2013年05月15日(水曜日)
5.15ほとんどの人が守れない法律は「悪法」というべきではないか
キープレフトを守らず追い越し車線から動かない人がいっぱいいて、
それが高速道路の渋滞の一つの原因になっている話を、一昨日書いた。
では、なぜ、追い越し車線から出ようとしないのか。
その理由は明白だ。
「制限速度を守る人がいるから」だろう。
有料道路、都市高速、高速道路で
制限速度以下で走っている人は10%以下であることは間違いない。。
ひょっとしたら99%の人が制限速度以上のスピードで走っていて、
それが全体の車の流れになっている。
しかし制限速度も守るべき法律なのだから、
車の流れ全体がどうであろうが、守るべきは守るとして、
かたくなに制限速度以下で走り、
それを自分のアイデンティティーとしている人もいる。
これはこれで正論である。がしかし、圧倒的な少数派ではある。
ではなぜ、圧倒的多数の人が制限速度という法律を守ろうとしないのか。
その制限速度が非現実的に低すぎるからだろう。
だから実際的には守れない法律になってしまっているのではないか。
自動車の性能は大昔に比べれば飛躍的に上がっている。
ブレーキなどの制動装置はABSで雪道でもロックしないし、
「横滑り防止装置」によってカーブで曲がりきれずスピンすることもほぼない。
車体も頑丈になり、エアバッグと相まって乗員を守ってくれる。
自動車が今に比べて
はるかに安全性が低かった大昔に作られた制限速度は、
もうすでに非現実的、時代遅れの法律に堕ちている考えるべきではないか。
都市高の60km/h制限を守る安全としての必要性があるのかどうか、
客観的かつ科学的に見て、到底無いと言わざるを得ない。
ドイツではアウトバーンが制限速度無しだが、
本当に200km以上で走っている車も普通にいて、いい緊張感がある。
そして車線の区別がはっきりしていて、
トラックは一番外側の車線からピタッと出てこないし、
120~150kmくらいで走る中速車は、
二車線目を走って、高速車が走る中側の三車線目にはほとんど出てこない。
だから緊張感の中にも、
安心して200km/h以上の高速で走ることができる。
「自分より速い車が自分を追い抜くことを妨害しない。」が徹底しているのだ。
加えて、
時速200km/hは決して危険な世界ではない。
まさに急ブレーキ、急ハンドルさえ切らなければ、まったく問題ない。
少なくとも200km/h以上出せる性能の車ならば、
エンジンだけでなく他の性能もよく確保されているのでまったく不安はない。
レースでは200km/h以上出ることは普通だが、
速度が出ているから怖いと思ったことはまったくない。
200km/h以上出ると視野が狭くなるとか言うが、それを感じたこともない。
事実、レースで走っていると、
競り合っている車がなければ、
スピードの出るストレートは休憩の時間で、
計器類を確認したり、ピットからのサインを見たりするだけで、
本当に休憩時間なのだ。
道路を走る車の速度を低くする事で安全を確保するのは、
一見、理にかなっていそうで、そうではないと思っている。
早く走れる車の流れとゆっくり走りたい車の流れをしっかりと分けて、
一つの車の流れに異質の速度の車を持ち込まないことだと思う。
一つの車線において車の流れがスムーズであって乱れなければ
事故は激減すると、何かに書いてあった。
それを最も簡単に実現するのがキープレフトであり、
そのキープレフトの実現を妨害しているのが、
ほとんどの人が守ろうとしない制限速度の存在と、
ごくまれにそれを守ろうとする人の異質のスピードの存在だとするならば、
事故と渋滞の元凶は、
誰も守らない「非現実的な制限速度」だということになる。
罰せられるから仕方なく守っているだけで、
本気で誰も守る必要を感じていない法律の存在は、
ルールは守るべきだというモラルを低下させるだけの、
類まれな「悪法」だと思う。
本当に何とかならないかと思う。
福島へ行く途中、東京までの新幹線でそんなことを思った。
富士山がかろうじて、ボヤっとしているが、てっぺんまで見えた。