2008年04月06日(日曜日)
1885.たましいが戻って来た。
九州山奥の農家であった。
昔の標準で言えば貧しくはないが、
ほぼ自給自足の生活をしており、今の感覚で言えば豊かではない。
しかし長女、長男、次女、三女の四人の子供に恵まれ、
家族六人の家は活気に溢れていた。
村全体のどの家も子供たちの元気な声が聞こえ、活気に満ち満ちていた頃の昔だ。
その家では親牛を二頭飼っていて、
子牛が産まれると何ヶ月か育て市場に出す牛の生産農家であり、
二反ほどの田んぼで米を作り、畑には桑を植えて蚕を育てる養蚕農家でもある。
しかしそのいずれも大規模ではなく、
すべてから得られる収入で一家六人が食べ、
子供を学校に行かせてギリギリであった。
家長である父親は厳格であり、日本の昔からの厳しい父親の在り方そのものであった。
子供たちが大きくなって
長女は、中学校を卒業したらすぐに、
都会の布地を織る工場に働きに出された。
中学校で成績の良かった本人は強く進学を希望したが、
農家の長女は中学校を出たら都会に出て、家に仕送りをするのが当然とする父親には、
進学の夢はとうてい受け入れられなかった。
昔の織機工場は労働が過酷である。
住み込みで昼も夜も働き、もらったわずかな給料も仕送りに回す。
長女の親を恨む気持ちも分かる。
苦労した青春の末、働き者の夫と一緒になり、
今では二人の子供が立派な社会人になっている。
長男も、成績が優秀で、彼は高校から定時制の大学まで行き、
硬い国家公務員になって、二人の子供とも優秀な大学に入っている。
いろいろな意味で模範的な人生を送っていると言える。
彼は両親の自慢の種でもある。
次女は、心のやさしい人で
高校まで出してもらい卒業したらすぐに働きに出、
そのまま結婚して都会に近い町に住み、二人の子供も社会に出ている。
三女は、一度都会に出て看護婦となり勤めたが、
後に保健婦となって田舎に戻り町役場に勤め、職場の青年と結婚して隣の町に嫁ぐ。
二人の子供を授かり育って、二人とも社会に出たばかりである。
生まれた地に戻ったのは三女だけ一人あった。
月日が経ち、両親夫婦とも年老いて、農家として働くことも出来なくなり、
八十歳を迎えるころには普段の生活もままならなくなって、
隣町から毎日、三女が老夫婦の家に通って生活の面倒を見た。
三女は、二人の子供の母として、
町役場の保健婦として、夫の家の嫁として、
一人三役の上にさらに実家の両親の面倒を見るというてんてこ舞いの生活を、
睡眠時間を削ることで何年も何年も果たし続けた。
三女のおかげで両親は寂しい思いもせずに不自由のない生活を送れたと言っていい。
長女も長男も次女も、三女には感謝をするばかりである。
しかし、両親がともに病を持つようになって三女の力だけではままならなくなり、
軽い痴呆症の母は村のグループホーム入り、今ではとても清潔で明るい生活を送っている。
一方の父は末期がんが見つかり大きな病院に入院したものの、
老人のがんは進行が遅く何年も入院したままである。
三女の活躍は続き、
家⇒自分の職場⇒(グループホーム)⇒父の病院⇒家の生活が続く。
睡眠時間は相変わらず短いままだ。
まだ体が元気で頭が冴えている父は、
退院したいとダダをこね三女を困らせることもたびたびだった。
三女も来年50歳を迎える。
孫が出来てもよい歳だが、苦労はまだまだ続く。
入院していた父の様態が急変。
がんが進行したのではなく、
足に血栓が出来て片足のひざから下が壊死し始め、
老廃物が体中に回って腎臓がやられたのだ。
ある朝、目を覚まさず、そのまま意識が戻らない。
体を揺り動かし大きな声で耳元に呼びかけてもまったく反応はない。
こん睡状態が続き、
医者からは「この状態に入ると平均5日ぐらいですかね」と言われ、
みんなこれを最後通告と受け取った。
知らせを聞いて、
長女が関東から電車を乗り継いで駆けつけた。
父の意識がなくなってから四日目のこと。
長女は病床の父に声をかけた。
「父ちゃん、父ちゃん、○○だよ。帰って来たよ。ねえ、父ちゃん。父ちゃん。・・・」
えんえんと、根気よく、
「父ちゃん、父ちゃん、・・外はもう春だよ。父ちゃん、ねえ、返事して。・・」
長い時間、根気よく声をかけ続けた。
何時間も、何時間も、
そうしたら、
ふと、力なく閉じたまぶたの下で、目玉が動くのが分かった。
入れ歯を外し、ぽかっと開いていた口が閉じた。
「あー」という声すら発したのだ。
目さえ開けないが、意識が戻ったのだ。
かける声にわずかながら反応するまでになった。
腎臓がやられて体中の毒素が排泄されず意識障害になると、
それほど長くは体が耐えられないという。
ましてや意識がなくなってから四日も経ってからでは。
強い刺激で意識が戻ったわけではない。
かなり強く体をゆすり、肩をたたき、大声で呼びかけてもまったく反応がなかったのだ。
そういう意味で肉体的に意識が戻ったのではない。
魂が戻ってきたのだと思う。
意識がなくなって、どんどんこの世から離れようとしていた魂(たましい)が、
長女の根気よくかけ続けたやさしい声に呼応して
戻ってきたのだと思う。
魂が体に戻ってきたのだ。
きっと、そうだろう。
親を恨んでいた長女が、それを許すようにかけ続けたやさしい声を聞いて、
たましいが、この世の体に戻ってきたのだ。
長女の元に、子供たちの元に戻ってきたのだ。
やさしいその声に、閉じたまぶたから涙さえ流すのは、
昔、厳しく接した長女や子供たちに対する、親の悔やみの想いがこもっているのだろう。
子供たちへの愛情の思いがこもっているのだろう。
春だ。世には花が咲き、
新しい仲間たちが動き始め、
新しい店が、お客様に案内していた開店日4月8日を待たずして、
工事が終わってしまったので、今日4月6日から開いてしまった。
写真ではお客様の数は少ないが、実際には結構混雑したのだ。
竹内大輔店長の幸せそうな顔が印象的だった。