2014年12月13日(土曜日)
12.13.ターニングポイント「書類が揃ってないので、進んでいません。」
29年3か月前の昔、
ガソリンスタンド「株式会社タニ」として独立して、
二軒目の店舗を土地から買って造ったのは、
たぶん、それから四年後、
だから今から25年前のことです。
経営が順調だった一軒目のガソリンスタンド店舗からの利益があっても、
132坪の土地を借金で買って、
新しい店を借金でゼロから建設したのですから、
資金的にはきつく、毎月の月末の支払いは綱渡り状態でした。
おまけに洗車とカーコーティングの事業も少し始まっていたので、
月によっては生命保険の前借りや、カードローンまで使ってしのいだものです。
そんな頃、
ある信用金庫さんから新たに一千万円くらいの借り入れを予定して、
資金が必要になる四か月前に借り入れを申し入れ、
貸出担当の店頭の次長さんに必要な書類を提出して、
その信用金庫本店からの認可が出るのを待っていました。のつもりでした。
しかし、認可が下りたとの知らせがなかなか届きません。
だから、借入予定の一か月ほど前、
たまたまその信用金庫の店頭に行った時に、
店頭の貸出担当の次長さんに、
「この間の借り入れの件は、どうでした? 認可はまだ出ませんか?」
そしたら、次長さん曰く、
「はい、ちょっと待ってください。調べます。」
しばらくして、
「えー、あれは、まだ〇〇〇をいただいてないので、進んでいませんよ。」
〇〇〇とは、たしか、住民票だったと思います。
私「えっ、進んでいないって、この資金がないと、月末すごく困ります。
住民表くらい、言ってくれれば、すぐに持ってくるのに
なぜ言ってくれないのですか。」
次長は、
「じゃ、月末までに私が何とかしてあげますから、すぐ住民票を持ってきて下さい。」
「私が何とかしてあげますから・・」と言われても、ちっともありがたくありません。
逆に、すごく腹が立ちました。
あの時「どうなっていますか?」と聞かなかったら、
本当に借り入れは出なかったでしょう。
あの借り入れがなかったら、
この会社は資金ショートを起こして潰れていたかもしれません。
月末決済の手形が、いわゆる”不渡り”になっていたかもしれないのです。
不渡りを出せば信用は無いに等しいまで落ちて、事実上の倒産です。
いまでも、あの時の
私「えっ、進んでいないって、この資金がないと、月末すごく困ります。
住民表くらい、言ってくれれば・・、なぜ言ってくれないのですか。」
次長、
「じゃ、月末までに私が何とかしてあげますから、すぐ住民票を持ってきて下さい。」
言葉のやり取りの様子までを、覚えています。
転勤が近かった支店長は、そのやり取りを聞こえていないふりです。
それで、それまではメインバンクであったその信用金庫とは、
「ここと付き合っていたら、ダメだな。危ないな。」と思って、
たまたま若い子が営業に来ていた大手銀行に、
メインバンクを変えることを決心しました。
その営業の若い子は、
その頃から始まっていた新しい洗車とカーコーティングの事業に
ものすごく興味を持って、企画書を作り、上司を説得して、
その新しいメインバンクから、今までとは一桁上の資金を調達できました。
もちろんその資金でそれまでの信用金庫からの借金はすべて清算です。
あれが、この会社の一つのターニングポイントになりました。
あの信用金庫の次長さんが、
「しまった。申し訳ありません。住民票をもらうのを忘れていました。
私と支店長が責任を持って借り入れを実現しますから、・・」
とおっしゃっていたら、
私はメインバンクを変えなかったかもしれません。
あたかも、私が住民票を提出しなかったのがいけない。
というような言い方をして、
おまけに、恩着せがましくも、
「じゃ、月末までに私が何とかしてあげますから・・・・。」なんて言うから、
この信用金庫は危ないと感じたのです。
あれで、メインバンクを変える決心をしました。
でも、あの時、次長さんがあのような言い方をしなくて、
メインバンクを変えていなければ、
この会社が今のようにはなっていなかったかもしれないと思うと、
あの次長さんは、今の会社の逆説的な恩人かもしれません。
もちろん、
あの時、この会社に可能性を見出し、
上司を説得して、大きな資金を提供してくれて、
新しい事業を進める原動力になってくれた
あの頃の東海銀行の鈴木君が正しく大恩人であることは間違いありません。
だから今でも、三菱東京UFJ銀行が当社のメインバンクです。