2016年01月19日(火曜日)
1.19.クリエーターとオペレーターのジレンマ
クリエーターとは「作り出した人」「創った人」であり、
オペレーターとは「操作する人」「操る人」という意味です。
クリエーターが創った「もの」とは、それが建物であるか、機械であるか、
仕組みであるか、自動車であるか、会社であるか、ビジネスモデルであるか、
そのいずれであったにしても、
それがどのような仕組みになっていて、
どこがどう動くと、どう伝わって、何がどうなるのか、
どうしてそのような仕組みになっているかの理由まで知っています。
それを創ったのですから、当然知っています。
だから、何かの現象が起きれば、
それがどのような現象であったにしても、
その構造として、
何故その現象が起きたのか分ります。
だから、その現象に対しての適切な対処によって解決することが出来ます。
しかしオペレーターが操っている「もの」とは、
それが建物であるか、機械であるか、
仕組みであるか、自動車であるか、会社であるか、ビジネスモデルであるか、
そのいずれであったにしても、
オペレーターは、操っている場所から見える範囲のことは分って、
そしてどこをどう操れば、何がどう動いてどうなるのかは分っています。
だから、それを操ることについてはすべて分ります。
操作と結果、つまり行動と結果は、経験として知っています。
しかし、何か異常があった時とか、
想定外の動きがあった場合は、
何故それが起きているのか、
今までの経験から想像するしかありませんが、
経験がないからこそ異常であって、想定外であるので、
正常時の経験からの想像ではうまく行かない場合が多くなってしまいます。
それを創った人は、
その異常な現象を見て、
そのものの構造から考えて、その現象の意味を推理し、
理解してその現象に対処することになりますから、
問題を解決できる場合が多くなります。
その対処の行動を、
クリエーターはオペレーターに指示しますが、
オペレーターはその対処の行動の意味が分りません。
オペレーターはそのものの構造を理解している訳ではなく、
操作の方法が分っていて、
その操作の結果を知っているので、
そのものをすべて分っているような気になっていますが、
その構造も、その構造の意味も、道理も分っている訳ではありません。
だからクリエーターの言っている意味が分かりません。
クリエーターからすれば、論理的に分った上での当然の行動が、
オペレーターからは「わからない、変だ?」としか思えず、
それでも、「なぜ?」とクリエーターに聞けば、
一つの学習になるのですが、
オペレーターは「変だ。クリエーターの指示は間違っている。」と、
クリエーターの指示を無視して、
オペレーターの知識から出た別の行動を取ってしまうことがあります。
オペレーターの知っている知識がすべてだと思い込んでいるとそうなります。
クリエーターはそれを止めるべく「なぜ」をオペレーターに説明しますが、
行動と結果からの知識で、すべてが分ったと思っているオペレーターは、
その説明が理解できず、
クリエーターに対する不信を持ち始めます。
そして、
クリエーターからの指示を無視して
オペレーターの経験上の知識から考えての正しい行動を取り、
事態をより悪化させてしまうことがあります。
こうなると事態は、深刻です。
クリエーターとオペレーターの信頼は崩れ、
クリエーターは、オペレーターの行動を止めるべく、
次なる行動に出る覚悟を決めざるを得なくなってきます。
あるいは、「なぜ」をもう一度、
オペレーターにも分る方向で説明する努力をします。
しかし創った人と操作している人は、その根本が違うので、
深いため息をつきながら、それでも努力をします。
そこを乗り越えなければ次がありません。未来がありません。
努力するのみです。