2012年08月07日(火曜日)
自らの意志で動き、働く者の”力”
人から聞きかじりの話だが、
ロンドンオリンピックの男子柔道では金メダルが一つも取れなかったのは、
「選手がコーチの言うことを聞き、従うばかりだった。」
と、かつて無敵の金メダリストだった古賀選手が言っていたそうだ。
なるほどなと思った。
試合はあらゆるタイプの選手が相手であり、
その相手に合わせて、勝つべき方法も、手段も変えなければ勝てない。
なんでもかんでも「一本狙い」では、
それが日本柔道の美学であろうと、
相手の作戦によっては負けてしまうこともある。
今回はすべての階級において、すべての選手が、いずれかの段階で負けた。
その選手に「俺の言うとおりにやらなかったから負けたんだ。」
と、コーチが言ったかどうかは知らないが。
いずれにしても、負けたことは事実だ。
「支配と服従」の関係ほど弱いものはない。
人は上の立場に立つと、
よくこの関係を求めたがるが、
上の立場に立った者が、
いつも、下の立場の者より正しいとは限らないし、
むしろその逆の場合も少なからずある。
上の立場に立った者が、
より広い視野を持っていたとしても、
所詮、一つの視点からしかものは見えないし、
考察力が如何に優れていても、
所詮、一つの思考パターンしか持っていないので、
その者の経験が如何に多かろうと、成功体験を持っていようと、
多くの人の多角的な、結果的に客観的な視点からの見方にかなうことはない。
常に自分が正しいという立場からの独善的な見方は、
服従することを良しとする人からしか支持されない。
それが多くの場合、それが間違っているからだ。
必要なのは議論である。
関係が上下であろうとお互いに意見を言い、
お互いが、お互いに、お互いの考えを受け入れた上で、
キチンと議論をすべきだろうと思う。
その議論のイニシアティブを上司が持ったとしても、
上の者が命令し、立場が下の者が服従する関係よりも、
はるかに優れた結論を導き出すことが出来る。
勘違いしてはならない。
支配と服従の関係で構成されている”軍隊”では、
兵隊はその存在自体が武器であって、
いざ戦時になれば、もはや人間というより、道具、一つの”武器”なので、
その兵隊を、上官が支配し、兵隊が服従しないと、戦争は出来ない。
たとえば、
銃の引き金を引いても、銃が
「ここで玉を発射すべきかどうか」と考えてしまって、
玉が発射されないとしたら、
それはもはや武器としての銃ではなくなり、戦いは確実に負ける。
だから、
戦争は非人間的であり、
軍隊では支配と服従の関係が必須なのである。
しかし、仕事では、
人間は人間であって、道具でもなんでもない。
だから、皆がそれぞれお互いに意見を持って、
より多角的な視点からのより優れた結論を導き出すことが、
最も強い方法と言える。
支配と服従の関係ほど弱いものはないと私は考える。
昔の話だが、
上司と部下が、親分と子分のような関係のグループ、
あるいは、仕事上の関係以上に、親と子のような関係のグループが、
集団になって、会社から会社を渡り歩くのを見たことがある。
その関係は支配と服従そのもので、
支配する者が、服従する者の面倒をとことん見ることで成り立っている。
そのグループの結束力は強く、従順に服従する下の者の働きは、
彼らを迎えた中途半端な主従の関係しか持てていない会社の人からは
素晴らしい仕事と見えた。
しかし、そのグループが渡り歩いた先で長持ちしたことはなかった。
命令に服従して働く者の力は、
本人の”意志”で動き、働く者の力にはるかに及ばない。
これは動かしがたい事実である。