2013年05月01日(水曜日)
5.1.言葉の怖さ、むずかしさ、やさしさ、
猪瀬東京都知事が“失言”して話題になっている。
「イスラム圏は宗教は同じだけど喧嘩ばかりしている。」というような発言らしい。
これが「オリンピックを招致している競争相手を非難していけない。」
というようなルールに抵触するらしい。
オリンピックは平和の祭典なので
一切、相手を攻撃していけないと言うことみたいだ。
たしかにそうなのだろう。
しかし競争相手は、この失言を東京の敵失として喜んでいる。
でも逆に、競争相手が猪瀬都知事の失言を「失礼だっ!」と攻撃すると、
今度は自分達がルール違反になるので、「気にしていない。」と発言する。
タヌキとキツネの化かし合いで、
「本音を言ったら負け。」みたいに、こういうのを大人の世界と言うのだろうか。
それにしても言葉は怖い。
これで猪瀬知事の発言が原因ではなかったとしても、
東京がオリンピック誘致に失敗したら、
かなりの部分「猪瀬知事のあの失言のせい。」となるだろう。
ヘタをすると「失言癖がある」として、彼の政治生命すら危なくなる。
そうやって消えていった政治家は数え切れないほどいる。
言葉は、発言したら元には戻らない。
つまらない不用意な発言で、
とんでもない、取り返しのつかない事態を招くことがあるものだ。
しかもマスコミにとっては、
取材する相手の失言は「おいしい商売の素」なので、
どうにでも解釈できるような言葉を、あえて、曲解してでも失言にしようとする。
そんな傾向があるように思えることがたびたびある。
自分の言葉が多くの人に届くようになったら、
どんな立場の人が聞いても失礼に当たらないように
言葉を注意深く、配慮しながら使うようにしなければならない。
言葉は本当に怖いものだなぁと思う。
言葉は難しい。
言葉のことで厄介な病気がある。
会社の中で役職が徐々に上がり、
外部の人とのコミュニケーションを頻繁にとるようになると、
ガチガチに肩に力が入った状態になるのか、
ばかっ丁寧な、不自然きわまる敬語を、乱発し始める者がいる。
社外の立派な人たちとのコミュニケーションが、
その人にとって緊張度が過ぎるのだろう。
敬語も謙譲語も丁寧語もごちゃ混ぜの、
読んだ方が恥ずかしくなるような言葉を一生懸命に書いている。
もっと素直に肩の力を抜いて、
普通の日本語を、
きちんと丁寧に書けばいいだけなのにと思うが、
本人は仕事熱心であり、
相手に精一杯の尊敬の念を持っているので、
ついギクシャクした文章になってしまうようだ。
ついには、
上司への報告でもない単純な同僚への社内連絡までも
敬語の塊のような言葉を書き始める。
これはまさに病気のようだ。
誠実に生きている人がかかりやすい風邪のようなものかもしれない。
言葉は本当に怖いものであり、難しいものだと思う。
しかしその反面、
苦境に立っている時、
たった一言のいたわりの言葉で救われるような、
そんなやさしい力も、言葉は持っている。
言葉は自然に、力を抜いて、相手のことを想って発しなければいけないのだろう。
私には、それが出来るのだろうか。