2012年07月16日(月曜日)
知らぬ間に音と映像で作られる錯覚
戦争映画のように敵がばたばた死ぬような場面を、
連れ合いは、気分が悪くなるからといってものすごく嫌います。
戦争映画とか、
アーノルド シュワルッツァ ネガーなどが演じたアクション映画の中では、
大人数の敵をこともなげに殺して退治し、
最後には”正義”が勝つストーリーがほとんどです。
そんな映画を見ていると、
敵は、ただ単に「敵」という殺すべき存在でしかないように思えます。
しかし敵も一人一人が人間であり、
必ず親がいて、妻がいて、子供がいて、
たくさんのその人を必要としている人間であり、
その人を、単に殺すべき「敵」として
スクリーンの中で、ヒーローが大量に殺すことを不思議と感じないのは、
感じない私たちの方がおかしいのでしょう。
あれは、どちら側に是があり、どちら側に非があってとしても、
客観的に見れば大量殺戮に他なりません。
それを一方的な価値観で、殺した方をヒーローとし、
殺された方を悪として死ぬべき存在として決め付けるのは、
戦争そのものを非人間的なものとする価値感からすれば、狂っているでしょう。
それでも、私も含めて狂っているとは思わず、
ヒーローが敵を殺す場面を爽快に感じてしまうのは、
音と映像の魔術としか言いようがありません。
一方、テレビを見れば、
あらゆる商品を「買う」「使う」「飲み、食べる」ことを刺激し、
買い、消費する事こそ賢く、心地よく、スマートであり、
とにかくも消費する事が経済の活性化であり、
楽することが美徳であると賛美されます。
一方、地球の資源は限りがあり、
すべての消費は、その資源を使っていくことに結びつきます。
一方、自分の子供を愛し、大切にする事も全面肯定で賛美されます。
誰もそれに反対する人はいません。
しかし有限である資源を使い、
今自分たちの生活を楽して心地良くすること、
便利にすること、おいしく食べ飲むこと、面白く暮らすこと、
それを際限なく追求することは、
自分の子供、その子供、その子供、そのまた子供、つまり自分の子孫に、
資源を残さないということに他なりません。
しかも資源を残さない上に、
今の自分が稼ぐ以上のお金を使って莫大な借金を残して、
自分の子供たちに借金払いを押し付けることが、
自分の子供を原点とした自分たちの子孫を愛することになるのかどうかは、
考えるまでも無いことです。矛盾しています。
それを、みんなが本当は判っていることでも、
日常の生活の中で、テレビやITという圧倒的なメディアで、
買い、飲み、食べ、楽をするための消費の追及を
音と映像で刺激的に賛美されて、
それを美徳と感じ、錯覚してしまうのは、
戦争映画の中でヒーローが敵をやっつける場面を、爽快と感じ、
錯覚してしまうことと、よく似ているのではないでしょうか。
「いいものを長く、大切に。」を
際限のない消費、浪費を賛美する音と映像の奔流の中で、
最近、一部の車のメーカーがCMの中で言い出しています。
数と量を追求するCMの中で、
物を大切にの心と、質を訴求する方向性は、
かえって、マーケットに好感を与えているのではないでしょうか
その結果、ライバルとの数量で面での競争にも勝つ有効な手段かもしれません。
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