2010年03月02日(火曜日)
2439.公衆電話は、まだ、ちゃんとあった
札幌では昨日の夜、
一仕事して、飲んで、今日の午前中にも仕事をした後、
昼の飛行機で羽田に飛んだ。
そのまま相模原に行って、何人かのスタッフと話をするためだ。
それも無事終わって、夕方、新横浜へ向かって車で送ってもらう途中、
「携帯電話」を相模原営業所に忘れてきたことが分かった。
しかし、もう半分くらいまで来ていて引き返すのには時間が掛かりすぎるし、
相模原営業所にいるスタッフを待たせるのも申し訳ないので、
結局、宅急便で送ってもらうことにした。
自分の忘れ物の多さには、我ながらうんざりする。
仕事の用件はみんなPCのメールで送られてくるので、
私の携帯電話は滅多に鳴らない。
携帯メールもまったく使っていない。(使い方を憶えようとしなかった)
だから、携帯電話は無くても大した不自由は無いはずなのに、
今や携帯電話は有って当たり前のもので、
無いと物凄く不便や不安を感じるようになっているのは不思議だ。
携帯電話なしで帰ることになったが、
新横浜駅で新幹線の切符を買ったら、
到着時間を迎えに来てくれる人に伝えなくてはならない。
たぶん駅構内に公衆電話があるはずだと思ったが、
駅の風景の記憶の中に公衆電話の姿が無いので、すごく不安であった。
しかし、
公衆電話はあった。
たしかに公衆電話は、まだ、あった。
普段、不必要であるとその存在を忘れてしまうもので、
そこにあっても、見えていないようだ。
必要でないとそこに有っても忘れてしまう。
存在を忘れてしまうのは必要が無いからなのか。