2009年03月27日(金曜日)
2170.三月も終わりますね。
三月は学校では卒業式。
職場ではたくさんの人が転勤や配転での別れの季節である。
アイ・タック技研は六月決算なので三月の部署配転はないが、
いろいろな意味での別れもあるし、再会もあり、新しい出会いもある。
不本意な別れはつらい結果であることも多く、
見たくない先が見えてしまうことが、もっとつらい。
誰だってそうだが、誰かの不幸を願うことはないので、
誰でもを許してしまうことが、かえって、結果として不幸を作ってしまうこともあり、
本当のやさしさを持つならば厳しくせねばと思うこともあるが、
つい、中途半端になるのは、もう面倒になっている自分があるからかもしれない。
新小岩にある東京営業所の近くに「初美」という「昼・喫茶店、夜・居酒屋」があって、
東京営業所の若い人達、
特に独身の諸君の食堂兼夜のくつろぎの場になっている。
料理は上手いし、安い! それにママが気持ちいい。
近所のオバサン、オジサンのたまり場になっていて、いつも大繁盛だ。
その「初美」のトイレに色紙が貼ってあり、
こんなことが書いてあった。
一日幸せでいたいなら、床屋に行け。
一週間幸せでいたいなら、車を買え。
一ヶ月幸せでいたいなら、結婚しろ。
一年幸せでいたいなら、家を建てろ。
一生幸せでいたいなら、正直に生きろ。
多少異論はある。
私は床屋に行く目的はただ単に髪が伸びただけなので、
髪を短くしてもらっても、別に一日幸せであるわけではない。
車を買っても、それが自分にとって期待通りの車ならば何ヶ月かは幸せであるし、
反対に期待はずれであれば、車が来たその日から我慢の日が始まる。
結婚もそうだろう。
結婚する前と後でまさかと思うような大変身をして、
地獄の結婚生活が始まる場合もあれば
結婚して何十年も経ってから、お互いに本当の深い幸せを得るカップルもある。
家は建てても一年の幸せは無理だろう。
どんなに贅を尽くした家でも、計画を立て、建てている間は「希望」であっても、
建って引っ越した瞬間から「家」は家であって、
幸せはそこに住む人間の問題であり、家が人間を幸せにしてくれるわけではない。
しかし「一生幸せでいたいならば正直に生きよ。」は、
心と言葉が裏腹であったり、
他人に見せる自分と内実の自分が違っていたりすると
他人は、他人に見せている姿の自分の幸せを考えてくれるが、
それは内実の自分が欲しがっている種類の幸せとは違ので、決して実現しないだろう。
幸せは自分だけでは実現しないから
そういう意味で、この言葉は正しいかなと思う。
三月は春の到来であるが
三月の末近く、また冬に戻ってしまったかのような寒い日になった。
誰も人の不幸など願いはしない。しかし幸せに出来ないことは多い。
それほどの力を持っている人は少ない。
私はその少ない人の一人ではない。
四月にはまた新しい出会いがいっぱいある。
快洗隊の諸君は、三月ラストの週末に「晴れマーク」が並び、
月末最後のスパートを期待してワクワクしているだろう。
桜ももうすぐ咲く。
快洗隊にも本格的な春が来る。