2009年10月10日(土曜日)
番外編:明日は快洗隊へ行こう
人間、能動的になることは難しいのかな。
それは我々の存在そのものが受動的な存在である事に所以しているのかな。
太陽は、自らの中心で核融合反応を起こして、
巨大な熱量を光として(電磁波)宇宙に放散して、
何十億光年もの先にまでその光は届く。
その光のほんのわずかだけが地球にぶつかり、
すべての生き物を生かす。
だから私たちはすべてを太陽からもらって生きているのであって、
太陽がすべてを与える存在であり、我々はそれを受けて生かされている存在である。
だから、我々は受動的であることが自然であって、
与える存在になろうとするのは、本来的に出来ないことなのかもしれない。
そう思うこと自体が驕りなのかもしれない。
しかし、もともと人の魂が光であったとしたら、
そうでもないかもしれない。
光は物質を熱する存在であって、
エントロピーの法則「熱は高い方から、低い方に一方的に移動する。」だから、
光は一方的に与える存在であると言える。
とすると、肉体は本来的に受動的であったとしても、
もし人の魂が光であったとしたら、
人は、少なくとも、心としては本来的に与える存在であるのかもしれない。
太陽のように、
自分に何も獲るものがなくとも、
一方的に与える存在であることが出来るのかもしれない。
人間は、本来的に肉なのか、物なのか、光なのか。
今日のことをぼんやり考えていたら、そんなことを思った。
一日中の会議が終わり、
今日の話を書こうとしたが、書けず、
何時間か経って自分の部屋から出たら、企画の2人と増田君がまだいた。
増田君は今日、入籍をすると言っていた。
明日は、快洗隊に行こう。