2010年09月24日(金曜日)
2618.自分を不幸にする方法
自分を不幸にする方法はそんなに難しいことではない。
自分を誰かと比べればいい。
そして誰かを恨み、憎めば、それで不幸になれる。
自分がやっている事を、誰かがやっている事と比べると、
自分がやっている事よりも、
必ず誰かがやっている事のほうが、
カッコよく、楽しそうで、楽なように思える事があって、
それに比べると自分がやっている事が
カッコ悪くて、苦しくて、面白くない事に思えて、
こんな事をやらせている者を恨み、憎めば間違いなく不幸になれる。
自分が持っている物を誰かが持っている物と比べると、
自分が持っている物よりも
必ず誰かが持っている物のほうが、
立派であり、便利で、きれいで、楽しそうに思える物がある。
それに比べると自分が持っている物のほうが、
貧弱であり、不便であり、汚くて、面白くない物に思えて、
こんな物しか持てない境遇を与えた誰かを恨み、憎めば間違いなく不幸になれる。
自分が置かれている立場と誰かが置かれている立場を比べると、
自分が置かれている立場よりも、
必ず誰かが置かれている立場のほうが、
強くて、立派で、収入があって、楽で、楽しそうな立場がある。
それに比べると、自分が置かれている立場のほうが、
弱くて、みすぼらしくて、収入が少なくて、苦しく、つらい立場に思えて、
こんな立場にしている誰かを恨み、憎めば間違いなく不幸になれる。
そう、何かの理由で誰かを恨み、憎めば不幸になれるのだ。
自分が誰かと比べて劣っていたり、楽しくなかったり、つらかったりすることを
誰か、何かを恨み、憎むことによってその人が不幸になると、
その誰か、何かが、自分を不幸にしていることになる。
自分はその誰かや何かの被害者になるわけだ。
本当は自分自身の憎しみや恨みそのものが自分を不幸にしているだけなのに。
しかしここで忘れているのは、
自分が誰かと比べて劣っていたり、
楽しくなかったり、つらかったりすることの要因が誰かにあると同時に、
自分もその要因の一つであることだ。
自分という要因は、要因の中の一つであるだけでなく、
自分のやっている事、
持っている物、置かれている立場を作った最も大きな要因であり、
そのほとんどすべてと言っていいことだ。
それ以外の誰かとか何かとかはむしろ副次的な要因に過ぎず、
自分のやっている事、持っている物、置かれている立場は、
ほとんど自分が作り出したものと考えるべきだ。
しかし生き方が受身であると、
自分の今の状態が、自分で作り上げてきたものとは思わず、
自分に対して能動的であった誰かが自分の今を作り上げたものと思い込んでしまう。
他人が作った要因で自分の人生が決まると思っている人は、
残念だが、すごく残念だが、
その時点で、すでに自らを不幸にする要素を持ってしまったことになる。
あとは自分の人生を、誰かと比べてみすぼらしいと思い、つらいと思い、
その不幸を作ったとのはその誰かだと思い込んで、
誰かを恨み、憎めば、不幸の完結となる。
そんな人は決して多くはないが、自分を不幸にする方法は、残念ながら簡単だ。