2009年09月15日(火曜日)
2305.チーちゃんに小判はいらんよな
いまだに私は携帯電話の電話番号の登録が自分で出来ないのは、
私に憶える必要と、憶える気がないからだ。
以前、私は携帯電話をよく失くした。
ついどこかへ置いてそのまま忘れてきてしまい、
携帯電話を持ち始めた15年以上前(携帯電話の初期)から20個以上は失くしてきたと思う。
だから携帯電話に電話番号を登録しても何の役にも立たないので、
電話番号は手帳に書くか、頭で憶えるようにし、
一番多い時は100件以上の電話番号を記憶していたことがある。
(私は変なところで記憶力がいいのだ)
だから、電話番号の登録のやり方を憶える必要がなかった。
しかし店舗も増え、営業所も増えてスタッフの数もずいぶん増えたので
電話番号が登録してあるとやはり便利なので、一応、50件ぐらいは登録してあるが、
自分で登録したわけではない。
誰かに頼めばすぐに登録してくれるし、
登録しなければならない番号もそれ以上には増えないし、
自分で登録できないことに何も不自由を感じていない。
携帯電話は携帯電話として十分に役にたっているし、
毎日移動が多く、会議、来客なども多いので携帯電話に出られない事も多く、
仕事の連絡は主にPCのメールでほとんど事足りている。
私はパソコンのワードとエクセルを基本動作だけは使える。
たぶん全機能の10%も使っていないだろう。
もっともっと便利な機能がいっぱいあるのだろうが、興味ない。
しかし、ワードでは毎日何千字と文字を書くし、エクセルもけっこう使う。
使い方はあまり知らないが、使っている量はひょっとしたら全社で一番かもしれない。
携帯もパソコンも道具である。
道具は使い方を憶えなければ正しく使えないが、
使い方ばかりをいくら覚えても、
道具を使う目的は達することは出来ない。
道具はそれを使って、
何かを作ることに目的があって、
道具を使うこと自体には何の意味もないからだ。
道具は、使ってどれだけのものを作り出し、どれだけのことを成せるかだ。
道具は持つことに意味はまったくない。
使い方に長けることに意味があるわけでもない。
どう使い、何をどう成すかに意味がある。
道具はそこだけに意味がある。
逆に道具がなくても事を成すことが出来る人だけが、
道具を得て、より以上の事を成す事が出来る。
それは人の能力についても言えることで、
優れた能力を持った人でも、能力を活かすべき志がなければ役に立たない能力であり、
実に勿体ないことだ。
それは道具と同じことが言える。
活かすべき能力も無いのに、過剰に高価な道具を持っても宝の持ち腐れとなるだけだ。
宝の持ち腐れ。
豚に真珠、
・・・・猫に小判。
チーちゃんは小判はいらんよな。