2009年06月22日(月曜日)
2237.飛行機の中で書いて忘れていた文章
グァムから帰る飛行機の中で書いた文章があったのをうっかり忘れていた。
休暇届を出しておいて載せるのも変だが、
せっかくなので、休暇届をキャンセルし、改めて載せる。
遊んでいる時間は速い、あっという間に四日間が経った。
時間の流れはゆっくりとしていそうだが、
その時間が終わるたびに、ゼロになって無くなるもので、
今以前に如何に厖大に時間があったとしても、
ゼロ×(膨大な有限の時間)=ゼロなので、
自分が認識した時間が、
50年間あっても、たった1年間しかなくても同じように、
過去の時間は、今においてはゼロでしかない。
だから、時間が速く流れていくような気がするのだろう。
これからの未来の時間も、
自分の寿命がいつ終わるのかまったく解らないという点で、
あと50年あったとしても、あと数日でしかないにしても、
ひょっとしたらこの文字を書いたあと瞬間に死ぬ確率すらゼロではないので、
あくまでも確率として存在するだけで、
どんなに長くあったとしても一瞬の時間と大差ない。
ああ、人生とは如何に空しくも儚いものか。
(“人”偏(へん)に“夢”と書いて、「儚い」“はかない”とは日本語は美しい)
なんちゃって、
ゴチャゴチャややこしい事を考え始めたのは、
考える時間が多すぎたのかもしれない。
今回のグァムで、
私は車椅子を使って移動しなければならなかった。
空港の中の長く立っていなければならない時間と、ホテルの長い廊下、
射撃場までの歩く距離、食事のための距離、
それをすべて自分の足でこなすのは今の私には困難であって、
グァムにいる間、素直に、車椅子に乗って移動しようと思ったのだ。
私は以前にも車椅子に乗っていた時期があったので、
車椅子を自分で使いこなせるし、自分で言うのもなんだがけっこう上手い。
しかし、実際に街に出るとなると、
車椅子はなかなか一人では使い切れない。
乗り越えられない段差はあちらこちらにあるし、
上り坂はきついし、下り坂はブレーキをかけづらくて危ない。
だから、人に押してもらいながら自分も漕ぐスタイルでないと
車椅子での外出は難しいのだ。
当然、誰かの手を借りることになって、
どこに行くにしろ、私がいると足手まといになる。
一緒に来た家族も、せっかくグァムに来たのだから、
あちこち遊びたいし、行って見たいが
私がやりたいのはひたすら射撃で、観光も買い物にもまったく興味がない。
私の行きたい所と家族の行きたい所はどうしても合わない。
だから、一日に30分だけ射撃に付き合ってもらい、
みんなが遊びに行く時間は、私はホテルでお留守番。
留守番と言ってもやることがない訳ではないし、
仕事は日本からいっぱい持ってきたので、かなり一生懸命やらなければならない。
それで二日半はびっしりと忙しかったが、
終盤には仕事もすべて終え、メールもしっかりと書いて、返信もして、
ブログもちょっと余分に書いて、息子からもらったダイエットの本も全部読んで、
いよいよやることがなくなったら、
外を見て、ボオーっと、いつまでも考える。
ボォーっと考えると、いろいろなことが頭に巡ってくる。
帰りのグァム空港待合室から、青い海がまぶしかった。