2012年12月05日(水曜日)
12.05.激しく生きても、命は鍛えられないか
ニュースで見ました。
中村勘三郎が亡くなったそうです。
エネルギッシュであり、やさしく、
バイタリティの塊のような人だった。
57歳だという。
私より3歳も若い。
人間の体は、筋肉は鍛えられるが、命は鍛えられないのか。
いつも、
「激しく生きるほど命は鍛えられて、生命力が増していいのだ。」
そんな風に思ってきたし、言ってきたが、
必ずしも、そうでもないかもしれない。
同世代の人間として、
レベルはまるで違うとしても、
同じく激しく生きてきたつもりの人間として、
人ごとではないような気がしてどうも落ち着かない。
死は予感もなしにやってくるものだろう。
仕事の上での苦労などより100倍も苦しい闘いを繰り広げて
病気に不屈に闘い通しても、
あるいは、どんなに周囲の愛情と支援をいただいても、
いっさいの意志も力も愛情も無視して、死は容赦なく人を落としこむ。
自分にできることは、
いつ死が自分を迎えに来ても、
「しまった。こんなに早く来るとは・・・」と思わぬよう、
いつも、精一杯生き、いつも覚悟だけはしておくことなのだろうか。
自分も含めて、
誰でも、いつまでも生きていられるような気分で生活をしているが、
これは本当に他人事ではない。そう思いました。
ご冥福をお祈りします。