2009年08月24日(月曜日)
2290.「食べたい」から、美味しい。
朝ミーティングで「今日の昼ご飯か晩ご飯に、何を食べたいか」と聞かれて、
ある人は「昼、吉野家の牛丼が食べたい。」と言った。
その人がいる場所のすぐ近くに「吉野屋」があって、朝その前を通った時、
「あ~牛丼が食べたい」と思ったのだろう。
たぶん、朝早かったので朝ごはんを食べていず腹が減っていたのかもしれない。
ある人Bは「夜、ハンバーグが食べたい。」と言った。
理由は「家に“ひき肉”が余っているから。」と言う。
その人は、奥さん思いであり、奥さんがひき肉を余らせて困っているのを知っていて、
「ハンバーグが食べたい。」と奥さんが喜ぶから、かもしれない。
昼ごはんに何を食べたいと思ったかは、
それぞれに理由があり、それが「食べたい」という動機になっている。
人間は精神的に高度に発達しているので、
動物のように「食べたい」「飲みたい」「生殖したい」などの整理的な欲求だけでなく、
「人に喜んでもらいたい。」
「人から良く見られたい。」
「征服したい。」「成功したい。」「誉められたい。」
「有名になりたい。」
「安らかになりたい。」などなど、動物よりも複雑な欲求を持つ。
特に仕事においては、
「成功したい。」「認められたい。」「お客様に喜んでもらいたい。」と、
ほぼ、みんな共通した欲求を持っている。
仕事において「成功したい。」と思わず、
ただ、金のために我慢してやるのが仕事だ、と思っている人がいたら、
それはかわいそうなことだ。
仕事ほど、面白くて、みんなに喜んでもらって、
しかも、より喜んでもらえばもらうほど大きな報酬がいただけるものはない。
誰かに喜んでもらうことは、一つの大きな欲求であり、
それが満たされるほど、大きな報酬を得るなんて、こんな便利で面白いことはない。
その面白さを知らない人がいるとしたら、
それは「仕事を仕方なくやっている」か「やらされている」かであって、
とてもかわいそうなことだと思うのだ。
だからとりあえず、かわいそうなことは横に置いといて、
仕事で「成功したい。」と思っている人のことを考えよう。
仕事で成功したいと思ったら、
仕事に成功するには色々な方法がある。
その方法のいくつかを(知っている人)がいて、成功したい人に
「○○すると成功しますよ。」と言ったとする。
しかしその人は、(知っている人)の言った事を実行しようとはしない。
そしてなかなか成功しない。
(知っている人)は「教えてあげた事を実行しないからだ。」と言う。
なぜ、その人は実行しようとしないのだろう。
怠け者なのか。あるいは成功したくない人なのだろうか。
いや、そうではないだろう。
その人は仕事で成功したいのだ。
しかし、成功する方法のいくつかを(知っている人)が、その人に言った方法は、
その人にとっては、成功する方法とは思えず、
(知っている人)が言った方法は、
その方法で成功した人が他にいるからという根拠でしかなく、
その方法で成功した人が置かれている条件と、その人の持っている条件とは全く違うので、
その人にとっては、その方法は成功の方法とは思えない。
だから、
その方法を“実行したい”と思わなかったから、実行しなかっただけ。
自分がその方法で成功するとは思えなかったので、実行したくなかっただけ。
それにもかかわらず、
(知っている人)は、なぜその方法を実行しないのか理解できず、
その人を怠け者と思うので、その人は(知っている人)が大嫌いになる。
(知っている人)の言った方法は、
その方法で成功する場合もあるが、
誰にでも、どんな状況の人にでも成功できる方法ではなく、
(知っている人)は、たまたまその方法で成功した人を知っている上に、
それ以外の方法を知らないので、
その方法がすべてに通用する方法であると思い込んだのだろう。
「それ以外の方法を知らないので、それ以外の方法もあることを知らないだけだった。」
自分が知らない事がいっぱいあることを知らないので、
自分はすべてを、あるいは、ほとんどを知っていると思い込み、
だから、自分の知っている以外のものを否定し、
知らない新たなことを知る、つまり、学習する事を忘れてしまう現象がある。
「早分かりの、成長停止現象。」
仕事で成功したいと欲している人に、本当に成功してもらいたいならば、
その人だから成功できる方法を考え出す力を持って、
その人も、この方法ならば成功できると感じ、
その人が、この方法を“実行したい”と、思うことだ。
人は「したい」と思わなければ、本気ですることない。
「食べたい」と思うから、食べて美味しいと思うが、
「食べさせられている」と思いながら食べて、美味しいと思うことはまずない。
一昨日、札幌にて、私たちの「食べたい」「飲みたい」の残骸。