2013年10月29日(火曜日)
10.29.やってみなきゃ、何もわからない。
昔、店のゲストルームに置いてある椅子が、
ものすごく座り心地が悪いことがあった。
「この椅子は何でこんな座り心地の悪いのか?」
と聞くと、
「ちょうどこの部屋に似合うイイ椅子だと思ったんですが、だめですか?」
と答える。
部屋に似合う椅子?
「ひょっとしたら、君は、この椅子に座ったことがないのか?」
と、もう一度聞くと、
「はい、カタログで選んだものですから。」
カタログで選んでから座ったことがない?
なんか変だ。
椅子は、お客様が作業を待つ間、
お客様がお待ちいただく”ため”に用意した椅子だ。
お客様が座って待つために用意するものだ。
なのに、その椅子に、
この店の店長は座ったことがない?
椅子の目的は、お客様が座るため。
しかし、この店長がその椅子を選んだ基準は、
部屋に似合っているかどうかで、自分は座ったこともない。
お客様の座り心地がどうなのかなんて、この店長は興味がないのである。
この店長は、あるいはその上長は間違っている。
それと同じようなことがいっぱいある。
実際に車を動かしての行動を、やりもせずに、
いろいろな物の配置を決めてしまっていくのは、
まったくもって無駄なことであるだけでなく、アホなことだ。
何事も、
やりもせずにわかるような事は何もない。
やってみなければ何も分からない。
分からないまま、物事を進め、人にやれというのは、悲しいほど情けないことだ。
だから、何がどうかということではないが、考え込んでしまった。