけて、
あの頃を彷彿させるようなスケジュールをこなして、
何の支障もなくこなせたことにちょっとした満足を感じています。
朝早くからのIRも、早く終わって、
まだ、十分見られる時間に、富士山の前を通過しました。
キレイな富士山を見て、写真を撮らずにいられないのも昔と同じです。
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2017年03月07日(火曜日)
3.07.タニ石油や快洗隊をご利用いただいていた方
今日は夕方まで、
決まった用件がなく、訪問客もなく、
一日中、事務所の自分の部屋で、
たまりつつあった仕事を一挙に片付け、さっぱりしました。
たまには、こういう日も、計画的に作らなければと思いました。
先方から入ってくる「受動的なスケジュール」、
自分から目的を持って作る「能動的なスケジュール」に加えて、
「いつか、何かついでがあったら、やろう」と思って、
“ついで”を待っていても、その”ついで”がなくて、
何もない日をまっていても、たまっていくばかりの用件は、
こうやって何もない、事務所にいるだけのスケジュールを作ることも、
たまには必要です。
今日の夕方からは、
「刈谷市の商工会議所」の大会議室で、
日刊工業新聞主催「ものづくり講座」の講師として、
約50名の方々の前で、恥ずかしながら、話をさせていただきました。
「刈谷市」は、KeePer技研株式会社の発祥の地で、
独立したての頃は「共同石油高津波給油所」というガソリンスタンドでした。
会社の名前は「株式会社タニ」でしたが、
スタンドに来られるお客様はみなさん「タニ石油」と呼ばれるので、
自然に私たちも自分たちのことを「タニ石油ですが・・・」と言っていました。
その発祥の地元、刈谷で話をさせていただいたので、
タニ石油をご存知の方、つまりタニ石油のお客様だった方もいたり、
「快洗隊」をご利用していただいた方もいて、
自分の話が終わった後、質疑応答の中で、温かい言葉をいただき
なんか感動して、涙が出そうになるのを我慢しました。
始まりから、もう31年半経ちました。
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