2015年08月27日(木曜日)
8.27.16年前、借金を返すために働くことを、やめた時
私は約30年前、刈谷市山池町という場所で、
ガソリンスタンド、共同石油高津波給油所として起業しました。
その店はとりあえず繁盛して、
それなりに儲かったのですぐに二店舗目が欲しくなって、
借金して土地を買い、借金を重ねて店舗も建ててしまいました。
しかし、洗車、コーティングとタイヤだけで商売せざるを得ない時期がありました。
「クリーンベースWith」という名前の店です。
今思えば、この時期あったからこそ今のKeePerがあるのですが、
その当時は、高津波給油所の売上だけに頼った経営で、
この時期の借金が大きく、後の時代にまで尾を引いています。
二つの信用金庫、国民金融公庫、などから
数百万円単位の借り入れをいくつもして、カードローンまで利用しました。
自分の入っていた生命保険も担保にして借り、必死でした。
やがて、
KeePerを開発して、全国を走り回る頃になっても
当時はまるで借金を返すために働いているようなもので、
「借金に働かせられている」ような被害妄想まで持ったものです。
当時の金利は今よりかなり高く、
いつまで払っていても金利ばかり払っていて、元金はちっとも減りません。
それでも頑張って、長い年月をかかって借金を返し、
いつか返し終わって借金がゼロになったら、
どんなに気持ちがいいだろうと想像しながら、
何百万円単位の借金をコツコツと一つずつ返していました。
そんな頃、鈴木さんという東海銀行の若い営業マンが来ました。
当時の東海銀行は地域を牛耳るナンバー1銀行で、
どこか威張っていて、私は東海銀行が嫌いだったのですが、
しかし、鈴木さんは威張らず、ニコニコして
「この洗車とコーティングの商売は面白いですね。
すごく将来性があるように思えます。」と言うのです。
そして何度か目に来た時に、
「今、借り入れが何本もあるとお聞きしましたが、
それを全部返して、1本にまとめませんか。1億円お貸しします。
それで、借り換えの借金の手続きなどに手間と気を取られずに、
この面白い商売に全力を向けて頑張って、会社を伸ばしてください。」
まだ二十代の若い営業マンが、
1億円お貸ししますから・・・・なんて、東海銀行って、すごいな。と感心しました。
今思うと、東海銀行がすごいというよりも、
この鈴木さんが多分に無茶だったのでしょう。
それでも、本当に1億円の借り入れが実現したのです。
それまでは借金が何千万円かになって、
返済に追い回されていた経営が、
1億円借りて、今までの借金を全部返しても、
まだ手元に何千万円かが残って、
毎月末の資金繰りにピイピイ言わなくても良くなりました。
と同時に、
私は思いました。
今までは何百万円単位だったから、返そうと頑張れば返せたし、
「絶対、返さなくっちゃ」と強迫観念まで持っていました。
借金を減らし無くすことが「仕事の目的」になってしまっていたのです。
しかし、
“1億円”となると、
会社が潰れたら、個人では一生かかっても返済できそうにない。
この時、
「そうか、商売のお金というものは、返すものではなくて、回していくものなんだ。」
と、悟りました。
そして、「そうか、返さなくてもいいんだ。」と勝手に思ったのです。
借入金は毎月返済しつつも、
借り換えをして”資金”を有効に活かしていればよいのだと気が付きました。
そこから、借金にこき使われているような被害妄想が無くなって、
資金を有効に”使って”、商売を拡大する方策を取れるようになったのです。
今でも、吹っ切れた瞬間を覚えています。
店で代車に使っていた古い「スズキ・アルト」に、
私と連れ合いの二人で乗って、近くの川の堤防を走っていた時、
(すごくクッションが悪かった)
なぜか夕日がきれいに見えていたような気がします。
二人で話しました。
私「会社がつぶれたら、この車だけ残してもらって、二人でどこかへ行こう。」
妻「そう、楽しそうだね。」
それも楽しそうでいいな。
と思った時が、
借金の呪縛から吹っ切れた時でしょう。
16年前、東海銀行の鈴木さんの
「借金全部返して、1本にしましょう。1億貸しますから・・」から、
KeePerの新しい時代が始まりました。
その鈴木さんを9月1日の30周年パーティーにご招待したので、
今日の朝、16年ぶりにお会いしに行ってきました。
当時は眼鏡をかけていたので、ちょっとイメージが違いましたが、
話をしていると
間違いなく「1億円貸しますから…」の鈴木さんでした。
この会社の恩人のお一人です。