谷 好通コラム

2014年08月08日(金曜日)

8.08.霧多布湿原は「人と共存している自然」だからこそ。

今年の5月、
会社の役員さんたちを道東の霧多布湿原に行きました。
遊びに行ったのではなく、ある意味を持って、わざわざ連れて行きました。
その意味はともかくとして、
その霧多布湿原について、
帰りの途中から分かれた畠中君がこんなことを言いました。
「霧多布湿原からの帰り、釧路湿原を細岡展望台から見たのですが、
釧路湿原は広大ですばらしいものでした。
でも、その圧倒的な景観を見たからこそ、
霧多布湿原の別の意味での素晴らしさが判ったような気がしました。」
と、言います。

 

私はこの言葉の意味を、
いまひとつ理解していなかったのですが、
昨日もらったメールにこうありました。
「釧路湿原は広大で、観光地で、守られていて、触れることのできない
『見る』もの。」
「霧多布湿原は人間が自然と共に生きることの
『生』を感じました。」
これに、なるほどと思ったのです。

 

私が今までたくさん見てきた自然で、
そのスケールや、珍しさで言えば、
もっと素晴らしい所はいっぱいありました。
しかし霧多布湿原に感じたのは別次元の何かだったのです。
それが何だったのか分かったように思えました。

 

素晴らしい景観の自然を見た時、
その素晴らしさにはたしかに感動するのですが、
それは、自分自身と存在とか、生活とは関わりのない、
『見るもの』でした。

 

しかし、霧多布湿原は、
浜辺のコンブの漁師さんたちの家が、
湿原のすぐ近くまであって、
中には湿原の中に少しくい込んでいる家まであり、
湿原にすむ野生動物までも、人家の庭の中にまで平気で入って来ます。
キタキツネ、エゾシカなんかはもちろん、なんと丹頂ヅルまでもが、です。
こんなに自然と人間が混在して住んでいる所は、
しかも超一級の自然と、希少な生き物までが人間と混在して、
しかも、平和に住んでいるから、
この霧多布湿原はすごいのです。

 

ある意味、奇跡的とも言えます。
しかし逆に、それが故に危うさを持っているとも言えます。
だから、放っておけないところなのです。

 

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    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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