2012年08月30日(木曜日)
昔、田舎の親戚は若者をやさしく気遣いながら、楽しく潰す
昨日、若い頃の酒の失敗を二つ書いて、
書くんじゃなかったかなぁ、と少しだけ後悔しています。
若い頃はなにかと失敗が多いのは当たり前で
特に私の場合は多く、
酒がらみはとりわけ多かったということです。
前二話の、特に八事の交差点の話は
汚くも不愉快であったことを心からお詫びします。
しかしこんなバカなことでも、
あのころ若気の至りと許してくれる社会の寛容さがあり、
若い時なら、多少のことはいくらでも取り返しが効くのですから、
少々の無茶や馬鹿な事はやった方がいいと思うのです。
若い時から酒も飲まずに、
何事もほどほどにしているのは、つまらないなぁと思います。
お酒もとことん飲んで、
どれだけ酒を飲んだら、
自分がどうなって、どれだけバカなことをするか、
どれくらいの酒が一番楽しいのか、
とことん飲んだことのない人は永遠に解らないでしょう。
懲りて学ぶこともあります。
自分の適度な酒量を知っているから
自動的に体と脳が拒否反応を示してストップをかけてきて、
それを越して飲みたいとは、決して思わなくなるのです。
自分の適量で飲むお酒ほどおいしく、
何より楽しいものはありません。
人間の頭は少々理性が痺れたくらいが一番面白いのでしょう。
飲みすぎたら、
自分でも信じられないようなことをやる自分を体験しているので、
ほんの少しのお酒でも、
人の命に係わる凶器になりうる自動車を
決して運転してはいけない所まで”自分の能力が落ちる”ことも理解できます。
酒は一度は飲み過ぎないと、酒が自分をどうするのか解りません。
最初から飲み過ぎないようにチビチビやっていたのでは、
自分の適量がいつまで経ってもわからないのです。
昔の田舎では
若者がお酒を飲んでも良い年齢に成ると、
お正月とか何かの祝いの席で、
親と親戚がよってたかって、その若者に大酒を飲ませて潰したものです。
親もそれをありがたいことと親戚に感謝し、
大酒飲んで潰れた息子を見て、みんなで大笑いし祝ったものでした。
もちろん潰された本人も100%楽しんでいます。
わたしもやられました。
40年前、私が二十歳になってからのお正月、
本家に親戚一同が集まっての宴会。
4人の叔父さんが、(つまり私の親父の兄弟)
かわるがわるに私の席にお酒を持ってきて、
「ヨシミチ、くいっとその盃を空けて、酌をさせろよ。いいから。
うん? もう勘弁して下さい? 大丈夫さ。
30年以上酒を飲んできた俺が見て、ヨシミチはまだ飲みが足らんのが分かる。
大丈夫、飲んでみれ、うん? 俺の酒が飲めんのか?」
親父までが、
「なんだ、ヨシミチ、もう飲めんのか。
○○叔父さんが、まだヨシミチは飲み足らんというなら、間違いない。
もっと飲まな、いかんのだろうな。ハハハハ・・」
この繰り返しで、四人の叔父さんが
何度も何度も、代わる代わるに私の席にやってきて、
最初は”おちょこ”が、小さめの湯飲みになって、けっこう大きな湯飲みになり、
その度に、それに注がれた酒を飲み、
叔父さんたちの進め上手の話が面白くて、
つい飲んでしまい、
20歳になったばかりのヒヨッコの私などひとたまりもない。
たぶん清酒を一升近く飲んだのだろうと思う。
1時間かそこらで潰れてしまった。
あとはトイレで吐いているか、ごろんとトドのように寝かされているか。
それを叔母さんたちが、
「もう叔父さんらはかわいそうなことするねー、」と、看病してくれた。
笑いながらである。
おふくろも珍しく優しそうな表情で私を看てくれていた。
楽しかった。苦しかったけど、一人前の男として扱ってもらい、
叔父さんたちの仲間の端くれに入れてもらえたような気がして、誇らしく、
楽しく、めっちゃくちゃ楽しく、・
苦しくはあったが
ひどい目に合っているなどとはまったく思わなかった。
私の弟の清隆も、いとこの基司も、同じように楽しくやられた。
こんなことが何度かあるうちに、
だんだん慣れてきて、酒の飲み方も覚え、
楽しみも覚え、みんなで楽しむことも憶えた。
昔、男は酒の席で潰されながら大人の仲間入りをしていった。
現代。
そんなことをしたら、大変だ。
私の甥っ子たちは、たぶん、乗ってこないだろうし、
甥っ子の両親たちも怒るかもしれない。
ましてや、そういう経験があまり無い者が形だけ真似して、
「一気飲み」を新入生などに強要するのは危険なのだろう。
あれはやさしさがない。
昔、
その昔、
経験豊かな叔父さんと叔母さんたちが、
若者の様子に気を使いながら、お父さんとお母さんと一緒になって、
やさしく、若者を、楽しく酒で潰す。
あれは日本の良き習慣だったと、今は思う。