2009年02月25日(水曜日)
2146.私が最も恐れていること
何か新しいことをしようとする時、怖いものはない。
恐ろしいと思うこともほとんどない。
恐れも知らぬ無謀になれると言うことではない。
新しいことに挑戦する時は、
あれが失敗したらどうしようとか、
これがうまく行かなかったら大損をするとか、
そういうことをいちいち考えたら何も出来なくなってしまう。
状況の判断と周到な計画は立てなければならないが、
懸念は懸念として小脇に抱えながらも、
エイッと崖から飛び降りるような気持ちで決断しないといけない部分があって、
目先の損得を超越する境地に至る時があるということ。
そういうこととは別に、
私には、いつも心の底に持っている恐怖がある。
怖い事、まず一つ目。
私は出張が多く特に東京に行くことが多いが、
たとえば東京にいる時に、
突発的な巨大地震に遭遇してしまったらどうしようという恐怖。
人口密度の高い日本においても、特別に人口が多く、
とく日中の人口が極端に多くなる東京中心部で大地震に遭ったら、
徒歩しか移動手段がなくなるだろうから、
歩くのがかなり苦手な私は一体どうすればいいのか、想像するだけで途方にくれてしまう。
食べるものもすぐに無くなるだろう。
腹は減るし、足は痛いし、まわりは歩くことに最も慣れている東京の人達ばかり。
そう考えて、私は非常食を常に持っている。
「マーブルチョコレート」だ。
山で遭難した人が「チョコレートを少しずつかじりながら飢えをしのぎました。」
なんて言っているのを思い出したのだが、
ただのチョコレートでは、夏の暑い時にはすぐに溶けてしまって、
カバンの中がベチャベチャになってしまうだけ。
そこで、糖衣になっていて表面が溶けず
硬い紙の筒に入っている「マーブルチョコレート」が一番いいと思って、
カバンの中にいつも入れている。けっこう本気なのだ。
怖い事、その二つ目。
もっと怖いと思っていることが、その逆のこと。
私が出張している時に、
東海地方に大地震が来たら、家族が難儀をしているのに
遠い出張先から何もしてやれないことだ。
東海大地震が来たら新幹線も動かないだろうし、高速道路もストップするだろう。
家族のもとへ駆けつける手段を失って、
家族が瓦礫の下に埋まって助けを求めているかもしれないのに、
自分は出張先でテレビのニュースを見ているしかないとしたら、
我が身がその地にあることを心の底から恨むだろう。
これは真剣に怖い。
怖いもの、
その三つ目は「インフルエンザ」
出張には必ず何らかの交通手段を使い、そこには不特定多数の人が一緒に乗っている。
人前で平気で口も塞がずクシャミをするバカ者がいるが、
そんな奴がひょっとしてインフルエンザにでもかかっていたら、
感染する可能性は高い。
今、全人類的な恐怖の的になっているのが「鳥インフルエンザ」で
致死率が非常に高い強毒性を持ち、
アジアの一部の国ではもうかなりの死者を出しているそうだ。
今現在は鳥から人に感染するだけの「鳥インフルエンザ」であるが、
ウィルスが突然変異で、
人から人へ感染する力を得て「新型インフルエンザ」に成るのは時間の問題とされ、
そうなった場合、
爆発的な感染が地球規模で起こることは間違いないと言われている。
その死者は数百万人、数千万人とも言われ、
人類史上最大の惨禍になるのだろう。
この先、ひょっとして出張先で、
新型インフルエンザが急激に拡がり始めたら、
私のように、出張で頻繁に移動し、
電車とか飛行機とか、たくさんの人と同じ空間に閉じ込められる機会の多い人間は、
感染する可能性は高いだろう。
加えて、私は「平熱」が低いので(35.5゜くらい)、
新型インフルエンザにかかっても、他人が38.8゜出るような状態でも、
私の場合は37.8゜であり、「微熱」とされ、治療が後回しにされるかもしれない。
普通の人が38.8゜も出ればかなり苦しいように、
私も37.8゜で同じように十分苦しいのに、
「微熱」とされ、薬も後回しにされるようでは、命が助かる見込みはない。
出張先で、
新型インフルエンザにかかりながら、
微熱扱いされて、薬ももらえず、
もがき苦しみながら死んでいくのは、洒落にならない恐怖である。
その四、本当は一番怖い事。
何日か前に「風邪を引いた時」の話に対して、
コメントをいただいた中に、「体に気をつけて、壊れてしまったらすべて終わりですよ。」
というような言葉があった。
一番怖いのは、志半ばで、壊れてしまうことか。
一緒に着いて来てくれた多くの仲間たち、
私ごときの言っている理想に共鳴してくれているたくさんの方々、
家族たち。
そういう人を残して、志半ばで、自身が壊れてしまったら、
なんとも申し訳ない。どう言い訳したらいいのか解らない。
だから、いい歳をこいたのだから、無茶をするものではないと分かっていつつ、
無茶をしても、翌日には必ず元気になってしまう我が丈夫な体を、
親に感謝しつつも、
つい、乱暴に使って、痛めつけているのは自分でも解っている。
息子の元彼女(?)で、未来を予言する優しい娘がいて、
その人に私が自分の寿命をたずねたら、
「谷社長は、気力で生きている人です。だから、気力さえ続けば200歳まで生きます。」
・・・・・
私は200歳までは生きたくないとは思うが、
気力さえ続けばかなりの長寿だということか。
あるいは、いつか、どこかで気力がぷつんと途切れたら、
その場でバタンと死んでしまうのか。
よく解らないが、その時は妙に納得したのだった。
私が一番怖いのは、志半ばで死ぬこと。
しかし彼女の言を借りれば、
しっかりと気力を充実させていれば、何も怖がることはないと言うことか。
・・複雑な心境である。
今日一日、ぎっちりと本社で仕事をして、
夕方、名古屋から福山に新幹線で向かっている。
向こうでは専務たちが手ぐすね引いて待っていている。これはもう飲むしかないのだ。