2013年07月20日(土曜日)
7.20.体の疲労が脳細胞の動きを散漫とさせる。
体中の力が入らない。
動きが鈍く、足元に何かあれば、つまずきそうだ。
頭がボォーッとして、人の名前が思い出せない。
普段、運動とはまったく無縁の体をいたわりつつも、
突然激しく使ったからか、
筋肉痛が来る前に、体中何ともいえぬ無力感に襲われるのは初めての経験。
だるさと苛立ちが全身を覆う。
体を鍛えなければ、これはイカンなと思う。
ダイエットも食事を減らすだけで95kgぐらいから87kgまで絞れたが、
このところの不摂生で88kgくらいまで戻ってしまっている。
と同時に、筋肉が相当に落ちてきていることも事実だ。
仕事で歩くことは多いが、それほどの運動量ではない。
順調に権限委譲が進み、仕事の絶対量が減って、
スケジュール的にはかなり緩くなっているので、
定期的、定量的な運動を自らに課すことは何の問題もない。
あるとすれば私自身の気持ちの問題で、
運動をする気持ちの良さというものを私が理解できていないことと、
運動をする目的が「健康」では、有効なモチベーションにはならないことだ。
「健康」は大切だけれど、
「健康」が「長生きをするため」となると、意欲が湧かない。
私は、長生きをするために生きているのではない。とよく言う
長生きをする事が人生の目的とは思えないからだ。
現役が終わったら、いつでもいい。
しかし、これがサーキットをあと5秒早く走るためとなると、
がぜん意欲が変わってくる。
ほぼ2年近いブランクもあって、
ひょっとしたらもう無理かもしれないと思っていたレーシング走行が、
自分とは別の次元の車と思っていた本格的なIPSで、
そこそこ走れたことに、驚きに近い嬉しさがあって、
本当にあと5秒くらい速くなって、
たくさんの車に混じって闘うレースが出来るかもしれない。
それは本当にやってみたい。
しかし、連れ合いを含めて身近の人が、
私の唯一の趣味にまったく理解なく、興味もないことは、
さみしい。
さみしい気持ちが苛立ちに変わって、次第に怒れてくるのは、
仕事大好き人間が唯一持った趣味の領域を、
身近な人が理解できないことが、私自身が理解できないからだろう。
ようするに、ただのわがままです。
運動不足のたるんだ体が、疲労の塊になっている時、
脳細胞の動きまでが散漫になって、
ポジティブとネガティブの思考が、ごちゃ混ぜになって、頭を満たしています。
こんな時には、みんなに会って来ることが一番です。
午前の仕事が終わったらLABOに行こう。