谷 好通コラム

2025年08月16日(土曜日)

08.16. 本日8月16日、40年前の今日、KeePerの源が生まれました。

40年前、1985年8月16日、

KeePerの源である株式会社タニが登記された。

その後、9月2日に共同石油高津波給油所が営業を開始しています。

 

私はずっとKeePerの創業記念日はその9月2日だと思い続けていました。

そうではなく、

会社の創立記念日とは会社が登記された日、8月16日であるとは、

カンブリア宮殿の取材の人から言われて初めて知ったのです。

だから、

30周年も、

20周年もずっと9月2日にやってきました。

10周年はもっとひどくて、

うっかり、9年目の9月2日に勘違いでやってしまい、

記念の食事会の途中で気が付いたのですが、

誰も気付いてなかったし、もう酔っていたので、そのままやってしまいました。

 

そう言う意味では、

今度の創立40周年記念パーティーは、

初めての正しい創立記念行事であると言えます。

もちろん、自慢するような事ではない事はよく分かっていますが、

この会社らしい、

いい加減と言えばそうですが、

勝手に、おおらかな長所であるとしておいて下さい。

 

 

40年前、谷 好通は自立と自由を得る為に起業しました。

あらゆる支配から逃れ、

自らを縛る運命からも逃れ、

その代わり、自らへの保護をも捨てて、

自らが主宰する事業の全ての行動と結果を自らの責任とし、

その行動とその結果を全て受け入れる覚悟を自らに課した日でもあります。

 

その意味を、最初は

我が儘に他に対する思いやりを持たなくてもいい事と勘違いして、

傍若無人(他人を無視して思う通りの事をすること)となった愚かさも、

自らが最も大切とした者を傷つける愚を犯した事によって思い知らされた。

そのおかげで、

早い時期に、愚かな勘違いから解放された。

 

ベンチャー(我が社は途中からだが) として起業した会社は、

企業後、10年後も生存している企業は1%も無いと言われるが、

その企業の力量そのものが低過ぎて消えた場合を除いて

無くなった企業のそのほとんどは、

社長とは我が儘であって良いという勘違いから

いつまでも抜け出せなかったから。

とも言える。

※この場合の社長とは、事業主でありCEO(最高経営責任者)を差す。

 

社長のもっとも典型的な我儘とは、

社長の自分の意見に反対する意見を許さない事だ。(独善ともいう)

CEOである社長とは、その会社の行動と結果に対しての最終責任者だから、

最終的な判断は、決断として自分がしなければならない。

そこは、

すべての人の合意という訳には行かないが、

そこに至るまでの議論と行動、検討は、

すべての人が自らの経験と考えからの意見を出して、議論出来なければ、

多くの視点からの多角的、客観的な状況把握と判断が出来ない。

 

組織が大きくなって、

判断要素が多くなって来れば来るだけ、

多角的な視点からの議論が大切になってくる。

それもなく、社長が自分の意見、言い分を力で押し通して会社を動かすと、

それを実行する社員や業者は、

自分の意志ではなく、

社長に服従しているだけの行動なので、うまく行く訳が無い。

すると社長は社員を信じなくなり、

逆に、社員の心は社長から離れるばかり。

そんな状態になった会社に何らかの負の力が加わると、

会社はすぐに行き詰まり、簡単に崩壊する。

そんな会社と社長を捨てるほど見てきました。

 

 

もちろん、大会社の子会社などによくみられる

実務の執行を”一定期間”任されるCOO(最高執行責任者)の場合は、

周囲が、一定期間を過ぎればすべてが変わることを知っているので、

社長の我儘、独善はいなされる形で受け入れられているので、

時代の流れで負の力がかかっても、柔軟性を持って耐えることが出来る。

 

時代を切り開いていくベンチャーの会社は、

その会社を始めた事業主は、独自性の強い発想を持った人が多く、

その事業主の個性が強く反映した事業がなされている場合が多い。

だから、

その事業主の個性の反映=独自性が、

事業主の我儘のようになりがちで、危険です。

ましてや、その独自性が時代にハマって事業がうまく行き、

社会からチヤホヤされると、

その独自性を持った事業主が勘違いして、唯我独善的になり、

社員などの構成員に、自分に対する盲目的服従を求めるようになる。

ここまでくると崩壊は近い。

 

そんな例もたくさん見てきました。

 

 

ではなぜ、この会社が40年間もの長い寿命を、

しかも発展しつつ、持てたのか。

事業主である谷好通が我儘にもならず謙虚で立派な人物であったのか、

冗―談じゃない。

そんなことがある訳がない。

こう書いているだけでもチャンチャラおかしい。

 

そうではなくて、

この会社では、会社のみんながそれぞれ、

自分の意志で動いていることが一番なのではと思います。

 

私も、他の幹部もそれなりに我儘なところはあるが、

少なくとも服従を求めていることはない。

少なくとも、

KeePer LABOはサービス業であって、

店員とお客様の関係が、人間対人間の関係でなければ成り立たないので、

LABOのスタッフは、

自分の意志と自分の感性で、つまり一人の人として、

満足を得に来られている人としてのお客様に、

つまり、人間対人間の関係でなければ成り立たないので、

支配された服従するロボットのような自分では、

この仕事は成り立たないので、

ちゃんと自分の言葉で話すことを求められ、

それが受け入れられているのだと思うのです。

 

一言で言えば「主従の関係」が無いということです。

 

ただ、組織が大きくなってくると、

つまらない小さな組織の中で主従の関係を求める上司が出来てきます。

そこを、こまめに潰して行けば、

それぞれの役職の者が、主従の関係ではない、

その役職とは、それぞれの役割、役目を示しているもので

その役割の組み合わせで、何らかの目的を成す組織が出来ている。

 

その目的が、

CS顧客満足とES従業員満足の同時実現。

これが自然体で、

かつ、高い次元で実現すると、

高収益性(成長力)で、高い持続性(リピート力、継続性)を持った、

新しい時代が求める、新しい付加価値を提供する、新しい事業が実現する。

 

「CS顧客満足とES従業員満足の同時実現。」とは、

実は、新しい時代を創り上げる、意外にもキーワードになるのではないか。

 

 

40年前、谷 好通は自立と自由を得る為に起業しました。

あらゆる支配から逃れ、

自らを縛る運命からも逃れ、

その代わり、自らへの保護をも捨てて、

自らが主宰する事業の全ての行動と結果を自らの責任とし、

その行動とその結果を全て受け入れる覚悟を、自らに課した日でもあります。

 

だから、当然、

そこに支配と服従、主従の関係を持ち込む余地など全くなく、

それこそが、この事業の最も大きな強みの源であるのではないだろうか。

 

 

 

 

今、KeePerの出荷を担当する会社、株式会社KeePer ロジスティック

その出荷倉庫の責任者を務める鈴木君は、

十数年前、

あるLABO店舗(どの店舗か忘れた)の店長をしていて、その頃、

KeePer LABOは年中無休営業だったのを、

(投資した設備をフル稼働させることは当然だ。)

「火曜定休にした方がいいです。その方が絶体、効率が上がります。」と、

言い続けて、本当に火曜日休みを実現してしまいました。

そして今は、この方が本当に効率がいい事をみんな実感として知っています。

現場に直接関わらない者が頭で考えた常識は、

実際の現場では全く通用しない事がいっぱいあります。

逆に、現場が考えた事の方が、管理者の常識に勝ることもいっぱいあります。

 

たぶん15年ぐらい前、

今の体重の半分以下だった頃の鈴木博公所長。「火曜日定休を作った男」

 

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2025年08月15日(金曜日)

08.15.  歌集作り、田立の滝キャンプ場のバンガローで泣く。

私が高校1年生、16歳の時のこと。

愛教大の学生達が主催する「NHC (名古屋ハイスクールサークル)」という

勉強の会? 遊びの会? みたいな高校生サークルに入っていました。

そんな何となくの集まりのサークルがいくつも合同でキャンプをしたのです。

多分100人ぐらいの規模で、

場所は長野県の田立の滝キャンプ場。

遠足とか修学旅行の延長のようなキャンプで、1970年代に流行った。

 

三度の飯盒炊飯での食事とハイキング、

そして、夜のキャンプファイヤーがメインイベントで、

大きな焚火を囲んで、みんなで肩を組んで歌い、フォークダンスを踊った。

今でいうと、合同合コンの原始型みたいなものか。

 

みんなで歌う歌も、

教科書に出てくるような歌や、ロシア民謡とか、フォークソング。

男女の愛をテーマとした歌なんて、

そんな恥ずかしくなるような歌は無かった。

幼いと言うか、真面目と言うか、今で言うとダサい歌ばかりだった気がする。

そんな歌の歌詞を集めた「歌集造り」も

キャンプ前の大切な準備の一つでした。

 

16歳の時、その役目を仰せつかった私は、

みんなの意見も聞きながらも自分の好みを大いに反映して曲目を選び、

手作業でガリ版印刷を作った。

この手間が大変で、今のようなパソコンでの入力ではなく、

鉄筆とガリ版で印刷のネタを書いて、

謄写版で刷って歌集を造ったのです。

20ページ程度の歌集を50冊造るのに、たぶん20時間ぐらいはかけた。

 

今の時代では考えられないほど面倒な仕事だったのです。

しかし、

みんなが喜んでくれることを楽しみに作った。

自分が造った歌集を皆が開いて、楽しく歌を歌ってくれる事が楽しみだった。

 

しかし、

いざ、キャンプが始まりメインイベントのキャンプファイアが始まると、

みんなに配った私お手製の歌集を、あまり大切にしてくれない。

ひどい人になると、私の歌集を尻に引いて座っている。

歌い始めても、簡単な歌が多かったからなのか、

私の歌集はあまり見られず、粗末に扱われている。

 

歌集には私の名前も書いてあるのだが、

それを見て「谷っ、歌集造ってくれてありがとうな」なんて言う人もいない。

ガッカリして、皆より早くバンガローに帰り、

携帯ラジオを聴いていたら、無性に悲しくなって涙が出てきて泣いた。

 

あんなに頑張って造ったのに、

誰も感謝してくれないし、誉めてもくれないし、気が付いてもくれない。

「報われない・・・」と、悲しくなったのです。

あの日の事を想うと、自分の事が恥ずかしくなる。

 

私は、自分が褒められたり、感謝されたい為に、

つまり、私は”自分の為に”仕事をしたのに、報われないと泣いた。

・・・・当たり前だ。

気が付いた。

自分が、自分の為にした仕事を、

誰が感謝するものか。誰が褒めるものか。当たり前のことだ。

 

私が、自分がやった仕事を、

誰かに褒められたい、感謝されたいと思ってするものではない。

キチンと”報酬”という形で、私は正当に得る。

報酬という形で正当に得られないとするなら、

その仕事は、報酬にそぐわない役に立たない仕事なのか、

相手が報酬をきちんと払わない不当な相手であるか、どちらかだ。

 

その仕事がキチンと役に立つものならば、

その価値に見合うだけの報酬は得られているはずだ、

見合っていないと思うならば、

それは自分の思い違いで、その仕事そのものにその価値が無いか、

報酬を出す相手が悪いかのどちらかだと言える。

 

正当に報酬が得られているのに、

誉められないから。

評価の賛美、待遇が無いからと「報われない。」と言う者は、

無償の仕事として歌集を造ったのに、

誰からも感謝されず、声も掛けられなかったことに、

「報われない」と思って泣いた情けない16歳、

高校1年の私と同じようなものだ。

 

そんなことを、昔を思い出しました。

 

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2025年08月14日(木曜日)

08.14.  8月19日(火)、KeePer創立40周年記念パーティーのご案内

 

直前のお知らせですが、

いよいよ来週の火曜日、8月19日の13時より (入場は12時より)

「KeePer創立40周年記念パーティー」が開かれます。

 

今回のご案内を、社内の不手際により、

株主様などに、ご案内がされていない事がここに至って発覚しました。

しかし、

本日大慌てでご案内を用意し、明日発送しても、

土日は配送が無いので、

パーティーの当日にしか相手先に到着しないので意味が無いことも判明。

 

KeePerのホームページのトップにお知らせを載せる事と、

このブログ上でも、改めてお知らせいたします。

 

どうか沢山の方にご参加いただきたく、

ご参加はもちろん無料。

3000名様分のお席と、お食事(ビュッフェスタイル)と、

お飲み物(車でお越しの方はアルコール厳禁)をご用意しました。

 

服装は自由ですので、どうか軽装でご参加下さい。

事前のお申し込みなどは一切無用です。

 

KeePerの40年の足跡とKeePerの未来についてご紹介します。

日本トップクラスのビッグバンドの出演も魅力です。

 

会場は、中部空港セントレアの中の「愛知 スカイEXPO」

詳しくは下記をご覧ください。

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2025年08月14日(木曜日)

08.14.  我が心の暗黒の部分の話。

 

三十年以上前の話だ。

2軒目の店がオープンから1年間ガソリンを売れずに

洗車とコーティングだけで(正確に言うとタイヤ販売も少しあった)

1年間を食いつなぎ、その後、

コーティングの卸販売が始まって、

私と何人かの営業が全国を走り回り始めた頃、

1軒目の店、「JOMO(旧共同石油)高津波給油所」は、

順調に、ガソリンなどの石油販売が進み、油外収益も順調だった。

しかし、目の前にあった「ブランテ」という大きな喫茶店が急に廃業して、

その跡地に商社系の大きなガソリンスタンドが出来ることになった。

 

私達の「JOMO高津波給油所」は、たった150坪の小さな店だったが、

標準的店舗の3倍以上ものガソリンを売っていて、

油外収益の販売も優秀だったので、

コバンザメ商法的な意味で、

この繁盛して儲かっている店舗にくっついて

大きなガソリンスタンドを出す事にしたのか。

 

商社系のガソリンスタンドと言っても、

実際の運営は、地元の純朴な石油販売業者。

しかし、私は許せなかった。

私の店舗を脅かす形で出てくるこの店舗を絶対に許せず、明確に敵とした。

 

その敵の店は更地からの建設で

大きな商社の物件としてのSS建設なので、

建設地の表記の予定を見ると、ずいぶんゆっくりとした計画になっていた。

ならば、

こちらはすぐに今の店を壊して、

大急ぎでピカピカの新店を計画し、

設計して、申告して、超特急で建設してしまって、

(この店は元売関連会社からのリース。だから正しくは”建設してもらって”)

目の前の敵の店よりも一歩でも早くオープンして対抗しよう。

滅茶苦茶で、

建設会社にも元売さんにもとんでもない無理をお願いした。

今だったら絶対出来ない。

それでも「絶対に負けない」の一心だった。

 

そんな無茶は、沢山の人にご迷惑をおかけしながら、

沢山の人のおかげで、

奇跡的に、眼前の敵の店よりも1週間も早くオープンする事が出来た。

ひとまず勝ったのです。

 

 

眼前の敵の店名は「バナナステーション刈谷」と、工事の看板に書いてあった。

洒落た名前のつもりだろう。

しかし、ならば、敵店のオープンの景品は「バナナ」に決まっている。

 

だったら、一週間前にオープンする我が新店が、

先にオープンの景品を大量の「バナナ」として、

地元をバナナ漬けにしてしまおう。

しかし、これは、イヤガラセそのものではないか。

これには敵店は何の対抗策も打てず、無策のままバナナを景品でオープンした。

しかも、その店の燃料価格の看板は、

私達の店の看板よりも2円高かった。

というより私達は、敵店が出す値段より常に2円安く出したのだ。常に。

そんな、散々な目に合わされた敵店のオープンは静かなものになった。

また、とりあえず勝ったのだ。

 

敵店も、都度対抗して看板の値段を安くしてきたが、

敵店が下げた瞬間にこちらも下げて、

必ずこちらが2円安くなるようにした。

これは、私達が仕入れ値よりも安く売る事になっても絶対に譲らなかった。

眼前の敵店には1台もお客を行かさない気合で、

徹底的にやったのだ。

そして、その通り、眼前の敵店はいつもガラガラだった。

気の毒なぐらいガラガラで、しかも看板値段は絶望的な赤字価格が続く。

それに対して私達「JOMO高津波給油所」は、

以前よりも賑わい、出荷量は増えて、大繁盛だった。

 

1年ぐらいの不毛の戦いの後、

やがて、

敵店の純朴な地元業者は、失意のうちに撤退して行った。

我々が勝ったのだ。

 

しかし、この戦い

赤字価格で販売しての”売り勝ち”なのだから、

当然、赤字の金額ははるかにこちらの方が大きい。

まるで、自らを刺して出血の多さを競う血みどろの自傷戦争みたいなものだ。

 

しかし、それでも勝ちは勝ち。

 

しかし、

入れ替わりに次の運営者が来て、

また同じように自傷戦争のような救われない戦争を半年ぐらいやって、

次の販売業者も負けて去って行った。

また、出血の多さを競う血みどろの自傷戦争に勝ったのだ。

 

さらに、次なる三番目の敵は、

その商社本体直系の石油販売会社だった。

 

その資本力は底知れず、

いつまで自傷戦争をやったらケリが着くのか分からない。

お客様が来れば来るだけ赤字垂れ流し、血まみれの戦いがいつまで続くのか。

この時点でやっと私は戦意喪失し、

撤退を決心した。

 

こう書いてくると、私がその店頭で戦ったかのように聞こえるが、

実は、私はKeePerの営業と研修で全国を走り回っていて、

この戦争に、現場ではほとんど関わっていない。

(現場には若い店長とスタッフ達、そして妻を置いていた。)

この戦争での出血を埋める為にも、私は外で稼がなければならなかったのだ。

逆に言えば、

外での稼ぎ(KeePerの販売)があったから、あの不毛の戦争が出来たのだった。

 

一時期、私は、

全国を歩いてKeePerの優位性を説きながら、

自分の店は、眼前の敵と血みどろの安値戦争をやっていたのです。

 

眼前の二番目の敵に勝った後、三番目の敵が大会社の直系会社と知って、

戦意喪失、撤退を決意した私は、

私達の店の持ち主である元売関連の会社に「撤退」を、告げに行った。

「店に置いていた妻が精神的な病になってしまった。これ以上続けられない。」

(もちろん妻は精神病などになっていた訳ではない。嘘だった。)

私は、自分の意地だけで始めた戦争の為に、

莫大な資金を投入してもらって、

超特急で新店に建て替えてもらい、

自分の勝手に赤字安値戦争を続けて、2回、敵を追い出して、

しかし3回目の敵には勝てそうにない。と、撤退を言い出した。

しかも、店舗にいた自分の妻の精神状態が悪化したことを理由にしてきた。

断れない上の元売関連の会社は、しぶしぶ撤退を受け入れ、

その元売関連会社が直接運営をする事になった。

となると、この戦争は、

元売関連の子会社と、商社関連の子会社との戦いの形になって、

こうなると、上の世界での話し合いになったようで、

この戦争は、数か月のち、両店とも閉鎖という形で終わってしまった。

新築で建てたばかりの眼前店は、

わずか築2年で壊してしまった。

 

「くっそ~、絶対に負けないぞ。」から始まったこの戦い。

実際に私の会社が戦ったのは約1年半。

2軒の店舗新築、

1年半の赤字安値戦争、

何億円のムダ金が散ったか分からない。

この戦争に関わった誰も得をせず、誰一人として幸せにならなかった。

 

「絶対負けないぞ」と頑張って、

戦いに二回は勝った私の会社も、決して勝者ではなかった。

ただ不毛の戦いそのものには負けなかっただけで、決して勝者ではなかった。

 

後になって気が付いたのだが。

あの1年半の戦い、その前の数か月も含めて、

私は”敵”と一度も話をしなかった。

目の前にいても、たった一度もコミュニケーションを取らなかった。

ただ、ただ、負けない。

私を勝とうとする敵に対する憎しみだけで、

莫大なお金を無駄にして、

たくさんの人を巻き込んで、苦しめて、

戦って、勝って、勝って、疲れて、戦う気力を失って、卑怯に逃げた。

この間、私は誰の幸せも願わなかったし、勝つ事、負けない事しか考えなかった。

 

何よりも驚きなのは、

敵と一度も話そうともしなかったことだ。

私は、直接の戦いの相手が、

地元の純朴な石油販売業者さんであることを知っていたのに。

相手と話そうともせずに、

相手に勝つ事しか考えなかった。

戦争で、敵を殺す事しか考えないように。

 

我が心の暗黒の部分です。

 

 

不毛の戦いの後、両方共の店が閉め、

片方の店は壊してしまったが、

もう片方の、私達の店(だった)は、閉めたまま放置されていた。

 

その空いている店を、

図々しく安く買い取って、

始めたのが「洗車屋 快洗隊 刈谷店」、

 

今のKeePer LABOの1号店の原型です。

 

だから、

KeePer LABOには元々「安値赤字戦争への怨念」が詰まっているのです。

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2025年08月13日(水曜日)

08.13. 有ったものが無くなる違和感。

昨日載せたブログにあったLABOの写真でびっしりの壁面から、

今朝、会社に来たら、もう写真が全部外されていました。

その違和感に体がビクッとなるほど驚きました。

今まで有って当たり前だったものが無くなると、すごく不安になります。

でも、それは一時的なことで、

翌日には無い事に慣れて、むしろ有った事を忘れてしまうのでしょう。

 

 

きっと人間だってそうなんだと思うのです。

居ればいたで、

その存在が当たり前になっていた人が、

いなくなると寂しいし、不安にもなるが、

いなくなれば、すぐにそれに慣れて、いなくなった空間もすぐに埋まり、

いたこと自体を忘れ、いなくなった事も忘れてしまいます。

 

そうやって時間が経ち、時代が刻々と止まることなく進んできたのでしょう。

 

急にこんな事を言い出すのは変ですが、

私が創立40周年記念パーティーの中での

「KeePerの未来」の部分を担当していて、

KeePerの未来と言えば、

私がいなくなってからの事をも考えなければいけない訳なので、

その為に、ああして、

こうしてと考えるうちに、

私が、

私がいないなってからの事を予言するかのように考えても、

その時に私はもういないのだから、

その予言、あるいは指図に責任を持てる訳もないのだから、

あまり私がゴチャゴチャと考える方が、

かえって、余計な事のように思えて来たのです。

 

私が残される方だったら、きっとそうでしょう。

去って行った者、

あるいは、

いなくなった者が残した指図のような予言は、

私だったら無視するかもしれません。・・・多分そうするでしょう。

 

と考えると、

私がここで一生懸命考えて、

未来のプランを造り出したとしても、

どうせ、みんな無視して、

好き勝手に、自分達の未来を造り出していくとしたら、

私は、そんなに重く考えずに、気軽に、

華々しく未来を語ってもいいという事になります。

 

 

スティーブンホーキング博士が、

地球の未来の環境を悲観して、

人類は他の惑星に移住すべきだと予言しました。

それが出来るか出来ないかは、

出来るに決まっているのですが、“全人類”は、移住出来ないだけであり、

どうするのかは未来の人類の意志次第なのでしょう。

 

 

 

そんな重い事と同じにしてはいけないのですが、

KeePerの未来だって、

今、

それぞれが、新時代に合わせたスリム化と新しい機能を充実させて

車社会に必要とされる存在になれば

「カー ケア ステーション」、

今風な言い方をすれば「モビリティ ベース」として、

たとえば、

スターバックスコーヒーが全国に約2,000店あるように、

全国に約2,000店舗出来たとしても、

何の不思議も不合理も無いでしょう。

 

コメダや、ガストが全国に1,200店あるように

たとえば、モビリティベースKeePer LABOが、

全国に1,200店舗あったとしても

何の不思議も不合理も無いでしょう。

 

※無理やり日本地図に1,200店舗をプロットしてみました。(位置はでたらめ)

ならば、

世界を考えれば・・・

 

そう思ったら、

いくらでも、空想は膨らみます。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
    読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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