2013年10月22日(火曜日)
10.22.栄光の#8ポルシェ カレラ6がやってきた
※もちろん、ミニカーの話です。
息子がオークションで落札して送ってくれました。
栄光の#8ポルシェ カレラ6 とは、
第4回日本グランプリで生沢徹が乗って優勝した車です。
第4回日本グランプリは、私の一生で、一番感動したレースでした。
以下、インターネットで読んだ古い記事を抜粋させていただきました。
『 第4回日本グランプリ』
“ヨーロッパ修行”より帰っ た“生沢徹”がトップで予選を通過し、
本レースでもトップを快走、しかし18周目、
2位の日産チームの“高橋国光”の乗る「日産 R-380-2」と絡んだ生沢が、
S字コーナーでスピン!!2台と もスピンしダートへ突っ込んで止まった。
生沢は、すぐ にレースへ復帰しましたが、
高橋のR-380は、復帰するのに1分以上掛かり優勝争いからは脱落。
生沢は、すぐにピットインし、車体をチェック後すぐに戦列に復帰し、
生沢と同じ“ポルシェ・カレラ6”に乗るトップの“酒井正”を
激しく 追いかけていくのでした。
実は、彼が“ポルシェ”を獲得す までには大変な苦労があったのでした。
当時誰もやったことがない “スポンサー”探しをやったのです。
それは自分を宣伝媒体として売り込み、
その収益により出場車を手に入れるのが目的でした。
何軒か当たるうちに、生沢は、
「コカコーラ」に対抗して市場進出を狙っていた
「ペプシコーラ」と契約にこぎつけ、「VAN」とも契約に成功し、
生沢は、念願の「ポルシェ・カレラ6 」を手に入れることができました。
だからこそ生沢は、
絶対にこのレースに勝たなけれ ばならない宿命を背負っていたのでした。
レースは、生沢がその後酒井をかわしトップに立った直後に
この日最大のド ラマが起ったのでした。
46周目、再度生沢に挑んでいた酒井のポルシェが
第1コ ーナーの30度バンクの最上段で、突然”空中に舞い上がり
ガードレールに激突しそのままガードレールを飛び越えて
逆さまになって地面に激突したのでした。
無残にも酒井の「ポルシェ」は原型をとどめないほどで、
誰もが、酒井の 安否を心配していたのですが、
なんとかすり傷だけの軽傷ですみ、このことより、
ポルシェの安全神話が生まれたのでした。
結局レースは、生沢の初優勝で幕を閉じました。
レース後、特に印象的だったのが表彰式で
2位と3位の各選手が
このレースのスポンサー「コカコ ーラ」を飲んでいたのを生沢は断り、
缶入りの「ペプシ・コーラ」を受け取り 飲んでいたのでした。
これを見たスポンサーが喜んだのは言うまでもないことでした。
このレースは、生沢による生沢の為のレースであり、
これをジャンピングボ ードにして彼は、
その後“スター”の道を駆け上がっていくのでありました。
このレース後、生沢は、落ち着く暇もなく
再びヨーロッパへと旅立っていったのでした。
この車、ポルシェカレラ6はただでさえ数が少ない希少車なので、
本物をコレクションで買ったら4億円はするだろうということです。
ちなみにこのミニカー、オークションで1万880円でした。