2010年06月30日(水曜日)
2539.事実として受け入れ堂々とすればいい。
昨夜は午前3時過ぎまで起きていた。
いや眠れなかったと言ったほうが正確だ。
45分、45分、15分、15分の激しい戦いの末のPK戦は、
あまりにもあっけらかんとしていて、日本チームが負けたとはピンと来なかった。
私はサッカーを熱狂的に応援するほうではないので、
悔しいとかそんな気持ちではなかったが、
妙な興奮状態が深夜3時過ぎまで続き眠れなかった。
試合直後、
唯一ペナルティキックを外した駒野選手は、
チームのみんなから「運が悪かっただけだ。仕方がない。」などと慰められ、
テレビの放送でも決して彼を非難するような者はいなかった。
しかし、
2010年のワールドカップの決勝トーナメント一戦目を、
延長戦まで戦った末、PK戦で唯一失敗してチームを敗戦にした選手として、
日本国中の多くの人に記憶として残ることは事実だろう。
事実は事実としてくつがえることもなければ、消えることもない。
彼はこれからの一生、ずっとその事実を背負ったまま生きていることになる。
あのキックで彼がゴールポストに当てるようなことがなければ、
ひょっとして、PK戦に勝てたかもしれないし、
ベスト8に残って、スペイン戦を見られたかもしれない。
そうしたらものすごく楽しかったのにな。
ひょっとしたら、岡本監督が言っていた「べスト4」も現実にあったかもしれない。
なんだかんだと言っても、みんなそう思うし、私も思った。
駒野選手はそんな想いも背負って生きていくことになる。
それから開放される方法は、
4年後のワールドカップまで現役でいて、
4年後まで日本チームに選ばれる力を持っていて、
アジア予選を勝ち抜き、
ワールドカップの試合に出してもらい、
4年後の予選リーグ戦を勝って、
4年後、決勝トーナメントに出て、
試合の中で決勝ゴールを決めるか
また同点で、PK戦まで持ち込んで、今度もPK戦に出してもらって、
今度こそ、ペナルティキックを見事に決める。
ここまで行くのは至難の業だ。
あるいは、4年後の同じような場面に立った時、駒野選手はPKを打てるだろうか。
あの悪夢に勝って、平然としてPKを打てるか。
それでもなおかつ、今度こそPKを決めて、試合に勝ったとしたら、
これは奇跡とも呼ぶべきドラマチック以外の何物でもない。
感動大巨編である。
しかし駒野選手が今回のミスを100%以上にカバーするには、
それしか方法はないだろう。
もう一つの方法は、
その事実とキチンと付き合って生きていくことだ。
ずっとその荷物を背負ったままその重みと付き合いながら生きていくことだ。
世の中には運悪く手足が不自由な人、目が見えない人、耳が聞こえない人、
運が悪くて初めから大きな荷物を背負いながら生きている人はいっぱいいる。
そういう人は、多くの場合、
自分を不幸だとは思っていない。
今持っている体を天から与えられたものとして、
その体と喜んで付き合いながら生きている人が多い。
自分が持っているハンディを隠すことなく、事実として表現してしまえば、
絶対にそれが原因で不幸になることはない。
コソコソするのが一番いけない。
人それぞれ背負っているものが重くても、
事実は事実として受け入れ、
その上で、どう生きていくのかは自分次第である。
自らの運が悪かったことを不幸として捉えて生き続ければ、
それは不幸な人生であるし、
自らの不運も与えられたものとして素直に受け入れてしまえば、
その人の生き方として充実し、幸せを十二分に感じながら生きる人生もある。
自分が蹴ったペナルティーキックが外れてしまった事実を受け入れることとは、
まず、日本に戻ったら、自分から積極的にインタビューに応えること。
あの時の気持ち、今の気持ちを素直に話すこと。
テレビに積極的に出演して事実を事実として表現すること。
コソコソしてはいけない。
堂々と自分がPK戦に負けた張本人であることを表現すること。
自分がその事実を、事実として受け入れていることを大勢に表現すること。
そうすると、ひょっとしたら、
4年後、本当に感動大巨編があるかもしれない。
コソコソとしていたら、それは絶対にない。
そんなことを言うほど、
駒野選手はヤワな人ではないだろう。
ワールドカップに出場するようなスーパーマンみたいな選手なのだから、
本当に4年後のリベンジに燃え、それをむしろエネルギーにできる人かもしれない。
でも日本に帰ってくると、やっぱり大変だろうな。
最後のPK戦で負けたことも残念であったが、
試合後の駒野選手の涙が気になって、要らぬことを考えてしまった。
東京から帰りの新幹線の中で。