2009年05月30日(土曜日)
2218.10年前からの雨漏り
私たちの会社の化学研究室(ラボ)は東京都内にある。
専属の研究員は一人だが、ベテランの技術者であり新しい知識に貪欲で、
いつも最新の知識と技術を持っている。
研究室(ラボ)内にはテスターなどがぎっしりと置かれ、
新しい商品の開発と同時に、他社競合品の分析と評価、
既存商品の改良、
自社製品のロットごとの品質チェックなど忙しい毎日だ。
ラボを持っていることで年間数千万円に昇るコストはかかるが、
それに勝るとても大きなメリットもある。
他社競合商品の分析と、ロットごとの品質チェックは工場でも出来るが、
新商品の開発、既存商品の改良などはやはり自前のラボを持っていないと難しい。
社内にはラボとは別に「開発課」があって、
増田課長が中心になって活動している。
彼らも忙しい。
私や快洗隊や営業から新しい商品のニーズが提案されると、
開発とラボを中心に開発の方向性が議論され、方向が決まると、
テスト品がラボで作られる。
一つの商品開発に対して、多い時は百種類以上のテスト品が作られ、
まず、ラボでふるい分けられ、良さそうなテスト品が開発課に送られる。
すると増田開発課長が、
会社にあるすべての車を使って本格的にテストをする。
私や営業車はもちろん、社員の通勤車、パートさんの車まで動員され、
しかも、ボンネット、ドアなどを、マスキングテープでいくつにも分割されて、
数え切れないほどたくさんのテストを行う。
テストは、施行の方法、施行のしやすさ、塗装に対する影響の有無、
施行したばかりの効果の具合、一週間後の効果、一ヶ月後、半年後、一年後・・・・と、
日にちを追った効果の変化を細かく記録し、
場合によって満足いくテスト品がなければ、
その結果をラボに報告し、
対策を考えた追加のテスト品がラボで作られ、また延々とテストが始まる。
ある時点で、
合格したテスト品があれば、今度はその内の何種類かが快洗隊に送られる。
快洗隊では複数の現役のプロがスタッフ達の車でテストをし、
施行方法などの検討と、効果の検討が行われる。
開発であらかじめ用意され、テストが済んでいる色々なケースでのトラブルも再現される。
それまでの過程と結果がいちいち開発とラボに報告されて、
ラボでは改良品を何度でも作るし、開発も何度でもテストする。
長い時間と、とてつもない手間をかけて、
やっと一つの製品が出来たら、
快洗隊店舗でモニターをやっていただけるお客様にお願いして、
実際のお客様の車に施工してみて、
お客様のご意見、感想を伺い、
その結果、稀にはまたラボに戻す場合もあるが、
OKが出れば、販売のための作業に入る。
作業マニュアル作り、パッケージ作り、マーケティングの検討、
営業に対する製品の説明、作業を実際に全員で行う。
代理店さんへのご案内、施行店さんへのご案内、スクールでの紹介をどうするのか。
キーパータイムスでの案内記事作り。
気が遠くなるほどのステップを踏んで、
一つの製品が、
お客様の満足を作り出すため、施工店さんの成功のために、世に出て行く。
そのすべての段階で、
ラボ、開発、快洗隊の存在が必須であり、
全部揃って動き、初めてスムーズに行くのであって、
そのどの一つが欠けても、良い製品を世に出す事は出来ない。
研究室の研究員と、開発と、現場がそれぞれの立場で綿密なコミュニケーションを持ち、
対等な立場として相互のキャッチボールを繰り返して開発しているからこそ、
自信を持って製品を世に出せるのが、メーカーの姿勢だと信じている。
多分一つの製品を世に出すまでに千万円単位のコストがかかる事になるが、
決して無駄なコストでも、時間でもないのだ。
工場が工場のオリジナルとして製造した製品に、
自社のステッカーを貼っているだけの「メーカー」があるとしたら
それとは全く違うスタンスなのである。
アイ・タック技研㈱の製品には、もう一つ鉄則がある。
「どんな場所でも、どんな気候でも、
どんな人が、どんなに下手な技術で施行しても、
ぜったいに塗装を傷める事だけはない。」
もちろん、適切な技術と方法で施行しなければ、所定の性能を出す事は出来ず、
お客様のお車をキレイにすることは出来ないが、
少なくとも、どんな悪条件が揃っても、お客様の車を損傷しては、
商品として失格である。
性能を追求するあまり、危険性を伴うような要素があれば、
どんなに素晴らしい性能を持っていても、製品としては失格であると考え、
性能だけでなく、万全の安全性を確保している。
このように世に出した製品。
それでも、
何かトラブルが発生したとすれば、
それが私たちの製品に原因があるとは思えないようなトラブルであったとしても、
出来るだけ早く、とにかく早く、そのトラブルが発生している場所にすっ飛んで行く。
どこへでもすっ飛んで行って、原因が分かるまで追求する。
もう何年か前になるが、
青森で、ダイヤモンドキーパーにひどい水シミが発生したという知らせを受け、
増田課長が飛行機ですっ飛んでいった。
原因は青森の海岸沿いに駐車されている車で、
まともに海水の水しぶきが混じった潮風が当たる場所であり、
海水の塩分がボディの上に結晶したものであった。
だから、同じような条件の周りの車すべて、
つまりダイヤモンドキーパーとは関係のない車すべてにも塩の結晶があり、
洗剤でよく洗うことによって除去できることが分かった。
海水混じりの潮風がまともに吹き付けられれば、さすがにダイヤモンドキーパーでも
塩分の結晶は浮いたように着く。
施行店もお客様も納得していただいた。
こんな場合でも、行かなくては分からない事であって、
決して時間とコストをかけて行った事を損したとは思わない。
テストでは知り得なかったノウハウが得られたことであって、
ものすごい得をしたことになるのだ。
そう滅多にあることではないが、
私の家は10年前から「雨漏り」が直らない。
二世帯住宅の母親方の部分の台所の出窓からの雨漏りで、
築17年の住宅の、新築してから8年目に雨漏りが始まったそうだ。
某超大手の住宅メーカーのものだが、
修理を頼んで、壁のコ―キングのシールを直すだけで、
9年間にもう5回も同じことを繰り返した。
このことをお袋は私には何も言わず、
自分でその住宅メーカーに電話して、
そのたびにチョコチョコッとシール剤を足され「これで様子を見てくだい。」と、
お茶を濁されてきたわけだ。
最初はそれで雨漏りは止まるのだが、1年くらい経つとまた雨漏りが始まる。
先日初めてその話をお袋から聞いて、早速、某住宅メーカーに電話をした。
それが今日の昼、係りの人が来て、
10分あまり調べて
「壁のコーキングが一部割れていました。塞いでおきますから様子を見て下さい。」
カチーンときた。
「6回目だぞ、同じことが6回起きて、6回同じ事をやって、
6回目も様子を見てくださいとは、何を考えてるんだ。バカじゃないの。」と
つい怒ってしまった。
それから色々とやり取りがあって、
「こんな事も分からんのでは、あんたじゃ話にならないので、上の人を出してくれ。」
ということになって、
それからメーカーの事務所の人と、電話でまたひと悶着あって、
やっと、責任者が電話に出て、すぐに来ることになった。
来るまでに、データを調べてきたのか、
来てまず「申し訳ありません。雨漏りの場所を見せてくだい。」と言う。
「何か資格を持っているのですか?」と聞いたら、
その責任者の人は「一級設計建築士資格を持っています。」と言う。
かなり長い時間、中から外から見て、
その責任者の人は、
「とにかく、原因をはっきりさせなくてはなりませんので、
いつか日にちをいただいて、壁を少し壊させてください。」と言う。
それで、話はスムーズに進んだ。
約10年前にお袋が入れたクレームが、
10年経って、初めて原因が究明される事になった。
10年前、最初に来た人が「その場しのぎ」で「様子を見てください。」でお茶を濁し、
それから何回も同じことが繰り返され、
10年目に「絶対に譲らないぞ」という私の強硬な抗議を受けて、
初めて、原因を究明する事になったのだ。
これこそ大企業病の最たるものであろう。
一人ひとりに会社を代表している事の意識が全くなく、
一人ひとりがその場しのぎで、自分の無事しか考えず、客に対する意識が全くない。
結果的には、強い抗議で、「逃げられない」状況に追い込まれて
初めて、逃げずに、「原因の究明」を約束した。
10人の中の一人である時は、
お客様にとって自分が10人の代表としての一人であることを意識できるが、
10,000人の中の一人になると、
お客様にとって自分が10,000人の代表としての一つである事を忘れる。
こんな事を書いている私だって、
顧客満足とか、お客様第一なんて叫んでいても、
自分が困ったことがあれば、絶対に逃げようとしていないかと言えば、
気持ちとして「逃げたい」と思うこともあるし、
実際に逃げた事もあるだろう。
自分に後ろめたい事は意識として忘れたいので、忘れただけで、
絶対に逃げた事はないか問われれば、自信を持って「ない」とは言い切れない。
あるいは、自分が気が着かないだけで、
誰かが「その場しのぎで逃げている」場面がいっぱいあるかもしれない。
製品開発でも立派なことを言っていても、
妥協したことが無いとは言い切れない。
たった100人余の会社なのに、
10人の頃は10人の中の一人としての存在感を持っていたのに、
たった100人になっただけで、
10,000人の中の一人の存在感がゼロに近くなってしまう錯覚と
同じ錯覚を持ってしまうことがあれば、それはトップの責任であろう。
「人のふり見て、我がふり直せ」とは、全くその通りである。
人は歳を取れば取るだけ、経験を積めば積むだけ、鈍感になって謙虚さを忘れる。
初心忘れるべからず、とは、自らがいまだ足りない事を見失わず、
謙虚さを死守する事。