谷 好通コラム

2015年07月19日(日曜日)

7.19.小河諒選手がF3 Nクラスのシリーズチャンピオンに

かねてから、ほんの少しだけですが応援していた「小河諒(りょう)選手」が、
富士でフォーミュラ3(F3)のNクラスでシリーズチャンピオンになったと、
スーパーフォーミュラのKeePerサービスでいた福留所長が伝えてきました。

 

小河選手の実力からすれば、
同じF3でも、1クラス上のCクラスに出ていて不思議ではないのですが、
彼には絶対に上に上がって来いとのTOM‘S舘会長の意志があって、
確実に勝てるNクラスでチャンピオンになってから、
Cクラスに上がってくる仕掛けになっていたようです。
小河諒選手は、
鈴鹿サーキットでのF3000レースのスタート直後の1コーナーで、
若くして(36才)亡くなった小河等選手の一人息子で、
諒君がまだ1才1か月の時の悲劇だったそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B2%B3%E7%AD%89

 

諒君のお父さん小河等選手は、天才肌の選手というよりも
ジワジワっと、
36才と言うレーサーとしては晩年に近い歳になってから、
素晴らしく速いレーサーに成長した”遅咲き選手”で有名でした。
だからというか、小河諒選手も最初から光った選手ではなかったが、
ポルシェカップレースのチャンピオンになるなど、只者ではなかった。

 

F3のCクラスは、平川亮選手も中山雄一選手もチャンピオンを取っている。
ここでのチャンピオンは一流選手の条件のようなもので
ワークスカーのドライバーを約束されたも同然である。
だから、小河諒選手も、
最初からCクラスに行きたいところだが、
“遅咲き”のDNAを持っていることからして、
Nクラスからじっくりとステップアップすることになった。

 

だから、Nクラスでシリーズチャンピオンは当然で、
全戦優勝が舘会長から与えられたノルマでしたが、
スタートの失敗とか、フライングでペナルティーをもらったりして、
2戦を2位で落としているはずです。

 

でも、とりあえず、チャンピオンです。
おめでとう小河諒選手。
でも、あと残るすべてのレースを、全レース、ポールtoウィンで飾っていくべきです。

 

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