2011年12月05日(月曜日)
2929.みんな、ありがとう。たのしかったですね。
我々のビジネスでも同じことですが、
一つの事をやっていくには、
たくさんの人たちの支えが有ってこそ出来るものです。
私も含めて、何かをやっていたり出来たりすると、
つい、自分一人でやっているような気になったり、
自分一人がやって出来たことだと勘違いしがちです。
あるいは、みんなの力が有って出来たとは分かっていても、
自分が中心であり主人公であって、
周りはそれをサポートしてくる脇役であると勘違いすることは多々あります。
自分が考えることだから、
自分を中心にして考えてしまうことは
仕方がないのかもしれませんが、それでは本当のことは見えてきません。
一人一人その役割が違っていても、
その役割において、一人一人が主人公であって、
主人公としての意志を持っていることを、いつも考えの中に持っているべきです。
チームワークとはそういうことでしょう。
会社という組織において、一人一人がそれぞれの役割を持っていて、
それぞれが、仕事を通じてみんなのためになることをやっています。
一人では何にも出来ません。
本当に一人だけでは何も出来ません。
みんながそれぞれに自分を持って参加して、全体が出来上がり
何もかもが進んでいくのでしょう。
みんなが、みんなのために。
私は、私としての役割を持って、みんなのためにいるだけです。
仲間たち、楽しかったですね。
レースはやっぱり、楽しいですね。最高にハッピーでした。
また、元気に仕事が出来ます。
東京から山形に移動する新幹線「つばさ」より。
※今回はじめて手伝ってくれた大鹿君。
以下の写真は全部大鹿君が撮ってくれたので、彼は一度も出てきません。
このごろ私を追いまくる大田中さん。
この日は本当に寒かったので、ダウンのジャンパーの私が寒がりではなく、
半そでTシャツの大田中さんがヘンなのです。
キーパープロシッョプ。
観客はこんなもんです。さむそうですね。
H.オサムの№25のミッションが不調で、みんなで直そうとしています。
それはそれ、№26は予選の時間が来て、いざ出陣です。
あ~あ、楽しみが半分になっちゃった。
直らない№25を置いてけぼりにして、№26は予選に出て行く。
真剣に予選。
かなり必死こいて予選。
予選が終わったら、なんと飯田章監督(スーパーGTの監督ミスタートヨタ)が
ピットにやってきた。
みんな、はしゃいで記念撮影。
スーパーFJに参戦の白石さんと飯田監督。その隙間から大田中さん。
私もとりあえず。
あ~~~~びっくりした。
飯田監督が来るとは思わんかったもんね。
決勝まで3時間半、一番リラックスする時間です。
普段はぜったい食べないお菓子がうまい。
その時間には、コースの体験走行。
我がチームの応援団も参加です。運転するは大鹿君。
午後からは決勝。
そろそろ緊張感が漂ってきた。
真剣度100%。
そこへ再び飯田監督登場で、私の緊張感をほぐしてくれるも、
飯田監督に「リラックス!」と言われてかえって緊張しない奴はいないだろう。
もうガチガチになってしまうのだ。
ピットから出るちょいの間の時間。
この時間が一番ボォーッとしている。不思議にも。
コースインして、グリッドに着くと、
三度目の飯田監督。カッコイイ。
カッコいい男はどこで何をしててもカッコイイ。
「このサーキットのポイントは何ですか?」とうっかりアドバイスを求めたら、
色々と教えてくれるが、
「わぁーそれ、俺、出来ないよなー」でうろたえるヘナチョコドライバーA。
飯田監督を囲んでみんなで記念撮影。決勝寸前の私もその囲む一員です。
・・・
・・・・・
のどかなことはとりあえず。
決勝スタートです。
ローリングスタート。
左から三番目が私の№25。
左から二番目の倉持さんの№5は、
この時点でブレーキランプがついているが、
私の№26はまだブレーキを踏んでいない。
だから・・・
次の瞬間、
№26の私が前に出る。抜いたっ!!
しかし、この時点で私はまだブレーキを踏んでいて、
倉持さんの№5は、もうブレーキを踏んでいない。
この直後、抜き返されたのはもちろんである。
何周かして、前から倉持さん、私、大田中さん。
後半、私は大田中さんに追いまくられ、
やばかったが、大田中さんが自分で(勝手に)
ミスをしてくれて、
私はなんとか逃げ切った。
決勝レースが終わって、三位。
四台中の三位。
本当に大した事はないのだが、逃げ切れただけで「もうワクワク」です。
一応入賞です。
何とか追いつきたいのだけれど、レースのたびに速くなっている倉持さん。
敬意を表して、私は“気をつけ”です。
一応、私もシャンパンシャワーに入れてもらう。
クラス1位と同時に、総合1位ももぎ取った勅使河原さん。
車椅子の選手なのです。が、
メチャクチャ速いので、
もう別格の人になってしまいました。尊敬です。
いつもいつもお世話になります。大石さん。
山口からやってきてくれた、大崎君。
ずう~~~~っと、
小林君にメカニックをお願いしてきました。
小林君がいなかったら、こんな話もなかったでしょう。
その小林君、
通称バーヤンが、お父さんになりました。
お嫁さんはなんと、H.オサムのお姉さん、なのです。
最高ですね。本当に最高に幸せですね。
岡山の町の紅葉。
・・・
くたくたにくたびれて帰ってきても、
メス猫チーちゃんは容赦してくれません。
私をなかなか寝せてくれないのですが、この日はさすがにバタンキューでした。