谷 好通コラム

2008年01月25日(金曜日)

1830.ラジオが鳴っている生活

以前、営業企画の国松君が「自分はいつもラジオを聞いている。」と書いていた。

 

昨日届いたラジオ付きオーディオがすごく気に入ったので、
昨晩はCDをいっぱい聞いたが、
今朝は、テレビをつけずに「ラジオ」をかけて朝食を取った。
今日から香港に行くために早起きをしたので午前6時過ぎ、AMのNHKだ。

 

まるで、大昔に戻ったような時間が流れる。
NHKの朝の放送は何十年も前に聞いたまるでそのままのようだ。
ラジオ体操が始まった。
「へえ~、今もやっているんだ。おんなじだ。」

 

40年以上前に、
私が初めてやったアルバイトが「夏休みの朝のラジオ体操」
大昔の夏休みは、朝早く小学校の校庭に集まって、
みんなで朝のラジオ体操をやったものだ。(いつからかやらなくなったらしい)
小学校六年生の時、
その朝のラジオ体操でみんなの前の演台に立ち、
”模範演技”をするアルバイトをやったのだ。
模範演技と言ったって、ただラジオ体操をするだけで別に上手いわけではない。
毎朝ちゃんと出てくる奴が少なくて、私にお鉢が回ってきただけである。
生まれて初めて働いて稼いだお金であった。
確か、一日50円ぐらいであったような気がする。

 

そんなことを、ラジオ体操の放送を聞きながら思い出した。
ラジオはテレビのように人を「釘付け」にしない。
何かをやりながらでも、話をしながらでも、ラジオは聴ける。
聴くと言うよりも、ラジオは鳴っているという感じだ。
だから、朝ごはんを食べながらでも、
テレビのように気を取られて箸が止まることもないし、
会話がなくなることもない。
久しぶりのラジオを聴きながらの朝食は、
実に爽やかで新鮮であり。
人間らしい食事が出来たような気がした。
ラジオのある生活は、テレビ漬けの生活よりもはるかに文化的であって、
人間らしいコミュニケーションのある生活のようだ。

 

テレビは、家族の会話を激減させ、
見ている人の感性を無視して意識の中にズケズケと乗り込んでくる。
人の文化は、
人と人との相互のコミュニケーションによって作り上げられてきた。
しかし、テレビは向こう側の一方的なコミュニケーションで、
強い刺激を持って人の意識をわしづかみして一方的に情報と刺激を注入してくる。
見る側は、何を見るか、
つまり何を注入されるかを選ぶだけであって、
その選択の基準は「何が面白いか」である。

 

自らが選択した「面白い情報」「面白い刺激」を一方的に注入されることによって、
人は人とのコミュニケーションの能力を著しく落としているのではないか。
とりわけ、与えるコミュニケーション能力が低下しているのではないだろうか。
情報や刺激を一方的に受ける側に立ち続けると、
その時その時の目先の刺激、
あるいは「損得勘定」で物事を判断するようになって、
与える側として必要になってくる相手への思いやりとか、
感謝する気持ちを持つことが出来なくなってしまうような気がする。

 

BOSEは、もう一つ私に新しい生活と文化を与えてくれたようだ。

 

冬の午前6時はまだ暗い。ラジオ体操は家の中でやるということかな。

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    代表取締役会長兼CEO

    谷 好通

    キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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