2020年02月24日(月曜日)
2.24.歌集を造って泣いた高校のキャンプの思い出。
たぶん高校二年生の時の夏休みだったと思う。
私は三月生まれなので16歳だった。
長野県のキャンプ場にサークル活動の一環として80人位でキャンプに行った。
その前の”中学生”の時の二年間
名古屋市南区の自宅のすぐ近くにあった学習塾に通っていたのだが、
その学習塾の先生が、
国立大学の自治会の委員長でもあって、
授業の勉強の合間に、余談として、
自分の事は自分自身が治める自治の理想の話を夢のように話された。
政治的に言えばマルクスが下敷きであったが
しかし、そこは色のついていない学習塾だったので
むしろ政治的な話はいっさいされず、
政治の話というより哲学として価値観に関わる話だった。
他の動物は本能的に自分と自分の子孫の為に闘い生きるが、
人間という精神的な高等生物だけが、
他人の為や、仲間の為に働き、闘い、生きる事が出来る。というような話だ。
元々人間は、
他の人や権力に支配される義務や運命など無く、
隷属や服従する義務を持って生まれた訳でも、育った訳でもないのだから、
自分の意志と自分の力で、
自分を動かせなければならない。
なのに、自ら進んで隷属し服従するとしたら、
それはそうさせられているような被害妄想を隠れミノにして
それはその方が、自分が楽であるからに他ならず、
むしろ、それは自分の為だけだ。
逆に言えば、
人は宿命的に自分の意志と力で自分を動かすことが出来るのだから、
他人の為や、仲間の為に働き闘い生きることも出来る。
その学習塾の先生は、
中学校の時は教科の勉強の合間にそんな話をしてくれて、
子供たちに影響を与えたが、
本来の学習塾としての勉強も確かに強く、
高校受験は、ほとんどの子が合格した。
私も合格した。
皆が高校になっても、その塾に通っていた子は、
塾の卒業生たちが作っているサークルに加わって何かしらくっついていた。
そのサークルはNHC(名古屋ハイスクールサークル)と言って、
高校二年生になった子が順番に幹事になって運営することになっていた。
このNHCの最大の行事が夏のキャンプで、
塾の先生が、まだ塾を主宰している頃のピークでは
中学生の塾生も加わって
300人規模の大キャンプが開かれた。
そのキャンプには私も中学校の時に一緒に行って、
全員が巨大な焚火を囲むキャンプファイアには、深く感動した。
しかし、私が高校二年生になった頃は、
その塾の先生は大学を卒業して、愛知県の中学校の教員になっていた。
すると、残されたサークルは、自主的なサークルとして運営をはじめ、
私が高校二年生の時、自主的な運営になって二年目で、
私は幹事になって、
恒例の夏のキャンプでもたくさんの仕事をすることになった。
ピークの頃のキャンプは、
高校二年生が幹事と言っても、
その頃の塾の先生たち、つまり大学生が大学の仲間で、
実際にキャンプを切り盛りしていたので、
高校生たちは、自主性を養うために名目的に中心になって動いたものの
中学生と一緒にキャンプに連れて行ってもらった状態だったが、
その先生としての大学生がいなくなって、
サークルに残った元塾生の大学生と、
本当に高校二年生の幹事が、
キャンプを企画して、たくさんの手配をして、
キャンプに参加の募集をして、
たくさんの準備を実際にやった。本当に大変だった。
一生懸命に仕事をして、実際のキャンプが開かれたとき、
私は先頭に立って、
キャンプに参加の人たちを引率していくようなつもりでいたが、
自分より先輩の人たちが半分位いて、
誰も私の引率なんて効きもしないし、
誰も言うことなんて聞かないし
皆自主的に、つまり勝手に、好きなことをやって、
私の思った通りなんて何もなく、頭に来ていました。
その怒りのピークはキャンプファイアーが終わった夜に来ました。
キャプファイアーではみんなで歌を歌うので
私がずいぶん手間をかけて造った手造りの歌集が、皆に配られていましたが
誰もそれを造った私に「礼」を言う人もいず、
労をねぎらってくれる人もいず、
それでもみんなが歌集を見ながらの歌が盛り上がって楽しかったのですが、
キャンプファイアーが終わったら、
みんな、その歌集はゴミとして捨てられていたのです。
私の苦労が
ゴミとして捨ててありました。
何のために苦労して造ったのだろう。
そう思ったら無性に腹が立って、バンガローの中で大声をあげて泣きました。
「バカヤロー」と叫びながら。
それを見た口の悪い先輩が、
「谷っ、お前、馬鹿だなぁ、
お前が造った歌集で皆が盛り上がったんだから、
それでいいじゃん。そのために造ったんだろ。
お前、誰かに褒めて欲しかったのか。
そんなことどっちでもいいじゃん。馬鹿だなぁ」
そう言われて、
なんかバカバカしくなって、泣けなくなって、酒飲んで寝ちゃいました。
皆のためにやったんだから、
皆の役に立ったのだったら、それで十分だ。
褒めてくれたり、感謝されたりする事を求めるとしたら、それは自分の為、
そんなことどっちでもいいだろ。
と、言われたら、自分がバカバカしくなったのです。
五十数年前の大昔の事でした。