2015年10月29日(木曜日)
10.29.思い通りにはいかないのは、当然ですが、
自分の思った通りに物事が行かないのは、当然と言えば当然です。
しかしお互いに話をして、
はっきりと合意したことでも、それを実行せず、
自分で勝手に自分がいいと思ったように変えてしまうのには、
ほとほと閉口します。
合意と言うのは、お互いが納得して、
こうすると約束をすることであって、
約策をした時はいいと思ったけど、あとから考えたら、
それよりも良いと思うことを考えついて、
そちらを実行するのは、
合意をしたことを無視し、約束を破るということです。
約束は、あとで考えたら約束をするのではなかったと思ったことでも、
約束をしたのだから、約束なのだから守らなくてはならない。
約束を守ることで”損”をするとしても、それは、約束をしたのだから、
約束は守るしかないのです。
私は日頃から「服従」は、いけない。
言われたことに納得がいかなくても、あるいは合意できなかったとしても、
やれと言われたから、服従し、盲目的にやるとしたら、
それをやる意味が分からないままやるのだから、
その行為をするだけで、その行為の持つ目的が分からないままなので、
その行為は表面的だけになって、
ずれが生じて目的に反した結果に結びついても解からない。
もちろん「学習」にもならない。「服従」はいけない。
だから、お互いが納得しての「合意」が行動の動機にならなければ、
正しく目的を実現することが出来ないのは、簡単で明白なことだと思うのです。
しかし、問題なのは、
「合意したことを約束として守る」ということと、
「服従する」ということの区別がつかないところなのでしょう。
反対に「服従」をしないことと、
「約束を破る」ということが同じことではないことが理解できないのは、
それが難しいことだからなのでしょうか。
そんなことはないと思うのですが、
服従してしまった方が楽だからでしょう。
「服従」は非常に危険であったとしても、
服従は、楽ちんなので、
悪気もなく合意なき服従を、
合意したかのように簡単にしてしまう者は、約束も簡単に破ります。
どうすればいいのか、
これをどう越えればいいのか。
萎える気持ちをかかえて、どう乗り越えればいいのか。