2010年07月16日(金曜日)
2554.発想の転換「コペ転」と美容院
時代の流れはますます速くなっている。
エネルギーの脱化石燃料の流れはもはや止めようがなく、
エネルギーに関わるあらゆるインフラが、
その大きな流れの中で出番の交代を余儀なくされていくのは間違いない。
それが10年かけての事なのか、20年かけての事なのか。
しかし、現代のインフラはすべて化石燃料の消費を前提としており、
ここまでそのインフラが重くなっていると、
ひょっとしたら30年かかっても完全には転換が出来ないかもしれない。
それでも地球温暖化をくい止めなければならないことは動かない事実なので、
時代の流れの方向は変わることはなく、速度を上げていくだろう。
私たちはその流れの存在をよく踏まえた上での行動でなければならず、
自分自身の変化を果たして行かなければならない。
と言っても、あまりにも大きな流れは、
それを流れとして実感することは難しいものだ。
たとえば地球は自転をしているが、
それを普段の生活の中で、肌身で実感することは無い。
天空を動いていく「太陽」と「月」と「星全体」の動きでは、
「地球が動いている」のか、「天が動いている」のかの区別は分からない。
実感として動かない自分から見て、
太陽、月、星全体が動いているのだから、
太陽、月、星全体を構成する「天」が動いていると感じるのが当然だ。
いわゆる「天動説」である。
しかし、星全体の動きを詳しく観測する中で、
他の星とは違う動きをする水星、金星、火星、木星、土星など特殊な星があり、
その特殊な星たちの動きを観測して計算すると、
実は動いていないのは太陽であり、
地球は、その特殊な星たちと同じように
太陽の周りを回っている「惑星」であり、
そして「月」だけが地球を回っているという結論が計算として出た。
そこで天が動いているのではなく、地球が動いていることがようやく分かる。
いわゆる「地動説」である。
それでも、計算式があまりにも難しいのと、
自らの大地が動いている実感を誰も持っていないので、
「地動説」を唱えたコペルニクスは、
世の中になかなか受け入れられることはなかったし、
一部のその計算を理解できる人達、その一人であるガリレオも、
天動説を前提に作られた聖書を支えにしている教会からの迫害で、
自らが理解できた地動説を、自ら否定せねばならなかった。
しかし、歴史が進み「地動説」の中でしか説明できないことがいっぱい出てきた。
マゼランが同じ方向に進み続けることで元の地に戻った(地球を一周した)のは、
地球が丸い球状であることを実証し、
風まかせの帆船の時代にその地球を一周できたのは、
地球が回っている(動いている)からこそ存在する偏西風のおかげであった。
私も一度だけ世界一周をやった事がある。
(成田)⇒(ロス アンジェルス)⇒(ニューヨーク)⇒(ミュンヘン)⇒(成田)
ニューヨークを除いてすべて仕事での旅であったが、
飛行機に乗り換えて飛ぶたびに、
席の前のディスプレーに出る世界地図の上を動く飛行機の印が、
日本を離れてまた日本に近づいていくのを見て、
何となくではあるが、地球が丸い存在であることを実感できた。
もちろんコペルニクスがそんな経験をしているはずもなく、
中世は「天動説」が当たり前であった。
しかしコペルニクスは、
長時間かけてゆっくりと動く太陽と月と星全体の流れの中での
月の特殊な動きと、水星、金星、火星、木星、土星の他と星と違う動きを、
地球が太陽を回り、月が地球を回っていることを仮定すれば、
その動きをすべて計算できて、すべて説明できることを発見した。
実感としては地球が動いていると思えなくても、
地球は動いていたのである。
真実とは実感と正反対であった。
今の世の中の動き、流れの中で、
誰もが実感として思い込んでいる中で、
実は正反対のところに真実はあるのかもしれない。
たとえば、環境問題ならば、
地球温暖化を阻止するために、
今、自動車の排出CO2を減らすことを電気自動車で解決する方向が主流だが、
その電気を作るための発電によって発生しているCO2の方が、
現状の自動車の排出CO2よりもはるかに多いことを忘れてはいないだろうか。
だから、まず今、すべきは、
火力発電を現実的な原子力発電への切り替えを優先する事ではないか。
ならば社会資本を原子力発電の廃棄物処理技術につぎ込むべきではないのか。
全く違う分野でいえば、
たとえば、
今日、携帯電話を使ったメールマガジンの販売促進システムの売込みを受けた。
IT全盛、とりわけ携帯を持つことが当たり前になり、
携帯電話のメールマガシンを使った販売促進が大流行だが、
私には、あれを欲している人が多くなって、
今後も広がって主流になっていくとは思えないでいる。
マクドナルドの携帯メールマガジンが大成功していることを指して、
今後の販売促進はこれが主流になると言われているが、
しかし、一般の方には「割引き」だけが魅力の携帯メールマガジンに
宣伝活動を頼るようになると、
どうしても商品のクォリティが下がっていくのではないか。
そんな心配もするし、
IPadなどのモバイルがPCとなんら変わらない機能を持ち始めている今、
携帯のメールマガジンとは単なる過渡期のあだ花ではないか。とか思ってしまう。
また、たとえば、
今の男性は、若い人はもちろん、
40歳代の人までが散髪を「美容院」でやっていると言う。
今日、中途入社の新入社員の入社式を行い、その後の食事会でみんなに聞いたら、
会に出席の13人の内、7人が「美容院で」という。
その他は3人(坊主頭)が「自分でバリカンでやっています。」
私は3,400円の普通の理髪店。
KeePer LABOの運営本部長と副本部長は、
なぜか、そろって1,000円のスピード理容。
昔ながらの理髪店に行っているのは私一人だけであった。
おまけに、お世辞にも毛が多い方ではない(少ない)レストランの大将までが、
「美容院で」と言ったのには驚いた。
私は一度、「美容院」に行ってみようと思っている。
世の中の主流が「美容院」ならば、一度行ってみるべきだ。
一度も行かないで「美容院に行く男なんて考えられない」と
言っているべきではない。
これからの時代がどちらに向いているのか確認するためにも
私は一度、美容院を経験してみるべきなのだろう。
(ものすごく抵抗はあるが)
コペルニクスの「地動説」から始まった話が、
私の「一度、美容院に行ってみよう」で終わるのは、
まったくもって変だが、
実は、この美容院の話から、
私はコペルニクスの話に思い至ったのである。
昔「発想を変えること」を、
「コペルニクス的転換」略して「コペ転」と言っていたことがある。
それくらい私にとって美容院へ行くということは、
大胆な発想の転換が必要であり、
感情的には、正に「コペ転」なのだ。
新入社員研修1日目の担当賀来副本部長は、
1,000円のスピード床屋
新入社員諸君は、
左から「美容院」「美容院」「美容院」「自分で散髪」
真ん中が1,000円で、
「美容院」「美容院&月一万円まつげ」「自分で坊主に」「自分で坊主」
君が美容院・・・
君も美容院??
世の中大丈夫なのか。