2011年07月17日(日曜日)
2827.「今やる人」と「今はまだやらない人」
有る物が当たり前になった時、その有る物がなぜ有るのか忘れてしまう。
また有る事が有って当たり前になった時、
その事が有る意味を忘れてしまいがちになる。
今有る家庭、今有る食事、今有る職、今有る時間、
どれ一つをとっても、有ることが当たり前のようになっていても、
何かの理由でそれを失うと、
その一つ一つが有って当たり前のものではなく、
有ったことが、どれだけ幸せだったかに気がつく。
最も有って当たり前のものと言えば「時間」がそうだ。
厳密な相対性理論を無視すれば、
時間は、誰にでも絶対的な公平がある。
しかし、人によって、残されている時間は違い、
その時間の中でできることの重さ、多さ、大きさは随分違う。
今という時間があることが当たり前になっていると、
自分に残されている時間の意味、
自分がその時間の中で出来ることの重さ、大きさの意味を、
つい忘れてしまうものだ。
今やろうと思えば出来る事ならば、
それが別に今でなくても構わない事であっても、
今、やってしまう人と、
それが今やれることであっても、明日にしたり、ぎりぎりまでしない人では、
その人が持つ時間の濃さと内容が大きく変わる。
今やる人は、実現力が高い。
そりゃ、すぐやるのだから、やらないケースはゼロなわけだ。
しかし、今はまだやらないという人は、
明日やるのか、期限までやるのか、100%とはいえないし、
その間にやれなくなる理由が発生する可能性もあり、やる可能性はかなり低くなる。
だから実現力が低い。
今出来ることは、今やる人は、
今の時間を100%の確率で使い、何かを実現するだろうが、
今出来ることでも、今はまだやらない人は、
今の時間を「やらない時間」として過ごす場合がほとんどで、
他の何かを実現するために使うことは少ない。
成功者とは、今出来るならば、今やる人であり、
成功できない人とは、今出来ることでも、
今はしなくても済むので、今はまだしない人である。
成功とは何を差して
成功と言うのかは別のこととして、
今やる人と、今はやらない人との差は、決定的と言っていいほど大きい。
今やる人とは、
「 “いつ”やるかを、その時に決める人」でもある。
人はそれを「せっかち」とか「せわしい人」と表現するが、
すぐやらない人とは、
「遅い人」であり、「やらない人」であり、実現力の低い人にしか見えない。
せっかく人間すべて平等に与えられた”時間”を、
それをより良く使うのか、使わないのは、
今出来ることを、今やるかどうかの違いだけなのだ。
誰にとっても有って当たり前の時間。
それを「しないこと」を安楽として、トクしたと思う価値観と、
せっかくの時間を目いっぱい使いたいと思う価値観と、
どちらを選ぶか。
仙台でのレースが終わって、
みんなは帰ったが、
私は東京へやってきた。
どうしても会いたい人が有ったから。
足立店に向かう高速から、
夕焼けに浮かぶとてもきれいな富士山が見えた。