2012年03月01日(木曜日)
2986.融通と馴れ合いが、依存と押し付けに
昔からの取引などで、お互いによく知り合ってくると、
ビジネスのルールを踏み外したところで、
あたかも潤滑剤のように、
硬いこと抜きの融通が幅を利かせ始めることがあり、
それによって仕事の細かいところがうまく行くケースがある。
それが気心が知れている者同士での馴れ合いに発展してしまうことはよくある話だ。
人間はいくらルールを決めても、
ルール通りに完璧に仕事が出来るとは限らないので、
ちょっとしたミスや、うっかりはあるもの。
だが、それをいちいちお互いに詰め寄っても仕方ないので、
お互いにカバーする形で、融通を利かせて補うことはある。
デジタル的にすべてを片付けられればいいが、
人間そのものがアナログで出来ているから、
アナログならではのルーズさがあるので、
そのギャップを埋めるのが、
融通であり、気を利かすことであり、馴れ合いの潤滑油なのであろう。
人間はデジタルにはなりきれないのだから、
そういったものがお互いの相手のためにされていれば、
それはそれで意味があるのかもしれない。
しかし、
そのお互いのためにあったはずの融通であり、気遣いであり、馴れ合いが、
一方の都合の利益のために利用されると、
それは一挙に、お互いの不信に変化してしまうことがある。
融通とかが、お互いを補完するための潤滑油的な役割から、
一方がもう一方に依存し、一方がもう一方になんらかを押し付けるための物になり、
それによって一方が損あるいは害を受けるような事態を招いた場合、
つまり、時には裏切りの行為にまで発展してしまった時には、
それに対する反撃が行なわれて、
お互いの良き関係が破綻するする事態を招くのは仕方がない。
それを防ぐためには、
馴れ合いとか、融通をやめて、
ルールをデジタルに実践していくしかないのか。
そうかもしれない。
本当にそうなのだろう。
組織が増大すればするだけ、ルールが必要になって、
デジタル的な仕組みが必要になってくるのは、間違いない。
アナログな融通に郷愁を感じないわけではないが、
そこを断ち切ることが、発展を作り上げていくのは間違いないのだろう。