2007年11月18日(日曜日)
1778.土日働くサービス業の人達
18歳の時、初めてガソリンスタンドに勤めた。
20年ほど前の石油パニックの時期に日曜営業の輪番制なるものがあって、
エネルギー節約で5回に1回ほどの日曜日しか営業できなかったときを除いて、
約10年前に現場から退くまでの27年間、
土曜日と日曜日は働くものと決まっていた。
特に22年前に独立した当初は、休みは正月の三が日だけであった。
子供たちが小さい時、
彼らを遊びに連れて行ったのは必ずウィークデーで、
彼らが幼稚園、小学校に上がってからは、
夏休み、冬休み、春休みの時のウィークデーであり、
独立してからは、定休日としていた火曜日に限られた。
夏休みでもお盆休みは、お客様が多かったので必ず店に出ていたし、
とにかく工場とか事務所が休みの日は店に出て、
遊びに行く日は、そんな人達が仕事をしている日であった。
だから、どこへ遊びに行ってもガラガラであったので、
行楽地に行くために渋滞に巻き込まれた記憶はない。
唯一、工場とか事務所の人達と同じ休日であったのは正月だけで、
その正月も、大晦日までの大混雑でクタクタになっていたので、
初詣だけである。それも必ず二日の日。
それでも、彼らが大きくなって中学校に上がり、
親か誘っても一緒に遊びに行かなくなるまでに、
何十回かは(十数回かもしれない?)何処かに遊びに連れて行った。
海水浴とか、山でのキャンプとか、かなり色々な所へ遊びに連れて行った。
しかし、しかし、彼ら子供たちはそれを憶えていないという。
証拠として残っている昔の写真を見て
「私たち、お父さんに遊びに連れて行ってもらったことがあったんだ~。」と言う始末。
子供ってそういうものだ。
小さい時に親に遊びに連れて行ってもらったことなんて憶えてもいない。
私が小学校以下の時期に自分の親に連れて行ってもらったのを憶えているのは、
親父の自転車の荷台にまたがって釣りに連れて行ってもらった二回だけ。
何故憶えているかというと、
その時、弁当のおにぎりを食べるために手を洗った池の水か、海の水か、
そのどちらかで、小児マヒのウィルスをもらってしまったことを、
親父が何度も、悔いて、私に話したからだろう。
それ以外に小さなころの記憶と言えば、
近所の悪たれたちと遊んでいて痛い目にあったこととか、
畑のスイカを盗み食って近所のお百姓さんに殴られたこととか、
いじめられたことや、親に叱られたこと、崖から落ちて骨を折ったこと、
小児マヒの治療とリハビリが痛かったこと、
伊勢湾台風で死にそうになったこと、私のしつけの事で親父がお袋を説教しているところ、
小刀で遊んでいて、三回も手を縫うほど切ったこと。
などなど、
たくさん昔の事を憶えているが、
親にどこかに遊びに連れて行ってもらったことは、何も憶えていない。
親のことで憶えているのは、
叱られたことと、
いくつもの、あったかい思い出。
思い出すと涙が出てくるようなあったかい思い出はいくつもある。
そういう意味で私は親の愛情を十分に知っている。
しかし、親にどこかに遊びに連れて行ってもらったことは憶えていない。
子供と親の関係で大切なのは、遊びに連れて行くことではなくて、
親の愛情からの心のこもった何気ない行為であり、
家族のためにしっかり働いている親の背中なのではないだろうか。
乱暴な発言ではあるが、
親が子供を行楽地とか遊園地に遊びに連れて行くのは、
親の自慰行為ではないだろうか。
子供と遊んでやりたいから
土日を休みたいというのは子のためでなく、自分のためなのではないか。
土曜日曜に休んでいるのは、
工場に働く人(必ずしもそうではないが)、事務所に働く人、役人、
そして子供たち、学生たち、奥さんたち
土日に休む人と、
土日以外に休む人は、
「働く人だけ」で考えれば、絶対数はあまり変わらないのではないだろうか。
土日には子供と学生たちが休むし、
土日は二日間で、土日以外は5日間あるので、
土日に働いている人の絶対数が少なく感じるだけなのではないだろうか。
そんな気がする。
日曜日、街に出ると、
混雑のほとんどは学生たちとか、子供たちとか、奥さんたちが多くて、
土日が休みなので仕方なく土日に街に出てきているお父さんたちのその数は以外に少ない。
土日に働くことを不公平に感じている人がいるとしたら、
何か勘違いをしているのではないだろうか。
昔から土日を働いていると、
土日を休みたいとは、これっぽっちも思わなくなる。
かえってその方が自然に思える。
土日以外に働かなくてはならない人は、
たった二日間の土日に集中して休まなければならないので、
どこに行っても混雑していて気の毒であるし、
土日以外に休む人は、
その集中が、商売の掻き入れ時なので嬉々として働くのだ。
特に、平日と土日とも両方とも働ける私は幸せである。