2009年03月25日(水曜日)
2168.茶トラの猫のチーちゃん
茶トラのチーちゃんはハンターだ。
堤防の草むらを一日中監視して色々な生き物を捕まえてくる。
その辺のトカゲの尻尾が途中から切れてほとんど短いのは、チーちゃんのせいだろう。
両手で持たなくてはならないほどでっかいモグラを捕まえてきた時のチーちゃんは
これでもかの得意顔であったらしい。
生まれて数週間しか経っていないころ、
親にはぐれたのか、ガリガリに痩せて、蚤まみれで拾われたチーちゃんは、
信じられないほど大きく、立派で美しい猫に育った。
猫は本能としてハンターだ。
動くものには、押さえ切れない本能がうずくのか、何にでも飛びかかって行く。
人間とじゃれていても、
じゃれているうちに本能のスイッチが入るのか、
本気で爪を立ててくるし、噛んでくる。
それでもどこかで安全装置が働いているのか、
軽い引っかき傷で済む程度にしか力は入れていない。
本能としての狩と、遊びが微妙にバランスを取っているようだ。
とは言っても、人間の腕や足にはくっきりと跡がついて、少し血が出ることもある。
微妙なバランスだ。
そんなチーちゃんも
1歳児が恐る恐る手を出すと、そっとやさしく舐めるだけで
決して爪を立てたり、歯を立てたりはしない。
「お前はまだ、私が本気で遊んでやるには速すぎるわい。」と言っているようだ。
ペットは、犬でも猫でも自分は人間の仲間であることを知っていて、
トカゲや小鳥、モグラなどは、明確に獲物となるべき相手だが、
人間は自分たちと同類であり、獲物とは違う相手と認識しているようだ。
獲物ならば、相手が強かろうと弱かろうと容赦なく攻撃するが、
仲間である人間には、小さな弱い者である子供と見分け、
やさしく、やさしく、いたわるように接する。
人間の自分に対する優しさと信頼に応えるように。
生き物とは素晴らしいものだ。
それに対して人間はなんと悲しい性を持った生き物なのか、
自分に与えられた信頼を、
目先の小ざかしい損得計算で裏切ってしまうこともある。
人間の発達した脳細胞を猫のチーちゃん以下の方向に使ってしまうこともある。
自分の中にもきっとあるだろうそんな愚かさを見つめ、
茶トラのチーちゃんを思わず尊敬してしまう自分は、
謙虚である心を決して忘れなければ、
ひょっとしたら猫のチーちゃんに追いつけるかもしれない。