2009年01月16日(金曜日)
2114.「新しき良き時代」を作り出す発想
「古き良き時代」は思い出して懐かしいものだ。
私が独立したのは23年前。
「株式会社タニ」という名前の会社で1軒のガソリンスタンドを運営した。
元売りさんから直接燃料を仕入れる「(業界用語で)特約店」から燃料を卸してもらう
「(業界用語で)サブ店」としてだ。
あの頃の「サブ店」は、「特約店」に随分大事にされたもので、
毎年一回、「特約店」からの招待で夫婦揃って海外旅行に連れて行ってもらったのだ。
台湾、韓国、沖縄、北海道、北京、などなど
いわゆる接待旅行で、毎晩の宴会で大騒ぎ。
閉鎖的な特石法に守られたあの頃の「サブ店」は特約店の正真正銘「お客様」だったのだ。
今は昔の「古き良き時代」であった。
かなり昔か、
世界中を「農協団体」が闊歩し、
そのマナーの悪さにひんしゅくを買ったものだ。
その昔、米を筆頭にした農作物の鎖国政策によって守られた日本の農業は豊かだった。
「古き良き時代」である。
古き良き時代、日本には
あらゆる業界でそれぞれが自らの利益を守るための規制が張り巡らされ、
それぞれが談合的に共存する形で豊かだった。
それが、世界中がグローバル社会になっていく過程で
日本だけが鎖国を守るわけには行かず、
開放されるに従って、農業も工業も、販売業も世界レベルでの競争にさらされて
談合的共存は維持できなくなり、良き時代ではなくなった。
「古き良き時代」はそれぞれに皆ある。
しかし、時代が進むことによって、
恵まれた立場がそうではなくなったり
大切にされたものが邪険にされたり、時には抹殺されることもある。
時代が悪くなったからではない。
時代が変わったからなのだ。
時が進むのは止められず、
時代が変わって行くのも止められない。
ある時代には、その人の立場が非常に恵まれていたが、
時代が変わって、その人の立場が恵まれないようになったとしても、
それは時代が悪くなったからではなくて、
時代が変わってしまったからだけなのだ。
時代が変わると、
すたっていく商品があり、職業があり、経済もあるが、
新しい時代を形成する新たな商品があり、新しい職業があり、新しい経済がある。
時代が変わると共に「世の中」と「生活」が変わって、
その新しい世の中と生活にとって必要なものが、求められていく。
時代は常に進み変わってしまうのだから、
「古き良き時代」は終わっていて、もう二度とは戻ってこない。
「古き良き時代」はもう無いのだ。
今あるのは
「新しき良き時代」であって、
これから求め、
みんなで作り上げていかなければならないのは
「もっと新しき良き時代」なのだ。
古き良き時代を懐かしみ、
古き良き時代が過ぎし日となったことを嘆き、悲しむよりも
新しき良き時代に向かって、
この全神経を集中して考え、想像し、
自らこそが新しき良き時代を作り上げていく担い手にならなければならない。
「古き良き時代」を懐かしむのは、
旧友との酒飲み話でいい。
古き良き時代に比べての今を、嘆くのはやめた方がいい。
今が見えなくなってしまうから。
全精力を注ぎ込むべきは
「新しき良き時代」を、自らの可能性としてどう創るかだ。
新しい発想と行動で、古い店を活き活きとさせることも出来る。