2010年09月18日(土曜日)
2615.なかなか出来ることではないが、知っている
幸せとは、相手の幸せを考えれば考えるほど、自然に自分の幸せも得られる。
これは最も基本的な法則だ。
残念なことに、
自分は、自分以外の色々な人から害を受けていると思っている人もいる。
だから自分はいつも満たされず、損をしていると思っている。
その人は、自分は被害者なのだから自分が不幸であることを言い続ける。
だから自分に害を与えている人を憎み、恨み、
自分に害を与える人が不幸になることを願う。
逆にその人に害を与えていると思われている人は、
その人から、その人の不幸を造っている犯人と言われているわけだから、
いい迷惑であり、
決してその人を好きにはならないし、むしろ嫌いになる。
もちろんその人の幸せを願うことはない。
被害妄想は、人の幸せを願うことが出来ない人や、
人を幸せにすることが出来ない人が、
自己の存在を正当化するために作り上げた妄想にほかならない。
人の幸せを願うことをしない人は、
人から自分の幸せを願われることもないので、自然に不幸になる。
そして、自分の不幸は他人のせいだといつも思う。
他人が自分の幸せを願おうとしないのは、
自分が他人の幸せを願わないからであることを気づかないのだ。
残念なことに
世の中にはそういう人もいる。
相手の幸せを考えれば考えるほど、自然に自分の幸せも得られる。
何かの拍子に、この原則に気がつけば、いつか必ず幸せになれるのに。
私も人を憎み、恨むことがある。
いつも相手の幸せを考え続けることは、
他人に依存する“幼さ”が自分の中から完全に消えるまで無理なのだろう。
完全なんて事はそう簡単に実現するものではない。
人の一生なんて短い時間ではとても実現できることでもないのかもしれない。
もちろん私も完全ではないし、不完全の塊のようなものだ。
それでも、相手の幸せを願い考え、行動することで、
自分も幸せになることを何度も経験しているので、
そうすることが、自分も相手も、つまりみんなが幸せになることは知っている。
知ってはいるが、なかなか出来ることではないことも知っている。