2007年10月19日(金曜日)
1756.ES=CSとわが原点
前回の話で、
「高い能力の人で構成された少数精鋭。
これが高いレベルで従業員満足と顧客満足が実現できる条件なのではないだろうか。」
そう結論づけた。
その次の洒井さんからの助っ人メールでは、
「ES従業員満足とCS顧客満足を具体的に実現するのが、
トレーニングであり、とりわけコーチングである。」といただいた。
この2つの話しの前提になっているのが、
従業員満足=顧客満足という方程式である。
何故これがイコールなのか、
私の前話では、
「顧客満足⇒高い成果⇒比した報酬⇒従業員満足」という論理が中心であったが、
これだけでは、本当は、従業員満足=顧客満足という方程式は続かない。
だから、もう一度その辺を掘り下げてみたい。
ES・Employee Satisfaction 従業員満足
CS・Customer Satisfaction 顧客満足
ここの両者は相対するものでもなく、
両立するものであり、
同じものである。
これは洗車販売というサービス業においてより顕著である。
顧客は洗車とかコーティングなど車をキレイにする商品を買って
どう満足するかといえば、
プロに頼んだのだから、
車をキレイにする事に関して素人であるお客様が
自分で自分の車を洗った時よりも、キレイになっていれば満足する。
逆に、
自分で洗った時の方がキレイだと思えば失格だ。
スタッフがお客様という他人の車をキレイにすることは、
お客様が、自分で自分の車をキレイにするよりも難しい。
スタッフとお客様が同じレベルの技術を持っているならば、
間違いなく、お客様が自分の車を洗ったほうがキレイになる。
他人の車を洗った上で
お客様に満足してもらえるためには、
スタッフが素人以上、お客様以上の技術を持っていなければならない。
洗車とかコーティングでお客様に満足をいただこうと思うならば、
こちらが素人以上の
プロにならなければならないことになる。
加えて、
ではプロとしての技術を持っていれば必ず車はキレイになって、
お客様を満足させられるかと言えばそうでもない。
いくら技術を持っていても、
スタッフがきちんとキレイにしようと思わなければ、車はキレイにならないのだ。
精神論ではない。
車は形も状態も千差万別ならば、
汚れ方もその時々においてバラバラ。
だから、スタッフがその車の形を見、状態を見、汚れを見て判断し考え、
それに応じた作業を自分の意志で選択し、
プロの技術でキレイにすることを実行しなければならない。
マニュアル通りだけでは残念ながら車はきれいにならない。
作業をするスタッフがキレイにしようと思わなくては、
車はキレイにならないのだ。
きちんとした技術で、
適した道具と材料使って
きちんとキレイにする気持ちを持って作業すれば、
車はきれいになる。
そして仕上がり確認。
スタッフが気持ちをこめてキレイにした車を差して、
「お車の仕上がり具合はいかがですか?
お気になる点は御座いませんか?」と聞く。
ここでお客様のリクエストがあれば、きちんとお受けするが、
いずれにしても、
お客様から「きれいになったね。ありがとう。」と、
必ず言ってもらえる。
これはありがたいことに、
必ずといっていいほど「ありがとう」と言ってもらえるのだ。
もちろん気持ちがこもっていない作業をしてしまった時には言ってもらえないが。
このお客様からいただける「ありがとう。」とか
「わぁ、きれいなったわね。」の言葉が実に嬉しいと、
私たちの快洗隊のスタッフも言う。
「キレイになった車を見た時のお客様の反応が楽しみだから
一生懸命に仕事をする気になる。」とも言う。
これぞ仕事のやりがいと言えるのではないだろうか。
自分が気持ちをこめて作業をして、
その結果、想像以上にキレイなった我が車を見て、
お客様が喜んで、感謝の言葉、ねぎらいの言葉をかけてくれた時、
あるいは言葉には出ずとも、明らかに嬉しそうな表情とかしぐさが見えた時、
あるいは次のご来店で前回の仕事に満足したお客様の自分への信頼を感じた時。
つまり、
CS・Customer Satisfaction 顧客満足が実現した時、
大きなES・Employee Satisfaction 従業員満足も実現するのではないだろうか。
手洗い洗車、コーティングを販売するビジネスの成功のポイントで、
「プロの技術」「作業環境」「メニューボードによる店内受注」「仕上がり確認」
を上げているが、
実は、最後の「仕上がり確認」が一番重要な要素であり、
顧客満足が従業員満足に直結する瞬間であって、
洗車商品の品質の維持が、従業員満足によって実現されるのだ。
お客様の満足が、お客様からの感謝と言う形で従業員満足につながるとは、
何かきれいごとのように感じるかもしれないが、
これは本当だ。
従業員満足を実現するには、
顧客満足から得られた成果に比した報酬は必要であると思う。
がしかし、それだけで十分に満たされるものではないし、続くものではない。
仕事に対するやりがいとか、
達成感とか、自分の能力が上がる実感とか、
そんなメンタルなものの方が、実は、もっと重要な要素とも思える。
会社がその人の能力を買い、成果を評価して高い給与を支給した時、
当然、その時は、その人は満足をするが、
その給与に見合った生活を始め、
その給与で支えられたその生活が当たり前であって、
新たな満足を感じるものではなくなる。
もっと豊かな生活を求め、
もっと努力をして能力が上がり大きな成果を上げて、
もっと高い報酬を得たとしたら、それは成長であり進化であるが、
どんどん生活水準を上げ続けるほど、成果が上がり続けることはないし、
限度がある。
満足がいつまでも続くことはない。
物欲には満足がないことに似ている。
何を買っても、満足するのは買った瞬間だけであって、
何を得ても、それを得た瞬間にだけ満足があって、
すぐにもっと高い物や別の物が欲しくなって、
それが得られない欲求不満だけが繰りかえし襲ってくる。
従業員満足とは、
従業員の能力と努力によって得られた顧客満足から生まれた成果に、
比した報酬は一つの条件であろう。
しかし、ある一定の成果に比した一定の報酬は、
いつまでも新鮮な満足を与え続けてくれるものではないし、
新たな進展に対する原動力に、なりにくい面を持っている。
従業員の能力と努力にから生まれた顧客満足によって、
お客様からの感謝の気持ち、言葉、
お客様に、社会に、会社に、店舗の仲間に役に立っているという満足感と充実感。
その満足感も、大きな意味を持つのではないだろうか。
何かに書いてあった。
人には三つの幸せがあって、
・もらう幸せ。
・出来る幸せ。
・させていただく幸せ。
これを引用すると、
「高い能力と努力でお客様の車をキレイに出来る幸せと、
その成果によって報酬をもらう幸せを得ながら、
お客様から感謝の言葉を頂戴するような仕事をさせていただいく幸せを得る。」
ちょっと苦しいが、こんな感じか。
どうやら、顧客満足=従業員満足の方程式は、間違いないようだ。
今日、東京から仙台に来ている。
東京では我が快洗隊の原点がそのままある姿を見つけた。
私の心に残る人が作り上げた我が原点のような店。
涙が出てくるような風景であり、しばし足が止まってしまった。
自分の原点を突きつけられ、
私はこれから何をしていくべきなのかを知らされた時間でもあった。