2012年07月28日(土曜日)
トップダウンの功罪 その2 期して旗を振る
経営のリーダーである社長が、
強いリーダーシップを発揮するのは必要なことです。
リーダーがフラフラしていたら、
社員が今やっている仕事に自信が持てなくなってしまうし、
企業の行動の目的を明確にして、
みんなの力を同じ方向のベクトルに合わせていくことが、
それぞれが持っている力を最大限に引き出すことになって、
リーダーシップを発揮する事は、リーダーの重要な仕事のひとつです。
ならば、前話の堤義明氏のように、
「君たちは考えなくていい、物事の判断はすべて私が行う」として、
トップの判断にすべてを委ね、
以下の者は、その判断に従って従順かつ服従的に仕事をするべきか、
と言えば、それはちょっと違う。
トップの能力がスバ抜けていれば、
それも一つの方法かもしれない。
しかし人間の能力の差とは、そこまで大きいものとは思えない。
人間が持っている知能であり、
決断力、判断力、実現力、感受性、独創性、創造力、
などなど、一言で言えば「能力」とは、
人によって数倍も違うものではなく、
もともとは数パーセント、あっても何十パーセントかの差が、
その後の学習と、訓練と、経験によって、
大きな差に拡大して行くのは確かだが、
それでも、仕事においての能力の高い人間が、
絶対的な命令を出して、
まだ相対的な能力の低い人がそれに絶対服従ことが、
最大の効果を出す仕事を作りあげるベストの方法と言えるほどの能力の差、
たとえば、数十倍の能力の差にはならない。
「三人集まれば文殊の知恵」とも言う。
人それぞれが違う感性を持ち、違う経験と環境で生きてきて、
人それぞれが違う視点と発想を持っているので、
一人の能力の高い人が一人で考えるよりも、
多くの人が、それぞれの視点と発想で議論した末に出した結論の方が
たぶん、うんと優れていて、
うんと実現力のある場合が多いのではないか。
リーダーは、その議論において自らの意見も出し、
みんなの意見を引き出し、聞き入ることによって
議論を活性させることもリーダーの仕事である。
そして、最終的に決断を下し、
自らの責任を持って仕事の遂行を決めるのは、
やはりトップの重要な仕事である。
トップダウンは、ある時点、ある場面においては必要なものだ。
もう一つの観点でいえば、
トップが専制政治的に命令を下し、
部下が絶対服従で仕事をやっていると、
服従した人間は、自分の考えで動いているわけではいないので、
その過程で学習する事が少なく、
結果が良くても達成感が少なく、
悪くてもリーダーのせいになるだけで、
学習の経験の蓄積にならない。
極端なトップダウン体質で、
その会社に命令と服従の関係しかないとしたら、
いつまでたっても、
言われる通りにしか何もできない人たちの集団になってしまう。
それでは、みんなの力が、
一つの方向性を持つベクトルにまとめられていても、
一人一人の力が弱く、
一人一人に、自ら発した目的意識がある訳ではないので、
仕事の遂行力も弱く、全体の力としては脆弱なものになるだろう。
経営者、あるいは上司は、
社員、部下が自分の思ったように動いてくれない時、
仕事が進まない時、
部下が自分に従順であって、
何でも自分の思い通りに動いてくれたらなあと思うことがあるのは、
不思議なことでも、
別に自分勝手なことでもない。
しかし本当にそうなったとしたら、
実際は自分の言うとおりにしか動かず、
全体として活性のない、無感動な組織になってしまうのではないだろうか。
絶対的なトップダウンとは、
経営者や上司、指導者が、ひょっとして夢見るものかもしれないが、
それは自分の能力に過信がある時に見る、幻想なのかもしれない。
あるべき指導者、経営者とは、
みんなの話をよく聞き、よく話し、
みんなが、自らが自らの力を引き出す活性化を実現できること。
そして、経営者の自らの責任を賭した決断で、
その大きな力を一つの方向にぶつけるべき目標を明確にし、
期してトップダウンで旗を振って、
すべての人の共感と共に、大きな成果を成し遂げること。
そんなことではないでしょうか。
私なんかとてもまだまだです。
昨日、昼過ぎに長崎に飛んで、
素晴らしく活性化された人々と、
それぞれを信頼し信頼される指導者が、
それぞれの立場で、
意気込んで新しく仕事をしていこうという場に居合わせました。
平凡な言い方ですが、
すごく元気をいただきました。
しかし、
たくましい人たちは、お酒もたいして強く、
ご一緒するには、酒力がまだ私には足りないようです。
今日の朝、長崎から名古屋に帰る飛行機でこれを書きました。
午後からはまた名古屋の飛行場から飛び、仙台に向かいます。
スーパーGT仙台SUGO戦が始まっています。
もう完全に夏の空です。