谷 好通コラム

2011年12月12日(月曜日)

2933.注意すべき時が来たのかもしれない

事業とは、
自分の利益をもっぱら追い求めて、
相手であるお客様や、
相手である取引先の利益を、ないがしろにして
自らの利益だけしか考えないと、
必ずと言っていいほど、つぶれる。
つぶれるまで行かなくても、決して発展はしないし、自らの利益はむしろ出ない。

 

自らの利益だけしか考えないということは、
相手から奪うことであり、
奪おうとする人とは、誰だって付き合いたくないから、
相手、つまりお客様であり取引先は、その人から遠ざかり、事業は収縮して、
いずれはつぶれる。

 

 

労せずして儲けようと、
“不動産や株”に事業の資金を流用して“投機”に走って、
最終的に成功した事業を私は見たことがない。
投機で儲けることとは、投機する対象が値上がりする事が絶対条件であり、
世の中のあらゆる商品や物において、
永遠に値上りし続けることは絶対的に不可能であるから、
必ずどこかで値下がりする。
だから、利ざやとほぼ同額の損失が必ず存在するので、
その物の売買時に発生する手間賃が、
ギャンブルのテラ銭にあたり、
ギャンブルが極めて高い確率で損失が出る仕組みである事と同じように、
“投機”は、ほぼ100%に近い極めて高い確率で損をする。
最初から損をする仕組みのギャンブルの確率論と全く同じなのだろう。

 

落とし穴は「労せずして」にある。
労のないところに付加価値は存在せず、
付加価値が発生しないことに、本当の意味での利益は発生しないので、
必然的に損が発生する。
非常に低い確率で“儲け”が発生するとしたら、
大きな損と、小さな損の端からこぼれ出た偶然から発生する微々たる儲けでしかない。
「労せずして」の儲けを求めて、
「労せずして」の投機を繰り返せば繰り返すほど、
損をし、損が拡大する確率が、二乗的に大きくなる。ギャンブルと同じだ。

 

得をしたとすれば「労せずして」なのだから、
ラクをしたということだけであろう。
ラクする事が得であるとする価値観があったとすればの話だが。
何かにつけてラクをしようとする人は、ほぼ間違いなく役に立たない。
少なくとも仕事においては。

 

 

事業とは、労して相手の役に立つことであり、
お客様であり、取引先に付加価値や利益を供与する事に尽きる。
そこから得られるものが報酬であり、
労して要した経費よりも、発生した付加価値による報酬が大きければ、利益が出る。
これを、労して、正当に、“稼ぐ”ということではないか。
これは相手にとっても役に立つことなので、
相手が集まり、数と量が増えて、その規模が多くなり、事業は発展し、成長する。

 

事業とは、投機などで労せずして儲けることではなく、
相手のために役に立つ付加価値、
つまりサービス業で言えば「お客様の喜び」を、自らが労して、生み出し、
稼ぐことということではないか。

 

労せずして、つまり楽をして、
相手から奪い、恨まれ、金を儲けて、
その金を浪費することに幸せがあるとは思えない。

 

労して、つまり働いて、相手に喜んでもらって、与えて、感謝されて、
みんなでその事業を、盛り上げていく仕事のほうが、きっ幸せがあるように思える。

 

だいいち、そのほうが楽しい。

 

 

投機が大好きな中国がおかしくなり始めたかもしれない。
ひょっとしたら、注意すべき時が来たのかもしれない。
あくまでも、かもしれない。だが。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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